「『アメリカ一極』の時代が続く間は『寄らば大樹の陰』『強い者に巻かれろ』というふうにやっていくのが、現実的な平和への近道です」と語る冨澤氏

賛成派、反対派の激しい応酬の末に、与党の強行採決という形で成立した安全保障関連法。

だが、最大の争点となった「集団的自衛権」の定義をはじめ、「政治」と「軍事」の関係や、日本を取り巻く国際情勢の変化など、「国防」「安全保障」を考える上で必要な基礎知識について、僕たちはどの程度理解しているだろうか? そうした疑問に正面から答え、安全保障を考える上での良質な「教科書」となるのが『逆説の軍事論』だ。

陸上自衛隊の最上位、陸上幕僚長を務めた経験のある冨澤暉(ひかる)氏が、「左翼の夢想」と「右翼の妄想」を排して語る現実的な軍事論は、表面的な賛否の応酬を超えた「実のある安全保障議論」のヒントを与えてくれる。

―9月に成立した「安保関連法」について、冨澤さんはどのように評価されていますか?

冨澤 いくつかの点で不満は残りますが、歴代の内閣と比べれば格段の進歩で、私はよくぞここまで「積極的平和主義」を具現化してきたものだと、高く評価しています。

ただし、衆参両院での議論が不十分であったのは事実で、ここからさらに議論や改善を重ねながら、日本が世界の平和に貢献できるようになってほしい。それがすなわち、日本の平和を意味すると考えるからです。

―国会での議論が不十分なものになってしまったのはなぜでしょうか?

冨澤 今回、国会での議論が実のあるものにならず、賛成派、反対派双方の「安全保障」に関する理解が深まらなかった要因のひとつは、争点が「集団的自衛権」の解釈ばかりに偏ってしまったことだと思います。

集団的自衛か、個別的自衛か? 警察権の行使か? それとも集団安全保障なのか? 本来、想定される各種事態によって対応に関する「法的根拠」は異なるにもかかわらず、それらをあいまいな「集団的自衛権」の解釈でひとくくりにした。

その結果、安倍首相がパネルを持ち出して説明した「アメリカ艦艇で避難する日本人の親子」など、現実的に起こり得ない「15事例」が示され、政府側の論理にも無理が生じ、反対派との議論も噛(か)み合わなかった。

こうした混乱の根本の原因は、政治家をはじめ、国民も含めた日本人全体の軍事に対する基礎知識の欠如、特に軍事に関する「語彙(ごい)」について理解や認識が足りなかったり、バラバラなことにあると思います。

私は最近、安保関連法に反対の立場である元防衛官僚の柳澤協二さんや、東京外語大学の伊勢崎賢治さんとよくお話しするのですが、お互いの考え方は違っても、国防や軍事に関する語彙への理解や基礎的な知識がきちんと共有できていれば、自分と反対の立場に立つ方とでも、お互いの立場を尊重しながら論理的で噛み合った議論ができる。

この本のもとになったのは、安全保障の基礎について私が大学生向けの教科書に書いたものでした。今回、その内容を膨らませ、より幅広い層の人たちに読んでもらえる形にすることで、国防や安全保障について考えるための基礎的な知識や、軍事に関する「語彙」への理解を身につけていただきたかった。

そうすることによって日本の安全保障や国防に関する議論をより実のあるものにしたいというのが、この本の執筆に至った動機のひとつです。

今回の安保法制への不満点は?

―ところで、今回の安保法制にはいくつか不満も残るというお話でしたが、具体的にどのような部分でしょうか?

冨澤 ひとつは集団的自衛権ばかりが争点になり、いわゆる「有志連合」への参加も含めた集団安全保障に関する議論が不十分であったことです。

私はかねて「集団的自衛権」よりも「集団安全保障」の枠組みを重視すべきだと主張してきました。集団安全保障とは、世界平和の維持のために多国間で行なう軍事的な取り組みのことです。世界の平和、秩序の維持こそが、日本の平和につながると考えるからです。

アメリカがイラクやアフガニスタンで行なった「有志連合」による対テロ戦争は、一種の野合みたいなもので「集団的自衛権の集まりだ」という人たちもいます。また、日本では国連の安保理決議がなければ集団安全保障とはいえない。

もちろん、国連の安保理決議を伴う集団安全保障措置が行なえればそれがベストですが、最も大切なのは「世界秩序(平和)を守る」という目的のはずです。

仮に国連が動けない場合には誰かがリーダーになって平和を守る必要がある。そうした「有志連合」への参加は集団的自衛権ではなく、集団安全保障という枠組みでとらえ、日本も貢献できるようにすべきです。

もうひとつは今回の安保法制がいわゆる「グレーゾーン問題」に対して明確に応えていない点です。今の自衛隊は首相の「防衛出動」命令がない限り一切の武力行使が許されていないので、敵の奇襲攻撃や偶発的な衝突への対応ができません。

こうした部分について明確な指針が示されなかった点は、今後の議論と改善が必要だと思います。

世界はまだ「アメリカ一極主義」だが、今後は…

―国連安保理決議に基づく集団安全保障への参加と違って、アメリカ主導の「有志連合」については、その「正当性」や「中立性」について、かなり議論が分かれる部分もあるように思うのですが……。

冨澤 確かにそのとおりです、ただし、私は現実的に見て、世界はまだ「アメリカ一極主義」で動いていると考えていますし、実際、軍事的にもアメリカの存在感は突出している。

ですから常任理事国の思惑が対立して国連が動けない場合には、アメリカが世界秩序維持のために「保安官」の役割を果たさざるを得ない面がある。そうした「アメリカ一極」の時代が続く間は「寄らば大樹の陰」で、アメリカ中心の多国間協力でやっていくのが、現実的な平和への近道です。

ただし、今後もずっとそうした「アメリカ一極主義」が続くとは限らない。アメリカの相対的な力が弱まり、世界が米中を中心とした二極に分かれる可能性もあれば、さらに「多極化」するかもしれません。

当然、将来の「変化」も想定し、それに対応するためのシナリオをしっかりと準備しておくことが大切で、そうした議論を実のあるものにするためにも、日本人が国防や安全保障に関する基礎的な理解力を高める必要があると思いますね。

(インタビュー・文/川喜田 研 写真/有高唯之)

●冨澤暉(とみざわ・ひかる)1938年生まれ、東京都出身。防衛大学卒業。60年、自衛隊に入隊。戦車大隊長、普通科連隊長、師団長、方面総監、陸上幕僚長を歴任。退官後は、東洋学園大学理事兼客員教授として、安全保障、危機管理などを担当。現在は同大学理事兼名誉教授。日本防衛学会顧問。財団法人偕行社副理事長

■『逆説の軍事論』(バジリコ 1800円+税)元陸上自衛隊のトップ、陸上幕僚長を務めた著者が、「軍隊と平和」「北朝鮮の脅威」「中国の軍事力」「21世紀の日本の安全保障」「集団的自衛権と集団安全保障」など、今、議論するべき軍事と安全保障の論点を徹底的に整理。これまで現実から目を背けた観念的な議論が多かった日本の安全保障の争点を、軍事の実際を知る人物が、冷静な現実認識の下に論じる一冊