立ち木トラストに並んだオーナーの札。反対の看板

7月29日、山梨県中央市の数千本はある桑畑ーー。

ここで、今年度中にも始まるかもしれないリニア中央新幹線の建設に「待った」をかける“立ち木トラスト”の札かけが行なわれた。札の数、405枚。

地主の里中隆さん(仮名。60代男性)が立ち木トラストをやろうと決めたのは「JR東海があまりにも住民をバカにしているから」だった。

山梨県はある意味、リニア計画の本丸だ。かつての自民党のドン、故・金丸信が山梨県にリニア実験線を誘致して以来、リニアは超大型の「国策」事業と宣伝され(実際はJR東海の民間事業)、山梨県では自然と「リニア反対」を言えない雰囲気が熟成されていた。特に、田舎で「反対」を言おうものなら「国に逆らう面倒なヤツとのレッテルを貼られる」と、ある女性県民が教えてくれたことがある。

里中さんもそのひとり。オール山梨での推進なら自分だけが何を言っても無駄と思っていた。それが変わったきっかけは、JR東海の事業説明会でのこと。

リニア計画は昨年10月に国土交通省が事業認可し、その後、JR東海による今後の工事についての事業説明会が各地で開催された。里中さんは、中央市の説明会で純粋な疑問として「リニアはどこを走り、日陰の範囲は? 騒音や振動はどの程度か。何もわからないままでは納得できない」と質問した。すると、後ろから何人もの「そうだ!」と合いの手が飛んだ。

住民の質問へのJR東海の回答は「環境への影響は少ないと予測します」といった、あまりにも漠然としたもので「住民をバカにするな!」と里中さんは憤りを覚えたが、合いの手には「ああ、疑問を抱いているのは私ひとりじゃなかったと嬉しかった。それから、その人たちとリニア問題を話し合うことになったんです」

初めは内輪的な集会だったが、市民として市やJR東海に物申していこうと、住民たちは今年4月に市民団体「中央市リニア対策市民の会」(内田学代表。以下、市民の会)を設立した。

市民団体「中央市リニア対策市民の会」の会合

土地は二束三文、分断される自治会

JR東海が計画するリニアは、東京都の品川から名古屋までの286キロを最高時速500キロでわずか40分で結ぶ。2027年の開通予定だ。

トンネル区間はその86%の246キロ。残り14%である40キロの地上区間のうち、山梨県にはその27キロが集中する。これは、山梨県に用地買収の対象となる家屋や田畑が集中することを意味する。その数、地権者なら約1300人。移転補償が必要な民家・企業・公共施設なら約330棟と予測されている。

今回の桑畑もそのひとつ。予定では地上30メートルの高架を走るリニアのために約800㎡が収用され、それを免れた畑も高架が作る日陰で桑の生育に多大な影響が出ると里中さんは予想する。

「だが、JR東海はただの一度も地主たちに『よろしくお願いします』と頭を下げたことがない。それどころか、住民を無視して工事をどんどん進めようとしている。これに腹が立つ」

こう思っているのは里中さんだけではない。会員のひとりに中央市の布施第5自治会に住む山口武文さん(71)がいる。同自治会には200世帯以上が暮らすが、このうちの約50世帯がリニアの走行ルートにかかり、山口さんの畑も一部がその対象。つまり、自治会は立ち退く人と立ち退かない人とに地域分断されるのだ。

内田さんや山口さんの自宅近くを県道12号線が走るが、その真上を新山梨環状道路という高架式の自動車専用道路が09年に開通した。さらにリニアは、この環状道路の数十メートル横を数キロ平行に走るため様々な問題が発生する。

「立ち退かない人でも、専用道路とリニアに挟まれると、日照権と眺望の両方が奪われます。そんな生活が嫌で土地と家を売ろうと思っても、そんな不動産は二束三文。住み続けても固定資産税はそのままです。踏んだり蹴ったりですよ」

そう語る山口さんは、納得のいく説明を求め、今年2月16日、JR東海に地区での個別説明会を開催させる。立退き対象、約50戸のうちの22戸が参加したが、住民の質問にはやはり「影響は少ないです」「適正に対処いたします」の繰り返しに終始した。

納得できない。山口さんが市民の会に参加するのは当然の流れだった。

左が新山梨環状道路。リニアはこの右横数十メートルをしばらく平行に走る。立ち退きを免れる家屋でも、環状道路とリニアの高架の日陰で暮らすことになる

個別交渉より、強制測量を強行?

市民の会の最初の目標は「我々が納得するような住民説明会の開催をJR東海に求める」ことだった。市民の会はこれを文書で要請。

「ところが驚きました。その回答もないのにJR東海は4月下旬、中央市の4地区に『中心線測量を5月中旬から実施します』との回覧を回してきたんですから。一斉通知ではなくて回覧ですよ」(里中さん)

中心線測量とは、用地取得の範囲を明確にするための測量だ。実質的な工事開始とも言える。「順番が逆じゃないか」と市民の会は5月15日、甲府市にあるJR東海環境保全事務所にまで直接出向き「中心線測量は受け入れられない」との抗議書を手渡した。

果たして、測量は今も始まっていないが、これが契機ともなり、リニア市民ネットと市民の会は前々から考えていた立ち木トラストを急ぐことになったのだ。

今年5月、市民の会の協力団体である市民団体「リニア・市民ネット」は、桑の木一本を1千円で購入するオーナーを募集したところ、北は福島県から南は長崎県からの購入申し込みが相次ぎ、当初予定の405本はあっという間に完売した。

「リニア・市民ネット」の川村晃生代表は「それだけリニア建設に対する問題意識が広がっている証です」と噛みしめるように語る。今後、買収を担当する山梨県は、全国に点在する405人のオーナーと個別に立ち木の買収交渉に当たらなくてはならない。JR東海も否が応でも工事の遅れを意識せざるを得なくなることは間違いない。

また、里中さんの畑の収用対象地には、まだ200本ほどの桑の木があり(8月25日時点)、これもオーナーの第二次募集をかける予定だ。さらには、隣の南アルプス市や神奈川県相模原市でも同様の運動を考え始めている住民がいる。

しかし、JR東海が過去、各地での住民説明会で明言してきたことは「リニアの名古屋開通2027年はずらせない」ということだ。そうだとすると、今後数千人になるかもしれないオーナーたちへの個別交渉に多大な時間をかけるより、山梨や神奈川では強制測量に臨む可能性も考えられる。その先には強制収用も待っている。

だが、それが各地で頻発した時、リニア計画は社会的な正当性を得られるのだろうか?

中央市の隣の富士川町ではこんな看板が何十枚も立っている。住民は立ち退きに反対している

「反対を無視してまで着工はしない」は大嘘?

実は、JR東海はこうも言っているーー「住民の反対を無視してまでの着工はしない」。

…これは強制収用とは相反する姿勢だ。どちらがJR東海の本音なのか?

もっとも、JR東海の言う「住民」とは、住民が選んだ議員や議会、または首長を意味するとも考えられる。事実、少なからぬ住民がリニア建設を怖れている長野県大鹿村では、JR東海は「住民」とはわずか10数名の村民で構成する「リニア対策委員会」であると公言。一般住民の意向は大切にされていないでは?と思える。

前出の里中さんは、JR東海の対応に何度も失望している。市民の会の最初の要望であった再度の住民説明会は未だに開催されず、そのため立ち木トラストの前日28日、市民の会とリニア市民ネットの両団体は、甲府市のJR東海中央新幹線山梨工事事務所に「住民に丁寧な説明会を求める」要望に赴いた。

ところが、驚いたことに翌日、札かけに出かけようとしたまさにその朝、JR東海の工事事務所から再度、一方的に「8月に中心線測量を行なう」旨が書かれた回覧板が回されたのだ。前日の要請行動では、その話は一切なかったにもかかわらずである。

「私はね、JR東海の企業体質は本当によくないと思う。こうやって住民を軽視してばかりで、どうやって私らの理解を得られるのかね」と里中さんの憤りは収まらない。

ちなみに2011年以降、JR東海は建設に必要な法律に則(のっと)り、各地で延べ数百回の説明会を開催してきたが、どこも司会者は自社の社員ばかり。当然、杜撰(ずさん)な回答も許されるわけだ。

事ここに至っては、第三者に司会を委ねた上で、JR東海、市民、有識者、自治体などが一堂に会しての公開討論会こそが望ましいはず。そうしなければ、リニアは地域住民の多くに恨まれるだけの存在にしかならない。

(取材・文/樫田秀樹)