高校野球100周年。その節目の年の甲子園で話題を独占したのが、早稲田実業(西東京)のスーパー1年生・清宮幸太郎だ。

1年生としては1983年の桑田真澄(くわたますみ・PL学園)以来、実に32年ぶりとなる1大会2本塁打をマークし、準決勝で敗退するまで全5試合でヒットを打つなど大物ぶりを発揮した。

入学時から清宮を追い続けるスポーツ紙記者は言う。

「当初は『内角に弱い』と指摘されていましたが、準々決勝ではその内角のボールを弾丸ライナーでスタンドまで運びましたからね。この短期間に弱点を克服するとは…やはりモノが違います」

父は早稲田大学ラグビー部を常勝チームに育て上げ、現在はヤマハ発動機で指揮を執る克幸氏。リトルリーグ時代に世界一の立役者となって以降、“和製ベーブ・ルース”と注目され続ける彼は、取材もひと筋縄ではいかない。「厳戒態勢です」と、前出の記者は苦笑する。

「地方大会から大会本部が『保護者の取材はご遠慮ください』とお触(ふ)れを出すなんて、異例中の異例。お父さんへの直撃を試みる記者もいますが、ラグビー仲間らしき屈強な男たちが周囲を固め、目を光らせていて近づけません。鉄のカーテンならぬ“肉のカーテン”です(笑)」

そこまでスクラムを組まれてしまえば、高野連だって対応に追われるのも無理はない。

従来、大会中の早実の定宿は甲子園球場まで徒歩5分の場所にあったが、今年は少し離れた尼崎(あまがさき)市内のホテルに移動。球場入りも、通常の正面側ではなく外野側から直接バスが乗り入れるルートに変更されるなど、徹底した“清宮シフト”が敷かれた。

大会が始まると、予想通り、早実の試合は超満員。阪神甲子園駅から入場券売り場まで、球場に入れない人があふれた。

そんな特殊な環境に置かれながらも本塁打をかっ飛ばしてしまうとは、やはり只者ではない。準決勝敗退後は号泣し、「こんなもんじゃ終われない」と、砂を持ち帰らなかった清宮。2年後のドラフトの目玉になるか?

(取材・文/田口元義)

■週刊プレイボーイ36号(8月24日発売)「『甲子園の怪物たち』プロスカウトの赤マル急上昇リスト」より