故・菅原文太さんの形見であるネクタイを締め、宜野湾を訪れたという古賀氏 ※写真は本文と関係ありません

普天間基地問題で揺れる宜野湾(ぎのわん)市でいよいよ市長選が行なわれる(1月17日告示、24日投票)。

沖縄の未来がかかったこの選挙を前に、『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏が現地を訪問。そこで、死ぬまで辺野古反対を貫いた故・菅原文太さんと市民の絆を感じたという。

***昨年末、以前から親交があった故・菅原文太さんのネクタイを締め、沖縄へ出かけた。「宜野湾から沖縄の未来を考える―基地・経済・地方自治―」というシンポジウムで講演をするためだ。

文太さんのネクタイは昨年春に妻の文子さんからいただいた。仕事の都合で私が「文太さんを偲(しの)ぶ会」に参加できなかったため、連絡を取ると、「一緒に食事でも」ということに。そして会合の時に、文子さんから文太さんが生前に仕込んだワインとともに形見分けとして持ってきてくださったのだ。

文太さんといえば、亡くなる直前に沖縄で行なった名演説が忘れられない。2014年11月1日、文太さんは翁長雄志(おながたけし)候補(現知事)を支持する1万人集会に駆けつけ、「政治の役割は国民を飢えさせないこと、そして戦争をしないこと」と述べ、辺野古基地建設を強行する安倍政権を批判した。

圧巻は演説の最後。文太さんは主演した『仁義なき戦い』の名ぜりふを引いて、「仲井眞(なかいま)さん(翁長候補の対立候補で、辺野古基地誘致に動いた)、弾(たま)はまだ一発残っとるがよ」と締めくくった。文太さんの熱い思いがほとばしるひと言だった。

文太さんがこの世を去ったのはそのわずか27日後。肝がんだった。あの鬼気迫る演説は自らの死期を悟った文太さんの遺言でもあったのだ。

普天間基地を抱える宜野湾市では今月、市長選がある。自公が推す現職市長は辺野古基地の建設推進派、翁長知事ら「オール沖縄」が推す対立候補は建設反対派という色分けだ。

妻・文子さんからの“サプライズメッセージ”に涙

宜野湾市長選は、基地は必要か否かをあらためて問う、沖縄の未来がかかった大切な選挙だ。

もし文太さんが生きていれば、どうしただろうか? 思えば、14年11月の1万人集会も、文太さんは主催者から呼ばれてもいないのに自らの意思で駆けつけた。その行動を見れば、今回の宜野湾市長選でも辺野古基地に反対する候補を応援しようと、現地入りしたに違いない。

沖縄での講演で、私が文太さんの形見のネクタイを着用したのは、そんな文太さんの生前の思いに少しでも寄り添いたいという気持ちからだった。

今日つけているネクタイは文太さんの形見なんです――。

シンポジウム当日、会場の聴衆にそう明かすと大きなどよめきが上がった。そして、講演の最後に文子さんから預かった“サプライズメッセージ”を読み上げた。場内は水を打ったように静まり返った。

「本土はもちろん、世界が固唾(かたず)をのんで沖縄の心ある皆さんの勝利を見守っています。大空の彼方で、菅原文太もまた皆さんの応援に闘志を燃やしています」というくだりで、万感迫っての大きな拍手が起こった。中には目頭を押さえる人もいた。

沖縄には連日、基地反対運動を支援する本土人が駆けつけている。彼らは基地反対派の沖縄の人から感謝のまなざし半分、どうせ冷やかしだろうという冷めたまなざし半分で見つめられることもある。

だが、この日の会場にはそんな複雑な感情は見いだせなかった。あるのは文太さんへの追慕の感情のみ。あらためて文太さんと沖縄の太い絆を実感せずにはいられなかった。

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古賀茂明(こが・しげあき)1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元幹部官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して2011年退官。著書『日本中枢の崩壊』(講談社)がベストセラーに。著著に『国家の暴走』(角川oneテーマ21)

(撮影/山形健司)