「川の氾濫により3メートル以上浸水する恐れがある」と警告するゼロメートル地帯にある標識

多数の犠牲者を出し、水害の怖さを思い知らされた鬼怒川の氾濫――。

だが、「このままでは“第二の鬼怒川”になる」との懸念の声が高まっているのが東京の大動脈・荒川だ。

前回記事では、決壊の危険度が極めて高い、荒川陸橋の“堤防のくぼみ”についてレポートしたが、住宅密集地が多い荒川の下流域には他にも危ういポイントがある。

それは荒川陸橋から数キロ下流にある人口約70万の町、江戸川区だ。元江戸川区・土木部長で『首都沈没』の著者でもある土屋信行氏がこう話す。

「荒川に沿う江戸川区は、区内のおよそ7割が東京湾や荒川の水面よりも地面が低い〝海抜ゼロメートル地帯〟。現地に行って左右を見比べれば、堤防の外側の道路が荒川の水面よりも低い位置にあることが一目瞭然です」

海抜ゼロメートル地帯で堤防が決壊すれば…?

「東日本大震災時の津波は到達するまで30分程度の猶予がありましたが、大量の川水が、川の水面と同じ高さになるまで一気に流れ込んできます。逃げる時間はありません」

だが、荒川の西側(都心側)にある江東区や墨田区にも海抜ゼロメートル地帯はあるのだという。東側(千葉側)にある江戸川区だけが、なぜ危険なのか。

「このエリアの堤防は、多数の犠牲者を出した明治43年の東京大水害の後で建設が始まったのですが、ここで決定的な問題となるのが、当時の堤防の設計思想です。

実は、都心部を守るために西側の堤防は高く分厚くし、東側はそれよりも低く薄く造られているのです。つまり、増水で川の水位が上がった場合、江戸川区側が先に越水し、都心側には水が浸入しない構造になっている。私が実測したところ、東側堤防は西側に比べて平均約1メートル、一番低いところでは2メートル以上の差があります」

コンクリート堤防の内部はスカスカ?

そんなのありか…もし決壊となれば犠牲者になる江戸川区民が許さないのでは?

「昔の江戸川区は農村地帯でしたから数年に一度、上流から肥沃な土地を運んできてくれる洪水にはそれなりの恩恵がありました。実際、洪水に見舞われた翌年は米の収穫高が2~3割程度上がっていたようですから都心部を守るという堤防の設計を許せた。

しかし、農村地帯がなくなり、住宅密集地と様変わりした今、洪水は人命や家財を奪うだけの危険な対象でしかありません。早めに東側堤防のかさ上げ工事に取り掛かるべきですが、予算の都合か、まだ整備は進んでいません」

さらに、江戸川区のゼロメートル地帯に整備された荒川堤防にはこんな問題も…。

「このエリアの堤防は元々、土手(土の堤防)だった部分の上面と両側面の三面をコンクリートで覆う構造になっています。この〝三面張り構造〟は堤防の強度を高める上では効果的ですが、内部の土の状態が見えないのが怖いところ。メンテナンスが行き届いていないと、例えばコンクリートのすき間から入り込んだ雨水が土を押し流し、内部で空洞化が進んでいる恐れがあります」

空洞化が進んだ堤防は崩落しやすい。

「地震の揺れや老朽化によって堤防が一気に崩れ落ちるんですね。阪神淡路大震災の時、一級河川である淀川に整備されていた三面張り構造の堤防が崩落しましたが、その原因がまさに内部の空洞化でした」

荒川の堤防の場合はどうなのだろう?

「コンクリートで覆った後、内部が空洞化していないかを定期点検し、必要なら土を詰めて堤防の強度を保たなければいけませんが、一度造ると『大丈夫』と思ってしまうのがコンクリートの怖さ。荒川の堤防もメンテナンスは行き届いていないと思われます」

宇宙人が攻めてくるより現実的だ!

そこには、水害を甘く見る社会の風潮があるのだと土屋氏は指摘する。

「江戸川区役所に在職していた5,6年前、土木部長として区内の堤防強化事業に携わっていたのですが、地震に強く、越水しても壊れない高規格堤防(通称・スーパー堤防)の整備を八ツ場ダム同様に『ムダだ!』と、民主党の事業仕分けで廃止判定を受けました。

当時は地元の江戸川区議でさえ、『治水対策にカネを使うなど、宇宙人が攻めてくるという噂に怯えて武器を用意するようなものだ』と平気で言っていたほどです…。地震対策に比べれば予算がつきにくい現状もありますが、今回の鬼怒川の氾濫を機に堤防強化が前進することを願っています」

現在、江戸川区ではスーパー堤防の建設が再開されているのだが、区の試算によれば、完成までには200年という途方もない年月と、2兆7千億円もの予算が掛かるとのことで、一部の住民が反対している実情もある。堤防の高さに見られる“東西格差”を是正するなど他に優先すべき堤防強化策があるのではないだろうか。

(取材・文/興山英雄)