1965年11月、臨時国会における補正予算審議にて、赤字国債の発行を認める「特例公債法」が制定された。現在、日本国の公債残高は800兆円以上。その他の借金を合計すると、1050兆円超…。

この50年で世界一の借金大国となってしまった日本。一体、誰が悪かったのか?  

■禁じ手の口火を切った福田赳夫大蔵大臣

赤字国債とはすなわち、国の借金だ。国が収入に見合わない支出をしたい時、国債が発行される。

その時代ごとに借金をする事情があったとはいえ、年間の税収が55兆円弱の国が、累計1050兆円以上の借金をしているなんてクレージーとしか言いようがない。もちろん、今後それに悩まされるのは、今この記事を読んでいる若い読者世代だ。

では、なぜここまで増えてしまったのか?

解説をしてくれたのは、元財務省(入省時は大蔵省)のキャリア官僚で、現在は法政大学経済学部教授の小黒一正(おぐろ・かずまさ)氏。もうひとりは、週刊プレイボーイ本誌で好評連載中の「政界斬鉄剣!!」でおなじみ、元農林水産大臣秘書官で政治評論家の池田和隆氏だ。

戦後処理のため昭和22(1947)年に発行されたのを除くと、初めて赤字国債が発行されたのは1965年。そこにはどんな時代背景があったのか?

それは、1964年に行なわれた国家的大イベントと関係がある。東京オリンピックだ。初めてのオリンピック開催に向け、日本は近代的なインフラの整備に明け暮れた。新幹線や高速道路網の建設などである。この時期の日本は、空前の好景気だった。

しかしオリンピックが終わると急激に景気が冷え込み、初の赤字国債発行に踏み切ったのだ。当時の佐藤栄作内閣で大蔵大臣を務め、後に首相となる福田赳夫(たけお)氏が赤字国債の発行を推し進めた。

「福田さんは基本的に、税収と歳出のバランスを重視する財政均衡路線の人でした。しかし、オリンピック後の不況を乗り切るため、苦肉の策として決断したのでしょう。『特例公債法』という名の通り、当時は本当に『特例として』という位置づけでした。しかし、赤字国債の発行というパンドラの箱を開けてしまったという意味では、ある程度罪があるといえるかもしれません」(小黒氏)

「ちょっと危機が訪れたからといって大騒ぎして、すぐに借金をするなど間違い以外の何物でもありません。羽振りのいい生活をしていた人の調子が悪くなり、『今は年収200万円だけど、そのうち年収3千万円くらいに復活するから、今の生活レベルは落としたくないし、2千万円貸してくれ』なんて友人や親戚が言ってきたら、貸しますか?

建設国債の場合、道路やダムの建設など用途が限定される。形が残るものを造るんだし、メンテナンスも必要なので継続的な雇用も生むから、いい面もある。でも、その年限りで消えてなくなるような使い道の借金は、全部ダメですよ(怒)」(池田氏)

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(取材・文/菅沼慶)

『週刊プレイボーイ』48号(11月16日発売)「『日本国の借金』50周年“戦犯”リスト」より