「家族は血のつながりで世界を狭くして、自分たちだけ守ろうとする。ものすごく排他的」と指摘する下重氏

「家族のことを理解している?」と聞かれた時、自信をもって肯定できる人はどれだけいるだろう?

家族や血縁は共に愛し合い助け合うもの――多くがそんな美化された家族像に憧れ、固執する一方で、ニュースを見れば家族がらみの悲惨な事件やトラブルが後をたたない。

そんな世の中にあって「家族とは何か」という根本的な問いを改めて突きつけ、大反響を呼んでいるのが下重暁子(しもじゅう・あきこ)氏の『家族という病』だ。 (聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―3月末に刊行されてすでに50万部突破。ものすごい反響ですね。アマゾンのレビューでもいろんな意見があるようですが。

下重 私、ネットは一切見ませんが、反響は聞きますし、手紙も結構きます。「よく言ってくれた」という人が一番多い。みんな外向けに“いい家族”だと思われたくて、今まで本当のことを誰も言わなかった。本当のことを言うために、私自身も家族の恥を初めてさらけ出しました。例えば、父と兄との確執や私と父との確執です。それで皆さん、共感してくださった部分があると思います。

―読ませていただいて、まんまとやられました(笑)。本当に僕が普段思っていることを書いていただいてたんで。

下重 でも、否定的な意見も多いですよ。家族という、これ以上、麗(うるわ)しいものはない…と思っている人。

―右傾化ともいわれる時代ですが、“家族の絆”がことさら取り上げられ、国の礼賛的なことに利用されているような。

下重 本ではちょっとしか触れてませんけど、私はまさにそれを書きたかったんですね。家族を管理することが、国をうまくいかせる方法のひとつ。安倍さんも、まさにそれを狙っているわけで。この間の大震災以来、絆、絆といって、見知らぬ人の心の通いあった絆ならいいけれど、血だとかDNAとかで家族を縛ろうとする方向性がありますよね。これはやっぱり一種の国の政策だと思います。

―隣国への対し方もやたらと煽(あお)って、自分たちの国の家族を守らなきゃいけないだろうと。

下重 前の戦争はまさにそれですからね。それで縛って国のためにと男たちは戦争に借り出された。女も銃後の守りとか。私はそれを知ってる年代ですから、きちんと言わなくてはいけないと。

家族団らんなんて嫌いだった

―それこそ下重さんが生きてきた間には、戦争で刷り込まれた思想がありますから。ちょっとでも違う考え方をしようものなら進歩的すぎると言われたのでは。

下重 しかも私、陸軍将校の娘ですからね。その意味では、刷り込まれてもおかしくないんですけど、逆でしたね。小学校に入ってからは、疎開したため父が側にいなかったことも関係あると思います。でも3、4歳の時は、毎日馬が迎えにきて、父がマントを翻して乗っていく姿はかっこよかった。そういう風景だけは覚えています。それが本当に戦後、堕ちた偶像になりましたからね。

―そこが家族に対する疑問や不信のきっかけに。そしてついに時が満ちたというか、今こそ家族について書くべきだと。

下重 やっぱりね、あまりに家族が崇められてるじゃないですか。家族ならなんでも許されるみたいな。私自身が家族団らんなんて嫌いだった人間ですから。父は戦地に行っていないことも多かったし、戦後は追放になって職にもつけなくて、経済的にもどん底でした。

父親もイライラしてますしね、もしそばに凶器があったら、兄との間で事件が起きてましたね。なんとか引き離さなきゃと兄だけ東京にやって、家族3人になったんですが、今度は私が父親と全く意見が合わずケンカになる。だから、ごはんなんか一緒に食べませんでした。そういう父親の生き方に反抗することが、私を作ったと思います。

―僕はひとりっ子ですが、若い頃はエディプスコンプレックス的なものがあって、何度か頭の中では親を殺しています。それがないと成長できなかったなと。

下重 それが今やほとんど反抗期もないっていうでしょう。気持ち悪いわよね。大人になるために最初に乗り越えなきゃいけない両親に反発しないのは、実に不思議。

―逆に親のプレッシャーや溺愛が強すぎて、返って不幸にするっていう。

下重 母親は私を溺愛したんですよ。兄とは母親が違うんで、自分の血を分けた子供は私しかいない。それが鬱陶(うっとう)しくてね。私が一人前になってTVに出ても、親には一切言わなかった。それで、ご近所や友達に「また出てましたね」って言われ、寂しくてしょうがないわけ。これほどかわいがってるのにって。ひとりっ子ならわかるでしょう?

―わかるどころじゃないです(苦笑)。僕も母親の着せ替え人形で、一族が通う地元の進学校に入るよう子供の頃から洗脳され、だいぶプレッシャーでしたから。

下重 でも今は子供もそれでよくて、いつまでも放り出されないから家にいるでしょ? 私は高校から寄宿して、ほとんど家に帰りませんでした。そのまま早稲田に行ったから、その後はあまり家に寄りついてないわけですよね(笑)

―僕も浪人をいいことに東京の予備校に行って、こっちから親離れしなきゃと。動物の世界のように集団から突き放して、自分の家族・グループを作らせる。それが本来的なことじゃないかと思うんですけど。

下重 動物なら、ある程度成長したら餓えようとほったらかしだもんね。獅子が子供を谷底に突き落とすという「石橋(しゃっきょう)」という能もありますよね。

血のつながりで世界を狭くしている

―日本も江戸時代までを考えると、飢饉や災害もあって、生まれても簡単に生存できる環境ではなかった。家族にこだわっていたら生存できないから、くっついたり離れたり。

下重 非常に大らかで自在でしたね。庶民の家はよその子供も自分の子供も同じようにかわいがり、長屋のような共同体が存在して、それこそ“心の絆”があった。必要なものを貸し借りしたり、それでいて最後の命綱、お米だけは借りなかったといいます。ひとりひとりという単位だったんですね。

でも今は家族っていう団体さんですよ。家族の中に個がないのよ。父さん、母さん、子供っていう役割を演じている。血のつながりで世界を狭くして、自分たちだけ守ろうとする。ものすごく排他的なんですね。

―だから明治以降ですよね、殖産興業や富国強兵策での産めよ増やせよもあり、今に至る家族像が国によって植え付けられられたのは。それで今また、あるべき家族の絆が殊更取り沙汰され、逆に歪みが噴出している気が…。

下重 一種の締め付けですね。だから、江戸の文化は性だってすごいオープン。気持ちいいよね。家族だけでまとまって、不倫がどうこうじゃない。そのかわり命がけで道行きやら心中やら…。それが人間のあるべき姿。

―夜這い文化とか、ほんと大らかで(笑)。まあ、日本は貧困や戦争などで人が早死にする時代とも違うわけですが。一方で、医療が進化したのはもちろんいいことだけど、長寿になって遺産相続や老後の生活の問題が出てきて、子供は親の世話を見るもんだとか(苦笑)。

下重 兄弟のほうが諍(いさか)いは起きるし、連れ合いが智恵を入れたりしてね。もっと取れとか(笑)。本当にみんな、こんなに仲がいいから相続問題なんて絶対に起きないなんて信じてるのに、実際は問題が起きない家のほうが少ないわけです。うちの親なんか全部、公正証書を作って、私はなんの苦労もなかったけど、それがなければきっと血みどろの争いがないとはいえない(苦笑)。私はもう自分が稼いだものは自分が使う。誰にも残さないのが一番です。

*この続きは、明日配信予定です!

(撮影/五十嵐和博)

●下重暁子(しもじゅう・あきこ)早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。女性トップアナウンサーとして活躍後、フリーとなる。民放キャスターを経たあと、文筆活動に入る。ジャンルはエッセイ、評論、ノンフィクション、小説と多岐にわたる。財団法人JKA(旧・日本自転車振興会)会長等を歴任。現在、日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長。『鋼の女―最後の瞽女・小林ハル』(集英社文庫) 、『老いも死も、初めてだから面白い』(海竜社)、『自分に正直に生きる』 (大和書房文庫)など著書多数。

■『家族という病』 幻冬舎新書 842円日本人の多くが「一家団らん」という呪縛にとらわれているが、「家族」はそれほどすばらしいものなのか? 著者が自身の家族について赤裸々に語りながら、現代の家族のあり方に問題提起する。

(撮影/五十嵐和博)