国際コラムニスト・加藤嘉一の本誌連載コラム「逆に教えて!」。最終回となる今回は…。

***「北京」と聞いて、皆さんは何をイメージしますか? 軍事パレードが過ぎ去った後、ぼくにとっては“第二の故郷”でもある、この街の未来について考えてみました。

「抗日戦争勝利記念日」の9月3日、北京で軍事パレードが行なわれました。主会場の天安門(てんあんもん)広場から約10km離れたぼくの住まいの周囲でも、前日の昼からレストランはほぼ営業停止。この事実を、ある太子(たいし)党の人間に共有すると、「北京は政治が一番大事。経済は二の次だ」と言ってニヤけていました。

このイベントは、3つのポイントから分析すべきだと考えます。

ひとつ目は「抗日」。パレード当日の朝から3、4日間にわたり、CCTV(中国中央電視台)では抗日戦争勝利70周年の特別番組が繰り返し放映されました。日本に訪れる中国人観光客がこれだけ増えても、あのようにテレビが抗日一色になっては、国民感情として日本に好印象を持つことは難しいと痛感させられました。

ふたつ目は「国内政治」。式典では現役・長老を含め、中国共産党指導部の要人たちが天安門の楼上に立ち並びました。そこには江沢民(こうたくみん)元主席、李鵬(りほう)元首相、温家宝(おんかほう)前首相、曽慶紅(そけいこう)元副主席など、反腐敗闘争の“次のターゲット”と目されてきた面々もいましたが、壇上での様子を見るかぎり、習近平(しゅうきんぺい)国家主席はそんな“問題長老”たちに対し相当程度、気を使っているように感じられました。

3つ目は「対外関係」。これは大失敗というのがぼくの率直な感想です。政府首脳を派遣した先進主要国はロシア(プーチン大統領)と韓国(朴槿恵[パククネ]大統領)のみ。習主席がプーチン大統領との蜜月ぶりをアピールしたのはしらじらしく、同盟国アメリカの意向を蹴ってまで出席した朴大統領の表情やしぐさは、「中国に取り込まれた感」が露骨に漂っていました。

それと、CCTVの番組が「中国共産党の正しい指導により、我々は抗日戦争に勝った」と宣伝していたことには驚かされました。抗日戦争を引っ張ったのが蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党であることは周知の事実で、この宣伝は歴史的事実を改竄(かいざん)しています。台湾の馬英九(ばえいきゅう)総統は前日の談話で、「抗日戦争は国民政府の蒋介石委員長が全国軍民の厳しい闘いを領導した成果だ」と中国側を牽制(けんせい)していましたが、抗日の歴史観という問題は、今後の中台関係にとって大きな不安要素になるでしょう。

北京、そしてぼくに課された使命

今回の軍事パレードは、ぼくにとって、学生時代を含め約9年半を過ごした北京というかけがえのない街の未来について考えるきっかけにもなりました。冒頭の太子党員の言葉にもあるように、北京は“政治の都市”です。しかし、当の北京市民は自分の仕事や生活のことで精いっぱい。主体的に政治に関与しようとはしません。

例えば、アメリカの首都ワシントンD.C.は政治に特化した都市で、経済や文化、教育といった分野では他に中心地がありますが、今後、北京という街はどのような役割を担うべきか。個人的には政治、文化、教育、外交、科学技術といった側面を集中的に発展させつつ、国家の政治・経済・社会を盛り上げていってほしい。

中国は移民ブームで、富裕層が続々と海外へ移住しています。汚染、教育、医療、食品、政治的自由などの問題を懸念して逃げているのです。先日、中学・高校の同級生が結婚するというので、「新婚旅行で遊びに来いよ」と声をかけたら、「北京は勘弁してよ」と断られ、寂しい思いをしました。

大国・中国の首都として、「ここに住みたい」「行ってみたい」と思えるような、有機的・民主的で、自由と多様性に富んだ国際都市を創造すること。それこそが北京という街に課された使命ではないだろうか。そして、そう願望するだけではなく、北京にお世話になってきた独(ひと)りの人間として、進化の過程に具体的行動でコミットメントしていくことが、ぼくに課されたささやかな責務だとも勝手に自覚している。この思いが幻想だというなら、逆に教えて!!

●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU)日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェロー、ジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員を経て、今夏から再び北京へ。最新刊『中国民主化研究 紅い皇帝・習近平が2021年に描く夢』(ダイヤモンド社)が発売中。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」も活動中!