「第153回芥川賞・直木賞」で直木賞を受賞した東山彰良氏

お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹氏が芸人として初の芥川賞を受賞し、大きな話題となった「第153回芥川賞・直木賞」。

その記者会見の席で、ピンクのTシャツにジーパン、もじゃもじゃ頭という妙に若々しい姿で一緒に写真に収まっていたのが、『流』で直木賞を同時受賞した東山彰良(あきら)氏だ。

今回は前編記事「ピース・又吉より異色? 直木賞受賞作家・東山彰良を直撃!」に続き、インタビュー後編を掲載。

東山氏が学生時代に傾倒していた趣味や大好きな旅行でのハプニング話、以前から取り組んでいるノベライズ(漫画や映画などを小説化する手法)についてなど話は広がった。

 * * *

―学生の頃から文学青年だったんですか?

東山 ではなかったですね。ヘヴィメタが好きで、中学・高校とギターを持ってバンドをしていました。ギターを始めたのは中1の時。ある日、友達の家に遊びに行ったら、そいつの兄貴が急に部屋に入ってきてレスポールを弾き始めたんですよ。その姿がすごいかっこ良く見えて、「やるか、俺たちも」と。影響されやすいんです(笑)。

ストレイ・キャッツが流行った時は「俺もブライアン・セッツァーみたいに刺青を入れるか」とか考えてましたから。

―音楽にどっぷりだったんですね。

東山 ヘヴィメタみたいなやかましい音楽ばっかりでしたけどね。僕が高校生の頃はディスコが流行ってたんですが、そこに行くようなやつはテクノカットにスーツみたいなオシャレな人ばかり。一度、僕もぴちぴちの黒いズボンに破れたTシャツを着てディスコに行ってみたんですが、門前払いを食らいました(笑)。

ただ、バンドをやるにしてもローリング・ストーンズみたいな渋い音楽をやってればよかったのに、最初に憧れたのがイングウェイ・マルムスティーン(速弾きの“王者”と呼ばれるギタリスト)でしたから。とても自分の理想通りには弾けなくて、音楽は断念しました。

―では、どの時点で文学の世界に傾倒したんでしょう?

東山 旅行が好きだったので、大学生の頃、英語を勉強するために原書でレナードを読み始めたんです。それから海外文学を中心に読むようになったので、日本の小説はあまり読んできていないんです。文学よりもオートバイの方が好きだったし(笑)。

―当時は、どんなところを旅して?

東山 お金がなかったので、東南アジアを回って、バックパッカーが泊まるような安い宿に滞在してました。ちょうど沢木耕太郎さんの『深夜特急』が流行っていた頃なので、同じように世界を旅する若者は多かったんですが、僕はせいぜい夏休みに40日くらい旅行する程度でした。

『NARUTO』はベタな娯楽を意識してます

―特に面白かったエピソードとかは?

東山 ありますね。ある時、タイのチェンマイからラオスまで、バイクで遊びに行こうと思ったんです。朝、出発する時に宿のオヤジから「山道はゲリラが出るから早めに帰って来い」と言われたんですが、山の中を走ってる時にトラックにはねられてしまって(笑)。

うずくまっていても誰も助けてくれないし、血だらけでなんとか宿に帰ったら、オヤジたちがすごくよくしてくれたんですよ。数日後、今度はマレーシアのティアマン島というところに行ったんですが、今度は仲良くなった白人のバックパッカーに荷物をすべて盗まれました。

幸い、そこの宿のオヤジに泣きついたら「宿泊代はタダでいい、メシも食わせてやる」と、またまたよくしてもらえて。パスポートも再発給され、さあ出発!というところで…今度は宿が火事で全焼! 間一髪で脱出し、「もう2度と旅行には行かない」と誓いました。

―最初の旅で事故、盗難、火事! それはトラウマになりますね。

東山 でも、2年後に性懲りもなくまた行くことに(笑)。この時の経験は、小説には書いたことがないんですが、デビュー直後にエッセーでは披露しました。当時、書くネタがないから何度もこの話ばかり書いてたら、嫁さんに「またか」って呆れられましたけど(笑)。10年ぶりくらいに人に言いましたね。

―貴重な体験談をありがとうございます(笑)。さて、『流』で台湾の歴史にも踏み込んだ骨太の小説を書かれたわけですが、実は『NARUTO』などジャンプ系漫画のノベライズも手がけられているんですよね。最新刊『NARUTO─ナルト─ド純情忍伝』は、ナルトの師匠・自来也が書いたという体のオリジナルストーリー。お色気あり、ミステリーありの青春活劇です。

東山 『NARUTO』の読者層は中高生なので、僕の小説では書けないようなベタな娯楽を意識して書いてます。ただ、こういうベタな話は、実は僕の読者にとっても面白いものなんじゃないか、と最近気づいて。文体は違えど、『NARUTO』のノベライズで書いていることは、確実に『流』にも生きていますね。

―以前、自来也について語ったインタビューで、彼は“戦争と平和”というテーマに関して「解決できない問題をそのままに理解して、難問を抱えた世界を包み隠さず次の世代に提示し、託し」ていると仰っていました。こうした戦争観、平和観は『流』にも流れていて、ふたつの作品はすごく似ているのではと。

東山 そうかもしれませんね。『NARUTO』の作者の岸本斉史さんは“戦争と平和”について非常に深く考察していると思いますし、そこが子供たちの胸を打つんだと思います。僕自身も“戦争と平和”という問題について答えを持っているわけではないけれど、それは無理に答えを出そうとせず、そのまま受け渡していくことが大切なんじゃないかな、と思っています。

突き詰めて考えると、『NARUTO』で描かれている思想は大人も共感できることなんですよ。これが僕の小説に書かれていてもまったくおかしくない。『NARUTO』には、それだけの強度があると思います。

直木賞は“書き続けるための回数券”

―一方で、やはり低年齢向けということで、とても読みやすい文章になっています。ノベライズを書く際に気をつけていることは?

東山 例えば、僕の小説だと人が死ぬような場面でも『NARUTO』だと簡単には殺せないという部分はありますけど。割と好きに書かせてもらってますね。“生首がゴロン”みたいなシーンでも、漫画的に書けばOKかもしれないし。そのへんは担当編集に手綱を取ってもらって、バランスを取りつつ書いているという感じ。

ただ、すでに原作があるものなので、キャラクターがぶれないようにするのが一番気を遣うところ。ナルトらしからぬセリフは絶対に書いちゃダメですから。しかも、長い作品だから(全72巻の大作)、参照するシーンを探すのが大変。うちでは、どのシーンがどの巻にあるのか、妻がすべて表に書き出してくれてるんですよ。その表がなければ、ノベライズは絶対に書けてないですね。

―取材のマネジメントに表の作成と、奥さんからは印税を要求されてもおかしくありませんね(笑)。

東山 まあ、すでに僕のものはすべて妻のもの、なので(笑)。

―最後に、直木賞をとったことで作家としてひとつの区切りができたと思いますが、今後の野望などあればと…。

東山 野望というほどのものはないんですが、とにかく書き続けたいです。直木賞は、僕にとって“書き続けるための回数券”だと思ってるんです。というのも、今まで僕が出してきた小説は、商業的にはいまいちのセールスなんですね。それでも本を出せてこれたのは、各出版社の編集者たちが頑張ってくれたから。今回、直木賞というタイトルをもらったことで、彼らも僕の本を出しやすくなったと思うんです。

来年出る作品ももう書き上がっていますし、こうして本を書き続けられることが一番嬉しいです。漫画もすごく好きなので、ノベライズもどんどん手がけたいですね。もし許されるなら『To LOVEる』を僕がノベライズする、なんてどうでしょう…?(笑)

(取材・文/西中賢治 撮影/下城英悟)

■東山彰良(ひがしやま・あきら)1968年9月11日生まれ 台湾出身◯2002年、『タード・オン・ザ・ラン』で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞及び読者賞を受賞しデビュー(作品は後に『逃亡作法 - TURD ON THE RUN』と改題して出版)。09年『路傍』で第11回大藪春彦賞、15年『流』で第153回直木賞を受賞。小説執筆と平行して、福岡の大学で非常勤講師を務める。

■『流』講談社 本体1600円+税何者でもなかった。ゆえに自由だった――。1975年、台北。偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。内戦で敗れ、追われるように台湾に渡った不死身の祖父。なぜ? 誰が? 無 軌道に生きる17歳のわたしには、まだその意味はわからなかった。台湾から日本、そしてすべての答えが待つ大陸へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌 跡。第153回直木賞受賞作!

■『NARUTO-ナルトー ド純情忍伝』原作:岸本斉史 小説:東山彰良集英社 本体750円+税『イチャイチャパラダイス』の原点! 本当の幸せを求めて、二人は戦場へ赴いた。素直になれない男女のとびきり純情な戦いを描いた”作家・自来也”による 忍小説、ここに登場! 累計17万部突破の『NARUTO-ナルト- ド根性忍伝』の姉妹編にして、第153回直木賞受賞第一作!

直木賞作家・東山彰良が描く「NARUTO × 文学」。特設ページはこちら!http://j-books.shueisha.co.jp/pickup/naruto_dojunjoninden/