幼稚園~大学入学時まで場面緘黙症だったシンガーソングライター、manana(マナナ)さん

突然だが、子供の頃や学生時代、クラスに“ものすごくおとなしい子”がいなかっただろうか?

学校では1度も声を聞いたことがなく、周囲から「あのコ、なんで喋らないの?」とか「『あ』って言ってみて!」なんてイジられても押し黙ったまま、いつも目立たないポジションにいて、スクールカーストでは底辺をウロウロしていると認識されるような…。

そんな、全然お喋りしないコ。何を隠そう、記者自身がまさにそんな子供だった。家では家族と普通に話せるのに、学校に行くと別人のようにひと言も話せないーー実は、その症状は「場面緘黙(ばめんかんもく)症」と言い、れっきとした不安症。日本では認知度が低いため、本人すら知らずに成長し、大人になってから自分がそうだったことを知る人も多い。

そこで、幼少期に場面緘黙症だったライター・山口幸映(33歳)がその現状を取材。前編記事では、大人になり社会人となっても症状に苦しむ男性ふたりを紹介したが、今回は…。

■「話す機能がシャットダウン」

場面緘黙症の経験を持つ、シンガーソングライターのmanana(マナナ)さん。ステージ上で歌う姿もそうだが、MCでの話しぶり、取材中も饒舌(じょうぜつ)に語る今の姿からは、場面緘黙症だった当時の面影を探そうと思っても見つからない。

とはいえ、最初から完璧に歌えたわけではない。最初の頃はステージで震えてしまい、いつも通りにギターが弾けない、思い通りに声が出ないこともあった。それでも、何度も何度も場数を踏んで、やっと最近慣れてきたのだという。場面緘黙症だった当時を振り返り、“話せない”感覚をこう説明してくれた。

「学校へ行くと、いくら話そうと思っても、どうしても話せない。話す機能が自動的にシャットダウンするような感じ、見えない鎖に封じ込められている感覚です。喉が苦しいような、詰まってしまうような感覚もありましたね」

保育園の頃、保育士から「どうして何も話さないの!」と激しく叱られて、教室で泣いてしまったことがある。当事者にしてみれば、声を出そうとしても本当に“話せない”状態なのだから、その上、話すことを強要するように叱責されれば、ますます声が出なくなってしまう。

mananaさんの場合、“話せない”以外にも、小学1、2年生の頃には体を動かそうと思ってもスムーズに動けない緘動(かんどう)という症状もあった。1年時の担任教諭からは人格を否定されるような暴言を吐かれ、体罰まで受けた。同級生からもいじめに遭い、しょっちゅう鉛筆や教科書を盗られ、カッターで切りつけられたことさえあったという。

「それでも学校は休みたくなかったんです。別に学校が好きだったわけじゃないですよ。授業についていけなくなるのが怖かったからです。もし私が休んでいる間に授業が進んでしまったら、『ノート見せて』なんて言えない。わからなくても誰にも聞けない。忘れ物もそうですよ。もし忘れても『消しゴム貸して』なんて言えないから、忘れ物しないようにすごく気を付けていました」

場面緘黙症の子供はおとなしく、教室内では問題を起こすこともないので“真面目”“優等生”と思われがちだ。だが根底にはルールから逸脱することや失敗することを恐れる「行動抑制的な気質」があるのではないかと言われている。

大人になるまで引きずっちゃダメ

シンガーソングライター、manana(マナナ)さん。2015年にはアルバム2枚が全国流通スタート、ワンマンライブも行なうなど精力的に活動中

そうして、小学校の6年間はクラス替えのたびに“今度こそ話そう”と思って登校するが、どうしても友達に話しかけることができなかったmananaさん。初めて人に話しかけられたのは、中学校に入った時。

「『中学校に入ったら話す!』と決めて、家で何回もシミュレーションを繰り返しました。そして入学式当日に勇気を出して、違う小学校から来た『私が話せないことを知らないコ』に話しかけたんです。それから、仲良くなったコとだけは話せるようになりました。でも、その後のクラス替えではそのコと離れてしまい、中3から高校3年間はまた逆戻りです」

1度は学校で話せるようになった経験をしているだけに、この時の絶望感はすさまじく、一時は自殺することを考え、遺書まで書いたという。

「私が絶望から立ち直れたのは音楽があったから。あの時、もし音楽がなかったら本当に死んでいたかもしれない」

高校3年間は「大学に入ったら変われる」と自分に言い聞かせ、必死に勉強に打ち込み、四国から東京の女子大に進学した。大学では徐々に話せるようになっていったが、女性同士の会話にありがちな“暗黙の了解”がわからず、大勢での会話や女のコのグループに対しては、現在でも苦手意識がある。

現在では人前で歌う仕事に就いたmananaさんのように、本人の勇気や環境の変化などで“自然に”話せるようになるなら、特に治療や支援は不要なのでは?と思ってしまう方もいるかもしれない。だが、経験者たちは早期支援の必要性を訴える。

「私みたいに大人になるまで引きずっちゃダメ。自意識が目覚める思春期以降は他人からの視線が気になったり、自分を責めてしまったりするし、話せるようになってからも苦労することが多い。小学生くらいの早い時期に克服するのが一番だと思います」(mananaさん)

記者もこれまで何人かの場面緘黙症の人に会ってきたが、確かに周囲の理解が得られ、早く回復できた人ほどコミュニケーションに問題なく社会生活を送れている印象は否めない。

また、場面緘黙児支援のための情報交換ネットワーク団体「かんもくネット」代表で、臨床心理士の角田圭子さんも“自然に治るから大丈夫”という考え方には問題があると指摘する。

“自然に治る”は神話でしかない

■“自然に治る”は神話でしかない

「一見、“自然に”話せるようになったかのように見えるケースでも、丁寧に検証していくと環境の変化がプラスに働いたことや、本人の勇気ある挑戦で知らず知らずのうちに“スモールステップ”を踏み、段階的に改善していったことがわかるんですよ。

何も支援を受けずに成長した場合には、コミュニケーション能力・社交スキルをトレーニングする機会を逸してしまっているわけですから、話さない期間が長ければ長いほど鬱状態や社会不安障害など“二次障害”が発生するリスクも高まります。そうならないためにも放置するのではなく、早期発見と早期支援が重要なんです」

学校現場では少しずつ啓発が進みつつあるが、その一方で成人当事者への支援方法は確立しておらず、当事者同士の情報共有も不十分だという現実がある。そんな孤立しやすい成人当事者に向けて、2014年から“当事者発信”の会「かんもくの声」を立ち上げたのは、入江紗代さん(31歳)。自身も、場面緘黙症の症状に約20年間、苦しんだ経験がある

「こんなつらい思いをするのは私だけでいい…ずっとそう思ってきました。成人してから同じような困難を抱えてきた人たちに出会い、当事者として私にも何かできればと思ったんです」(入江さん)

実は最近、入江さんのような当事者や保護者、支援者の働きにより、場面緘黙症の支援団体が相次いで誕生している。以前から「かんもくの会」や「かんもくネット」などの団体は存在していたが、ここ数年の間に北海道、富山、長野、沖縄、宮古島など全国各地で団体が生まれつつある。

“話せない”という特性ゆえに、周囲の無理解に傷ついてきた場面緘黙症の人々。それでも今少しずつ、彼らは自分たちの“声”を届けようと歩み始めている。

(取材・文/山口幸映)

■監修:角田圭子(臨床心理士/かんもくネット代表)■場面緘黙児支援のための情報交換ネットワーク団体「かんもくネット」HPhttp://kanmoku.org/index.html

■「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」とは…家庭では問題なく話せるにも関わらず、保育園や幼稚園、学校など特定の『場面』で発話が見られない状態が1ヵ月以上の長期にわたって続く症状のこと。米国精神医学会の診断基準(DSM-5/精神疾患の分類と診断の手引)では「selective mutisum(選択性緘黙)」と呼び、不安症のカテゴリーに定義されている。何かのショックで話せなくなる「トラウマ性緘黙」や、声が出なくなる「失声症」とは区別する。自閉症スペクトラム障害(ASD)などの発達障害や、吃音症(きつおんしょう)等、言語発達の問題と併存する場合もある。