水爆実験を行なった金正恩(キムジョンウン)の狙いとは?

1月6日、アメリカや中国への通告もなく突如として行なわれた北朝鮮の核実験ーー。

金正恩(キム・ジョンウン)第一書記の狙いはなんなのか? 日本になんらかの危機は迫るのか? メディアによく登場する「専門家」とはレベルの違う本物のプロにその裏側を解説してもらおう。

元防衛省情報分析官の上田篤盛(あつもり)氏は、まさに現場の最前線で長年、軍事や国際政治のあらゆる情報を国防のために分析してきた。そこで培われた自衛隊式の「戦略的インテリジェンス」は、金正恩の“暴走”をどう読み解くのか?

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Q 北朝鮮が核実験を実施し、それを国内外に喧伝(けんでん)することの意味は?

 独裁国家や独裁者が政権を維持するためには、「アメ」「ムチ」「サーカス」をいかに使い分けるかが重要だ。金正恩にとって「アメ」とは経済再建で、これにはソフト外交により経済支援を得る必要がある。「ムチ」とは、情報統制と政治ライバルの粛清、いわゆる恐怖政治。そして「サーカス」は、政権の求心力を高めるための長距離ミサイルと核開発である。

Q なぜ、1月6日に核実験が行なわれた?

 対中関係が悪化すれば、国民への「アメ」となる経済支援は遠のく。にもかかわらず、中国に事前通告することさえせず、核実験を強行したことに謎解きのカギがあるのではないか。

振り返ってみれば、昨年10月の朝鮮労働党70周年式典(平壌[ピョンヤン])の頃までは、金正恩は対中関係改善を目指し、ソフト外交を展開する意図を持っていたように思う。

2014年7月、中国の習近平(しゅうきんぺい)国家主席が北朝鮮よりも韓国を先に訪問し、金正恩のメンツは大いに傷ついた。昨年9月の中国の抗日戦勝70周年式典(北京)でも、韓国・朴槿恵(パク・クネ)大統領が中央前列で習近平と並んだのに対し、北朝鮮の崔竜海(テェ・リヨンヘ)労働党書記は末席扱いだった。

それでも、金正恩は辛抱強く対中関係の改善を模索した。そして昨年10月の朝鮮労働党70周年式典では、ついに中国・劉雲山(りゅううんざん)政治局常務委員の訪朝を達成した。

その後、北朝鮮は、金正恩の肝煎(きもい)りで結成されたという「モランボン楽団」の北京公演を企画した。公演に習近平やその他の高官を招待し、それを起点に金正恩の訪中、習近平の訪朝へつなげる思惑があったのだろう。

「モランボン楽団」ドタキャンの裏側には何が?

ところが、公演は楽団の訪中後、12月12日になって突然、中止された。この“ドタキャン”の裏側には何があったのだろうか。

韓国最大の通信社『聯合(れんごう)ニュース』によれば、公演中止の理由は、12月10日の金正恩の「水爆保有発言」に反発した中国側が観覧者の格を大幅に引き下げたことに金正恩が怒ったからだとされる。また、北朝鮮の国営通信社である『朝鮮中央通信』によれば、公演が中止された3日後、金正恩は核実験の命令を出し、1月3日に最終的な命令書に署名したとされる。

おそらくその背後には、中朝間で核・ミサイル政策をめぐる激しい対立があり、国家指導者の相互訪問の見通しが立たなくなったのではないか。もし中国が「水爆保有」を否定したのだとすれば、それは金正恩にしてみれば中国による内政干渉であり、侮辱である。これを放置すれば、彼と彼にすがる勢力の権威は失墜する

自身の権威体制が崩されることを防止するために、中国に対して「言いなりにはならない」ことを、早期に具体的な形(=核実験)で証明する必要があったということではないか。

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(構成/小峯隆生)

■『週刊プレイボーイ』5号(1月18日発売)「『水爆実験』にすがる金正恩(キム・ジョンウン)の焦りと『次の暴走』」より