ご当地ヒーローの草分けとも言われている「超神ネイガー」

日本全国に存在する地域オリジナルのローカルヒーロー。ゆるキャラと共に地方活性、地域おこしの旗手として、その活動は各地で独自に展開されている。

そのご当地ヒーローの草分けとも言われている「超神ネイガー」をご存知だろうか。2005年に生まれ、言葉から武器、コスチュームまでローカルな要素を目一杯に盛り込みつつも、あまりの完成度の高さから全国でも話題となった、秋田県発のご当地ヒーローだ。

しかも、ネイガーのテーマソングを歌っているのは“アニメソング界の帝王”こと水木一郎アニキ。アニキをして「ローカルヒーローではネイガー以外は歌わない」とまで言わしめたのが、この超神ネイガーなのだ。

そんな秋田が生んだヒーローが今年で生誕10周年を迎える。そこで、ネイガー“生みの親”に誕生秘話、そしてこの10年間を振り返っていただくため現地・秋田へと飛んだ!

■地域経済に貢献した超神ネイガー秋田県は自殺率と人口減少率において、例年、全国ワーストクラス。そんな苦境に立たされている同県で超神ネイガーは “地産地消ヒーロー”として地元の人々に勇気を与え続けている。

「今年で誕生から10年を迎えましたが、今でも県内各所で熱狂的な歓迎を受けています。“秋田県民の、秋田県民による、秋田県民のためのヒーロー“が超神ネイガーなんです」

そう語るのは、海老名保さん――超神ネイガー“生みの親”である。

経営するスポーツジム F2 ZONE(エフツーゾン)にて語る、海老名さん。数々のヒーローを生み出した空間には、あちこちに造形物が並ぶほか、壁には、子供達からのお手製メッセージも飾られていた

「超神ネイガー」の主人公は、秋田県にかほ市にて農業に従事する青年、アキタ・ケン。悪の組織「だじゃく組合」から秋田の平和を守るために超神ネイガーに変身し、キリタンポ型の剣「キリタンソード」や県魚ハタハタ型の銃「ブリコガン」で戦う。“戦う秋田名物”のキャッチフレーズ通り、赤と黒のコントラストが印象的なマスクは、秋田名物ナマハゲをモチーフにしており、ネーミングもナマハゲの「泣ぐ子はいねえがー」をもじったものだ。

ネイガーショーの公演数は年間で200回以上、動員数は10万人と、その人気は凄まじいもの。“ご当地キティ”のようなキャラクターの版権使用料は定価の3%が一般的だが、ネイガーの版権使用料は5%と少々強気な設定。それにも関わらず、空港や道の駅には「超神ネイガー 豪石クッキー」などネイガーをあしらった多種多様なグッズが並んでいる。過去、秋田県内において、ロイヤリティー換算で約2億円に値するネイガーグッズが流通したこともあったという。

にかほ署で、一日警察署長を拝命したネイガー

プロレス団体に入団するも脳挫傷で意識不明

さらに秋の全国交通安全運動期間には、県内各市町村で「一日署長」を拝命。加えて、ネイガーの“お膝元”にかほ市では、小学1年生に配布する黄色の「ランドセルカバー」にイラストが採用されるなど、自治体公認キャラクターではないにも関わらず、県内あらゆる地域の人々に愛されているのだ。

「でも傍目には順調に成長・拡大してきたように見えるかもしれませんが、実は平坦な道のりではありませんでした。この10年は本当に危ないことだらけ。『もうダメだ』と崖っぷちに立たされたところで逆転劇があったりと、いつどうなるかわかりませんでした」

ネイガーが今の人気を勝ち取るまで苦労の連続だったと語る海老名さん。もっとも、彼自身、10代でプロレスラーを目指して生死の境をさまよい、20代でアクション俳優を目指すも挫折するなど「ネイガープロジェクト」を始める以前から苦労の多い人生を歩んでいた。

1969年、秋田県象潟(きさかた)町(現:にかほ市)に生まれた海老名さんは、仮面ライダーやタイガーマスクなど特撮ヒーローが大好きな子供だった。ヒーローになりたいという思いから、高校卒業と同時に前田日明(あきら)氏率いるプロレス団体・新生UWFに入門。しかし練習生となってから3カ月後、脳挫傷を起こし開頭手術。退団を余儀なくされる。

「高倍率の応募者の中、入団できたのは本当にラッキーだったのですが、ボロが出てケガをしてしまいました。自己流で受け身を繰り返していたので脳挫傷を起こしてしまったんです。あの時はまだ“子供”だったせいもありますが、格闘技の経験もゼロだったのに、いきなり我流でリングに上がって…というのは無茶だったろうと思いますね」

プロレスへの夢が破れた後はアクション俳優を目指すが、後遺症もネックになり再度挫折。地元秋田に帰ってスポーツジムの経営を始めた頃、チャンスが訪れた。「ヒーローショーをやってくれないか?」という、願ってもない依頼が舞い込んだのだ。

「ジム経営をやっと軌道に乗せたので、暇を見ては東急ハンズで買った材料で粘土からマスクを作っていたんです。地元では『筋金入りのヒーローオタクのスポーツジム経営者がいる』と有名な存在になっていましたね(笑)」

とはいえ、当初の依頼内容は、あくまでもプロデュース。それがイベント開催までに交渉は二転三転――ついに海老名さん自身が、自ら造形したオリジナルヒーロー『伝統超人ネイガー』のマスクをかぶり、舞台に立つこととなる。記念すべき初興行の結果はというと…約50万円の大赤字だった。

“秘密基地”であるトレーニングジムF2-ZONE(エフツーゾーン)内にある製作現場。マスクや武器もすべて手作り。

ネイガーをもう一度世に出したい!

しかしイベントから1週間後のことだった。海老名さんの元に、ジムの会員が子供を連れて訪れた。聞けば、ショーに連れて行ってからというもの、息子がネイガーの変身ポーズの真似ばかりやっているのだという。TVにも出てこないオリジナルヒーローを好きになってくれた子供がいた…その事実は、海老名さんを再度奮起させるに充分だった。

ネイガーをもう一度世に出したいという、海老名さんの志に賛同した高校の同級生もメンバーに加わり、そこから「ネイガープロジェクト」が本格始動する。

ブルーが基調だった伝統超人ネイガーのコスチュームも、保育園の頃からの幼馴染、高橋大さんがデザインしたナマハゲモチーフの赤いマスクへと一新。共同原作者であり脚本担当も務める高橋さんは、キャラクター名やセリフに今の若い人たちが使わないような秋田弁もあえて取り入れ、徹底的に秋田産にこだわった。

かくして復活の機会を狙っていたところ、チャンスは2年後に訪れた。2005年、「秋田こまちプロレス」大会でショーを開催。ついに『超神ネイガー』の誕生である。

「とにかく、秋田に住んでいる子供たちだけじゃなく、本当に多くの方が応援してくれたんですよ。行く先々で、『秋田をこれだけ楽しくしてくれてありがとう』とまで言われて。『この人達、みんなエキストラで、ウソなんじゃないか』と、本当に信じられないぐらい歓迎されたんです」

●この続きは明日配信予定! 再出発も内部離反など多難な道のりが…。

キリタンポ型の剣「キリタンソード」から繰り出す必殺技は「比内地鶏クラッシュ」。二刀流で初めて舞台にお目見えしたとき、客席は大爆笑の嵐だったのだとか

(取材/文 山口幸映)

■海老名保(えびな・たもつ)高校卒業と同時に前田日明率いるプロレス団体・新生UWFに入門。退団後はスポーツジム経営を経て、2005年、故郷秋田でネイガープロジェクトを主宰し『超神ネイガー』を世に送り出した。著書に『奇跡のご当地ヒーロー「超神ネイガー」を作った男~「無名の男」はいかにして「地域ブランド」を生み出したのか~』(WAVE出版、2009年刊)がある。沖縄のローカルヒーロー『琉神マブヤー』デザイン、造形や株式会社ブシロード制作の特撮TVドラマ『ファイヤーレオン』の総合演出を務めた他、2014年からはヒーロー造形ノウハウを公開する会員制サイト「変身部隊X」も展開中。株式会社正義の味方及び、スポーツジムである有限会社F2-ZONE(エフツーゾーン)を経営。

■超神ネイガー(ちょうじん ねいがー)“戦う秋田名物”“地産地消ヒーロー”というキャッチフレーズの通り、秋田県を代表するキャラクターで、基本的に秋田県内でのみショーを行う。地域に大きく貢献し、2007年には NHK東北ふるさと賞、2008年には さきがけ創刊記念賞を受賞。2007年よりABS秋田放送にて『LAWSONプレゼンツ 超神ネイガーVSホジナシ怪人?海を、山を、秋田を守れ!?』放映開始。誕生以来ずっと海老名さんが演じてきた主役のネイガー役は2013年より後進に交代している。