「全日本スナック連盟」会長でもあり、ますます幅広い活躍で人気の浅草キッド・玉袋筋太郎さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第14回のゲストで俳優・監督・作家の大鶴義丹さんからご紹介いただいたのは芸人の玉袋筋太郎さん。

ビートたけしに弟子入りし、水道橋博士と浅草キッドを結成。多才な活躍で著作も多数、また「全日本スナック連盟」会長であり、格闘技など趣味のジャンルも幅広くマルチな活動だが、4月に始まったリレートークの2015年ラストを飾る、今回はーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―大鶴義丹さんからのご指名で玉袋さんに友達の輪が繋(つな)がりました。

玉袋 いいですね。パブなしでやるっていうのがいいですね。「いいとも」はパブでしたから。

―ははは、いやいや(笑)。とりあえず義丹さんとはご近所付き合いということで。

玉袋 近所は近所なんですよね。だからマスクしてさ、帽子目深(まぶか)に被って犬と女連れてる義丹を目撃したりね。

―またまた、そういうアブないフリを(笑)。それが奥さんということでね。

玉袋 うん。いやでも、大鶴義丹くんはね、謝んなきゃいけないことがあって。昔、橋本真也の結婚式で…死んじゃったプロレスラーのね。披露宴があったんですけど、その時に面識もねえんですけど、たまたまテーブルが一緒だったんですよね。その席で「大鶴義丹なんて気取った野郎だな」とか思ってて(笑)。それで知らんぷりして、「飲んでくださいよ、飲んでくださいよ」ってガンガン飲ましちゃって。その帰り、飲酒運転で捕まったんですよ。

―ええぇ!? それ表沙汰になったんでしたっけ?

玉袋 なりましたよ! 俺がお酌した飲酒運転で捕まったんですよ。えぇ私です! はい。もう25年とか、そんな前じゃないですか。

―じゃあ90年代だ。それが意外ときっかけで、出会いの原点なんですね。

玉袋 そうです。いきなりミソついちゃってるんですよね! はっはははは! で、まぁ番組で一緒になったりとか。家がちけーから、荻窪あたりで飲もうかって真剣に言ってんだけど、まだ実現はしてないんですよ。ロケ先の宿泊の前の日に飲んだりとかはしてるけどね。

―ご近所さんだけど、ご近所ではまだ飲んでないと。じゃあ、玉袋さんがホームのスナック系に連れ込むとかもありなのでは。

玉袋 そうなんですよ。だからどっちのシマに引っぱりこむかってことなんですよね。俺のテリトリーの店に連れ込むか。で、彼が持ってるカードもあるらしいので。

―義丹さんは自宅に人を呼んで、自分で振る舞うのが好きだという話でしたが。

玉袋 そうそう、好きみたいですね。それ呼んでくれないってことは、まだ認めてない! さすがですよ、唐十郎さんの息子ですから!ってね(笑)。

「こっちは便所のカマドウマみたいな?」

―自宅で飲んでる分には飲酒運転の心配もないと(笑)。逆に、玉袋さんが人の家に行くよりも、やっぱり外飲みするほうが好きだから。犬を散歩連れてる時にそのまま拉致(らち)しちゃうとか。

玉袋 はっは、それがいいかな(笑)。まぁそっちのほうが面白いですよね、行くぞと。…だから、なかなか実現しないんですよ、夢の一戦が。でも彼はすごいもんね。料理だけじゃなくて俳優もやったり、芝居やったり、本書いてすばる文学賞とかとってるわけでしょ? マルチですよ、うん。

結局、ちょうど同じ年くらいの時にこういう世界入って。向こうはトレンディドラマ系じゃないですか。でもこっちはなんだろう…便所のカマドウマみたいな? そんな感じだったんで。「バーロー、浮かれてやがんな、この野郎」って部分もあったんでしょうね。そういったものがうまくクロスして今に至るっていう。

―ははは(笑)。でもそういう意味じゃ、玉袋さんもマルチで。著作もあるし、お笑いからスナックにプロレスまで“通”という。

玉袋 マルチ商法という。へへへ(笑)、いやいやいや。

―(笑)。で、プロレスといえば、これ持ってきたんですが…。DVD分冊百科『燃えろ!新日本プロレス』なんですけど、これ玉袋さんにも出ていただいてベストバウトを語っていただいた号で。

玉袋 あ~懐かしいな~。いや~売れたんですよね、このシリーズね。

―おかげさまで去年4月まで約2年半、全67巻刊行しまして。実は僕が最終号までこの編集長をやっていたもので…。

玉袋 ワオ! そうなんですか、ありがとうございます! まぁ、最後に「猪木×アリ戦」が出ただけでも、あれ奇跡ですもんね。

―あれは本当にね、僕が自分で書けないから玉袋さんに全部喋ってほしいぐらいの裏話がありまして(苦笑)。いろんな大変なやりとりもあって、出すまでに創刊前から3年近くかかりましたから。

玉袋 かぁー! 3年! そうでしょうね。いや~、だから本当に素晴らしかったですよ。

―ずっといろんなものがクリアにならなくて。創刊時の定期購読特典にしたかったのができず、せめてなんとか当初の全50巻の最後に入れられればって2年ぐらいやってて間に合わず。それで売れてるからと続刊することになって…。

玉袋 うんうん。

―67巻で終了が決まってからも、その最後に持っていけるかって、また引っ張って。最後の最後、2、3ヵ月でドドーっと急転直下、いろんなことが動いて刊行に至ったんですけど。やっぱり最終巻は断念せざるをえず、エクストラの番外編でと…。

玉袋 かー、いやいやいや。で、記念日ですね。

―はい。ちょっと間が空いちゃうけど、ちょうどいいから6月26日の「猪木×アリ」戦当日にしちゃえ!と、メモリアルな日に。

「命削って。肝臓の数値もガンガン…」

玉袋 いいじゃないですか! 完璧ですよ! いや、もう本当に感謝してますから。ありがてーつって。

―そこまでやった甲斐があって、そうおっしゃってくれる声をたくさんいただいて。発表当初から書き込みとか電話で「本当にモノが手に届くまで信じられない」、「死ぬまでにまさかこれが観られるとは!」って(笑)。

玉袋 (笑)。そうそうそう。いや、それがああやって入っちゃって、ちゃんと記者会見から何からさ、素晴らしかったですよね。

―ありがとうございます。ほんと、絶賛というか感謝の声が多く届いて。まぁそれでも、またこれが細かいツッコミとかもあるんですけどね。あのスパーリングが収録されてないとか(苦笑)。

玉袋 あ~、あの後楽園ホールですか? アリが怖がったってやつですよね、ビビっちゃって。カーテンの影に隠れたってやつ。それが足りねーんだと。まぁね、プロレスファンは業(ごう)が深いからね。

―深いですよね。でも皆さん、なめるように観ていただいたんだろうなと(笑)。

玉袋 観ましたよ! 観ました、本当に。俺、買って配ったしね。一緒にラジオやってる小林悠(はるか)っていう女子アナにも「コレを観ろ! 観てからじゃねーとプロレス女子なんて言わせねぇ!」つって。ひとつの踏み絵的なもんですね。

―そこまでしていただいたとは! そうやって、広めていただいて…。実は僕自身もだいぶ、PRにあげたり配ったりしてましたけど。第1回ゲストの北方(謙三)さんにも以前、差し上げて(笑)。

玉袋 おおっと、そりゃ喜ぶでしょ。

―そしたら昔、アリがまだ現役の時、キンシャサの試合の前か後かに「飛行機で一緒になったんだぞ、俺は」って。隣に寡黙(かもく)な何か雰囲気を感じるなって見たら、目を瞑(つむ)っているモハメド・アリだったと。アリのほうの話をずっと(笑)。

玉袋 すげー! まぁね、偉大ですよ。グレーテストですよ。それを引っ張り上げたアントンもやっぱり、グレーテストですけどね!

―でも、あの時代に生きてきた、知ってる人間としては伝承していかないといけないですよね。我々が語り部としてね。

玉袋 そうなんですよ、バトンタッチをね。何事にしても希薄になっちゃってるっていう部分でさ。だから俺もスナックをね、やっぱ若い人に繋げないとって思ってやってるんですよ、命削って。肝臓の数値もガンガン上がるし、どうしようもないですけど(苦笑)。

「俺はあいつと会ったことがない」?

―やっぱり上がってるんですか…。

玉袋 上がってますね。昨日も4軒ですよ、大阪で…。1年間に150軒以上行くとね、結構堪(こた)えますよね。でも、やっぱりこれはね、日本発の文化であるスナックっていうのを若い人達にさ、カラオケボックスではなく、スナックなんだってことを伝えたくてやってるわけなんですよ。スナック界の伊能忠敬になろうと思ってね。

―ははは! 全国踏破して。

玉袋 はい、で、倒れるという。で、死んでしまうみたいな。

―まぁ僕もだいぶ飲むんでヤバい時あるんですが、飲んべえにもやっぱり違いがあって。『酒場放浪記』の吉田類さんなんて、そういう体質に生まれてるのか、なんかきれいな飲み方してるように見えるじゃないですか。

玉袋 だからね、まぁ別にいいんですけど、なぎら(健壱)さんとこの間、1日一緒にロケやって。合間ずっと話してて、まぁ吉田類の話になりますよね。そしたら、なぎらさんがひと言ね、「俺はあいつと会ったことがない」って言うんですよ、店で。あれだけ飲んでるっていうなら、俺が行ってる店だって絶対行ってるはずだけど、会ったことねーからなって。

―こんだけお互い飲んでるんだし、店もかぶらないハズがないと(笑)。

玉袋 そうそうそう。それは神としてはね、なぎらさんのほうが神なんだからさ。で、なぎらさん、「あいつ、下戸(げこ)らしいぞ」って(笑)。

結論としてはね、今後、俺となぎらさんはお酒の番組に出る時、自分のγ(ガンマ)-GTPの数値を出す!って。うん。吉田類よ、おまえも酒飲みなら、自分のγ-GTPの数値を出せってことなんです。野球選手の打率みたいなもんですからね。

―ははは(笑)。実は僕もγ-GTPっていう数値にはすごく敏感で、20歳の時に急性肝炎やってるもので。第5回のゲストに出ていただいた千原ジュニアさんもやってて、やっぱりその話になったんですが…。だから酒飲むと、心配になって翌朝シジミ汁飲んだり。

玉袋 へへへ、ウコン飲んだり、ヘパリーゼ飲んだりね。もうそれでさ、医者に言わせりゃ飲まねーのが一番の薬だって言われるんですよ(笑)。あと睡眠ね。寝るのが一番いいらしいです。

「毎日あんな怖い夢見てるのかなと」

―それはそうですよね。でも、忙しすぎて寝られないでしょう?

玉袋 まぁでも結構ね、寝るほうは寝るほうなんですよね、俺。8時間以上寝ないと体調悪くて。

―そんな寝られてるんですか? 仕事量を考えたら、おちおち睡眠時間も…。

玉袋 まぁでも夜からの仕事多いじゃないですか。

―仕事自体もそっちのサイクルに。だんだん朝方の仕事がこなくなってるとか(笑)。

玉袋 そうそうそうそう。辛いっすよ。NHKの『あさイチ』とか怖くてね(苦笑)。朝5時起きでしょ、あれ。前の日、深酒できねーじゃないですか…。

そう、だからね、仕事なんだか飲んでるんだかよくわかんなくなってきちゃって、今。それでもやるんだよって精神で飲んでるわけですけど、そうするとね、朝起きれるかどうか不安で。まぁ、一応飲むんですよ、少しは。だけどね、不安で眠れなくなっちゃうんですよね。

でも、酒きらしたことないんで。この間、ちょっとさっすがに1日14時間飲むのを2日連続やったら、ぶっ倒れましてね。で、これマズいって。酒入らないんですよ、晩酌の時に。かみさんがビールついでくれるんですけど、全然。これダメだって。

で、次の日早いからもう寝るわって言ったら寝れないんですね。寝よう寝ようって努力すんだけど、ほとんどシラフですからね、その日。すっごい怖い夢見て起きちゃうんです。酒飲まない人って毎日あんな怖い夢見てるのかなと思って。

―それこそ依存症の人とか酒がきれるとそういう夢や幻視を見ちゃうらしいですが…。

玉袋 だからそうだと思う。依存症だと思います、明らかに。久里浜式アルコール依存度テストなんつったら、もう全部チェック入りますからね、うん。だから、必ず血液検査やってるんですけど、普段通り飲んで、それで行って調べてもらいますね。そうするとやっぱ肝臓値は上がってますもんね。

―それでもまだ強制収容レベルではないんですね…。

玉袋 まだですね。まだいきませんね。

●この続きは次週、1月3日(日)12時に配信予定!

●玉袋筋太郎1967年6月22日生まれ、東京都出身。1986年にビートたけしに弟子入りし、翌年お笑いコンビ・浅草キッドを結成。90年にテレビ朝日『飛び出せ笑いのニュースター』に出場し、10週連続で勝ち抜き、5代目チャンピオンに輝く。自ら立ち上げた一般社団法人「全日本スナック連盟」会長でもあり、スナックという地域の社交場に玉袋が突撃訪問する『玉袋筋太郎のナイトスナッカーズ・リターンズ』がJ:COMテレビにて放映中。また店長となり、スナックの選び方、楽しみ方を教わりながら一緒にお酒を酌み交わす「スナック玉ちゃん」も隔月で開催。現在、TBSラジオ『たまむすび』、TOKYO MX『人生酒場~唄は夜につれママにつれ~』『バラいろダンディ』などにレギュラー出演中

(撮影/塔下智士)