中東クラブ、Jリーグのクラブから数々のオファーを受け、日本代表スタッフもすでに接触していた! 瀬戸選手が“メジャーデビュー”する日も近い!?

日本にいた時はJリーグに見向きもされなかった無名の選手が、今や億単位の高額オファーを受けるまでに――。

プロ経験がないまま渡ったルーマニアで8年間プレーし、今夏、欧州でも注目度の高まるトルコリーグへの移籍を果たした瀬戸貴幸(29歳)。

激しい守備と積極的な攻め上がりを持ち味とする大型ボランチが前編に引き続き、欧州での奮闘の日々、日の丸への思いを語る!

―そもそも高校卒業後、なぜブラジルへ?

瀬戸  2歳上の兄が先にブラジルに行っていたこともあって、自分にとっては自然な流れでした。ブラジルには兄と入れ違いで約1年半いて、コリンチャンス時代には テベス(アルゼンチン代表FW・ボカ・ジュニアーズ)やウィリアン(ブラジル代表MF・チェルシー)らとプレーすることもあって、今考えると彼らとやっていたのかと感慨深くなります。

ブラジル時代には日本食が恋しくホームシックになったこともありましたけど、元々、海外への抵抗感は少なかった。ルーマニアに行った時も、当時はスマホもないし、インターネットも今ほど普及していなくて不便でしたけど問題ありませんでしたね。両親は僕が生きているかどうかもわからなかったと思いますが(笑)。

―ルーマニアでプロになっても厳しい環境が続きましたが、その間、何が瀬戸選手を支えていた?

瀬戸 チャンピオンズリーグや欧州リーグに出るという目標と、日本代表入りをモチベーションにここまでやってきました。すべてがアストラ(8年間在籍したルーマニアのクラブ)で叶(かな)うとは思っていませんでしたけど、そうした目標がなければ続かなかったと思います。

―昨季は、その目標のひとつだった欧州リーグへの出場も果たしました。

瀬戸 ザルツブルク戦でゴールを挙げた瞬間が、これまでサッカーをやっていた中で一番嬉しかったですね。

―10年夏にはサウジアラビアのアル・ナスルから2年2億円、13年夏にはカタールSCから3年2億円という中東の金満クラブからの高額オファーが届きました。その時も迷わなかった?

瀬戸 お金が一番じゃないんですよ。それよりも、チャンピオンズリーグに出られるなら、僕は安月給でもまったく問題ない。(オファー拒否に)迷いはなかったですし、むしろ毎日のように代理人を名乗る人物からメールや電話がくるのがストレスでした。

不自由のない人生なんて面白くない!

―ここ数年は、Jリーグのクラブからも獲得の声がかかっているそうですね。

瀬戸  あるクラブのGMが来てくれたり、電話で連絡をもらったクラブもありました。でも、今は欧州でやりたいので気持ちは全然傾かなかったですね。日本にいれば生活に不自由はしません。でも、生活に困らなかったら人生面白くないじゃないですか。なんでもそろっている人生なんて、僕には逆に退屈かもしれない。 それにサッカーは世界中でやっていますから。

―ザッケローニ監督時代には、日本代表のスタッフがルーマニアを訪れたこともあったと聞きました。

瀬戸 それがルーマニアに長くいた理由のひとつですね。代表のスタッフの方が見に来てくれた際に「もう1年半くらい前から見ているから」と言われて。その頃はアストラも欧州リーグを狙えるクラブになっていたので、ここでもいいんだなと思いました。

―現在のハリルホジッチ監督も就任直後に「ルーマニアにいい選手がいるのは知っている」と話していました。今回のオスマンルスポルへの移籍で、チャンスはさらに大きくなるかもしれません。

瀬戸 ここでアピールできれば、代表もそうですし、さらにレベルの高いチームに行けるかもしれない。ハリルさんは東欧出身で、トルコのクラブで監督をしたこともある人なので、あとは自分次第。それにこれまで欧州で日本人選手がいるチームと一度も対戦したことがないんですが、今季は(何度も日本代表に選出されている)細貝萌(はじめ)選手のいるブルサスポルとの対戦があるので、そこで活躍できれば日本で報道されるかもしれない。まあ、その前に僕が試合に出られないと意味がないですけど。

―瀬戸選手は現在29歳。代表デビューを飾るには遅すぎるとの指摘もありますが、今年、日本代表ではDF丹羽大輝(にわ・だいき、G大阪)が29歳にして初選出されました。

瀬戸 世界を見ても、35、36歳でもバリバリやっている選手は多い。自分は来年30歳ですけど、チャンピオンズリーグや日本代表を目指してまだまだガンガンやっていきたいですね。

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ユース世代から将来を期待されてきた多くのエリート選手にはない、タフさや泥くささが魅力の瀬戸。新天地トルコでの奮闘にも注目だ!

●インタビュー全文は『週刊プレイボーイ』41号でもお読みいただけます。

(取材・文・撮影/栗原正夫)