高卒後、ブラジル留学を経て07年にルーマニア3部のクラブに入団し、苦節8年。現在、トルコリーグで活躍中の瀬戸選手のキャリアが花開こうとしている

日本にいた時はJリーグに見向きもされなかった無名の選手が、今や億単位の高額オファーを受けるまでにーー。

プロ経験がないまま渡ったルーマニアで8年間プレーし、そこでの実績と活躍が認められ、今夏、欧州でも注目度の高まるトルコリーグへの移籍を果たした瀬戸貴幸(29歳)。

サウジアラビアのアル・ナスルが2年2億円、カタールSCも3年2億円など中東の金満クラブから立て続けに高額オファーを受け、激しい守備と積極的な攻め上がりを持ち味とする大型ボランチに欧州での奮闘の日々、そして日の丸への思いを聞いた!

―8年間在籍したルーマニアのアストラからトルコのオスマンルスポルへの移籍は急転直下だったようですね。

瀬戸 バタバタでした。朝起きたら代理人からメールがきていて、飛行機のチケットを取ったからすぐに空港に来てくれ、みたいな。それでチームメイトや監督とは何も話せないまま、スーツケース1個だけ持ってアンカラ(オスマンルスポルが本拠を置くトルコの首都)に行って、次の日には練習に参加。それが週の初めで、その週末にはリーグの開幕戦に出ていました。

―決断に迷いはなかった?

瀬戸 決して簡単ではなかったです。移籍はずっと考えていましたけど、やっぱり欧州リーグ(旧UEFA杯。チャンピオンズリーグに次いで権威のある大会)に出るのって魅力ですから。結果的に今季のアストラは予選最終戦のプレーオフで敗れてしまいましたけど、移籍の話が来た時にはまだ欧州リーグに出るチャンスがありました。

ただ、リーグ全体のレベルを比較すれば、トルコのほうが全然上。ガラタサライ、フェネルバフチェ、ベシクタシュなどの強豪と普段から戦えるのは魅力ですし、自分がより成長できるリーグだと思ったんです。

―近年勢いを増すトルコリーグには今夏、オランダ代表FWファン・ペルシ(マンチェスター・ユナイテッド→フェネルバフチェ)、ドイツ代表FWポドルスキ(アーセナル→ガラタサライ)、元ドイツ代表FWマリオ・ゴメス(フィオレンティーナ→ベシクタシュ)ら多くのスター選手が移籍を果たしています。

瀬戸 他にも、ガラタサライにはスナイデル(オランダ代表MF)がいますし、アンタルヤスポルにはエトー(元カメルーン代表FW)も来ました。ルーマニアリーグにはスター選手はいなかったですから、そういう選手とできるのは楽しみです。

最初の給料は月2、3万円

―今季昇格組のオスマンルスポルは、第2節で強豪ガラタサライから金星。敵地で昨季王者に競り勝ち、瀬戸選手も途中出場し、勝利に貢献しました。

瀬戸 かなりラッキーな勝利でしたけどね(笑)。僕的には今のところ残り15分とか20分の途中出場が続いているので、まずは毎日いい準備をして、先発のチャンスをつかみたい。

僕は途中から出て流れを変えるタイプではないので少ない時間でアピールする難しさはありますけど、中盤でのパスの散らしやボランチからの飛び出しなど、自分の色を出せればやれる自信はあります。シーズンはまだ長いですし、とにかく折れずに練習あるのみですね。

―瀬戸選手は高校卒業後、ブラジル留学を経て、2007年にルーマニア3部(当時)のアストラにテスト入団。それから8年、昨季は欧州リーグ出場も果たし、ついにトルコリーグへとステップアップを果たしたわけですが、8年間は長かった?

瀬戸 3部とはいえ、プロになれるかもしれないという話を聞いて、何も知らずにルーマニアに渡ったわけですが、さすがに8年もやるとは思ってなかった(笑)。でも、今考えると僕にとっては3部からチームと一緒に成長していけたのは運がよかったかもしれないですね。

寮があったので住む所と食事はなんとかなりましたけど、最初の給料は月2、3万円。2部の時も月10万くらい。しかも、支払いが最大で3ヵ月遅延なんてこともありました。まあ、ルーマニアでは当たり前のことなんですけど。

自信を持って「プロサッカー選手です」と言えるようになったのは1部に上がってから。今のトルコでは勝利給も3日後くらいにはキャッシュでもらえ、基本給に手をつけずに生活していける感じなので、環境的には恵まれています。

●この続きは明日配信予定! インタビュー全文は『週刊プレイボーイ』41号でもお読みいただけます。

■瀬戸貴幸(せと たかゆき) 1986年生まれ。愛知県出身。181㎝、73㎏

(取材・文・撮影/栗原正夫)