憲法改正からアベノミクス、非正規雇用の問題、ポスト安倍まで縦横無尽に掘り下げるファクラー氏

様々な問題を山積したまま、2016年を迎えた日本。この国の行方はどうなるのか? 

「週プレ外国人記者クラブ」第17回は、前「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長、マーティン・ファクラー氏に話を聞いた。

***

―新年最初のインタビューということで、2016年の展望について伺いましょう。今年の日本で一番気になっていることは?

ファクラー ひとつは勢いを失いつつあるアベノミクスの行方、もうひとつは憲法改正ですね。夏の参院選で憲法改正が焦点になるかどうかは、まだわかりません。先日も高村副総裁が「大きな争点として国民が受け止める状況にない」と慎重な姿勢を示したように、自民党内にも反対意見がありますからね。

安倍首相にとっては、憲法改正こそが政治家人生で残したいレガシー(遺産)であることは間違いないと思います。彼は集団的自衛権よりもアベノミクスよりも、憲法改正を自分の手で実現したいというのが本音のはず。

―そのためにも参院選が重要な意味を持ってきますが、もうひとつの焦点であるアベノミクスに関しては、年明けから株式市場が下がり続け、日経平均が1万7千円台を割り込むなど厳しい状態が続いています。安倍政権は参院選に向けて、経済を維持できるのでしょうか?

ファクラー アベノミクスには、基本的には「1本の矢」しかありません。日銀による金融緩和策で、それは本当にうまくいったんですね。むしろ、この20年ほど日銀が何も動いていなかったのが異常な状態だったとも言えます。海外でも「なぜ日銀はもっと積極的に手を出さないんだ?」と言われていたのが、黒田総裁になってからようやく日銀の金融政策がアメリカやヨーロッパの中央銀行に追いついた。いわば、「普通の国になった」という感じですね。

ただ、これはアメリカもヨーロッパもそうですけど、経済が回復しても普通の人はあまり効果を感じないんです。アベノミクスはその傾向が特に強くて、利益を受けているのは限られた人たちだけで普通の人は悲観的ですよね。地方に取材に行くと、必ずみんな言うんです…「何も効果がない」と。でも他の選択肢がないから仕方なく自民党に票を入れている。

経済効果が広がっていないのはアベノミクスの致命的な弱点ですね。内需が一番大事なのに、それが拡大していない。結局、給料は上がってないから、みんなお金を使わない…という「デフレマインド」から脱却できていないんです。

―市場にマネーを流し込む日銀の金融緩和は、ある意味、経済の「輸血」みたいなものですよね。アメリカは長く続いた「ゼロ金利政策」という輸血の結果、ある程度内需も回復しましたが、日本は輸血し続けているのに、むしろ血圧が下がってしまった。その効果の違いは何からきていると思いますか?

ファクラー やはり経済の構造の違いが大きいと思います。これはアメリカ経済の強いところでも弱いところでもあるけれど、全体的に変化が激しい。だからアメリカは失業率が上がったり下がったりするのですが、金融政策を行なうと経済がすぐ反応するところがあるんです。一方、日本の経済は特に地方を見ると、これだけ金融政策をやっても反応は鈍いですよね。

おそらく、そこにはふたつの問題があって、ひとつは政治的な問題。安倍首相は政治的に地方の既得権益とかが必要だから、本当の意味の改革を入れていないんですよ。アベノミクスは彼にとって目的ではなく憲法改正を実現するための「手段」でしかない。本当に日本経済を根本的に変えるつもりがあるのかどうか、私には見えてきません。

もうひとつは個人的な見解ですが、戦後の高度成長期を作った体制があまりにもうまく行き過ぎて、その結果として生まれた既得権益のおかげで、日本は若い人があまり活躍できない社会になってしまったという点。団塊世代の雇用を守るために若い世代が非正規雇用になるといったしわ寄せが生じている。戦後にはソニー、ホンダ、キョーセラなどたくさん新興企業が出てきたけれど、それらが成功して、ある程度経済の構造が固まった結果、いつの間にか若い世代がチャンスを得にくい社会構造になってしまった。

日本の非正規雇用はアメリカから見てもヒドイ!

―構造改革という名の下に「雇用の流動性を増やしましょう」とか「規制を緩和しましょう」という、ファクラーさんの意見と同じようなことは自民党も安倍首相も言っている。でも、実際にやっていることは既得権益者に利益を誘導するような形でしかない、と。

ファクラー 例えば、今みたいに非正規雇用を大量に作るんじゃなくて、正規雇用と非正規雇用の中間くらいで、今の非正規雇用よりもう少し高い給料でいろんな保証をつけるといったような形が必要だと思います。そもそも、日本の非正規雇用はアメリカから見てもヒドイ! とにかく給料が低すぎます。給料が低いと、消費の主体である中間層が育たないので内需が拡大しない。中間層を育てるためにはどういう雇用形態が必要なのか、何を保障すべきなのかを話し合うことが必要なのに、そんな建設的な社会議論さえありません。

―中間層をしっかり育てないと、長期的な国の展望、国力の維持はできないですよね。

ファクラー それはアメリカも同じです。ちゃんと働いているのに(自分たちを)中流と感じられない人たちがイライラしてきて、大統領選で共和党のドナルド・トランプを支持してしまう。日本でいえばネット右翼と同じで、どこかで怒りたい、誰かのせいにしたい。それらは根本的には経済政策が問題なのだと思います。

―中流層から富を奪って下流に叩き落とし、その結果、不満を持った人たちが彼らの「支持者」になる…。皮肉な話ですが、権力側にすればオイシイですね。

ファクラー そうやって「被害者」が保守に走るというのはアメリカもヨーロッパも同じです。ただし、危険な面もあります。昨年末、日本と韓国が慰安婦問題で合意した後、在特会が安倍首相に退陣を求めるデモを行ないました。彼らは「強い支持者」ではないんです。昨日までは支持していたけど、すぐに怒りの対象に変わることもある。

―安倍首相は憲法改正について、これまではあまり表に出さずに選挙を戦ってきましたが、今回の参院選ではこれを前面に押し立てて、選挙戦の主な論点としてくるのでしょうか?  

ファクラー 集団的自衛権や特定秘密保護法など、2012年に安倍さんが首相になってから目標に掲げたものをチェックしていくと、最後の一番大きい目的しか残っていないんですよ。ただし、憲法改正は世論調査を見るとそれほどの支持がない。安倍首相はそれを理解しているから静かにしていた。実際、憲法改正の手続きを定めた96条を変えるのですら党内にも反対があったし、公明党もダメだった。基本的に今も同じ状態ですが、既にほとんどの目的を達成した安倍首相は今回、自分の身を捨てるつもりでやるのかな…と。

彼にとって偉大な祖父である岸信介は、首相の座を捨ててまで今の日米安保体制を作った。だから自分もおじいさんと同じように身を捨ててでも日本のためになることをしたいというイメージがあるのでしょう。

でも、本当にそれを選挙の焦点にできるかはわからない。高村さんも反対だし、自民党には護憲派もいます。今までは支持率が高いから、みんな黙って安倍首相を支えてきたけれど、この先、経済もそんなに明るい見通しはないわけだし、憲法改正を争点にした時、同じようについてくるかどうか…。

―これまでは安倍首相についていけば安泰だったけど、議員たちは参院選の結果次第では「ポスト安倍」を考えた立ち回りもしなくてはいけないかも?

ファクラー ただ、自民党の若い人たちと話すと「2020年までは安倍レジームが続くから東京オリンピックまでは待ちましょう。オリンピックが終わったら経済も下がるだろうし、そこで新しい人たちの出番…」という話をよく聞きますが、私にはオリンピックだけで経済が支えられるともアベノミクスがこの先4年間も続くとも思えない。

特に中国経済の先行きが不安です。日本と中国との関係は非常に複雑ですね。政治的にはよくないけど、経済的にはすごく近い。それが難しいところで、当然、中国の経済成長が終われば、日本も大きな打撃を受けることになる。

憲法9条は戦後日本のアイデンティティ

―そういう意味では、夏の参院選が最後のチャンスかもしれないし、安倍首相は捨て身でくるかもしれないと。

ファクラー 自分は捨て身で憲法改正をやって、後は稲田朋美さんか誰かに政権をバトンタッチするという手もあるかもしれません。憲法改正を自分の責任で成し遂げて政治的なレガシーを残し、問題を後継者には残さない…というキレイな終わり方を考えている可能性はありますね。

―参院選に向けて、社会では憲法改正についてどんな議論が起こるのでしょうか?

ファクラー おそらく世論は憲法改正に反対でしょう。昨年の夏、SEALDsが出てきて盛り上がったでしょう? 憲法改正は集団的自衛権よりもっと大きいテーマだし、昨年の前例もあるから今回は盛り上がりも早くなる。政治に無関心の人たちも「やっぱり憲法までは変えたくない」と思ったら、主体的に動き出す可能性があります。

憲法は戦後の日本のアイデンティティそのもので、多くの日本人が誇りに思ってきた平和主義や70年間戦争をせずに平和を繁栄してきた歴史に関わりますよね。集団的自衛権を巡る議論よりも大きく、深く、普通の人が身近な問題として感じられるはずです。

―参院選を前に、昨年のデモよりも大きな、目に見える形での動きが起きて、それを前に自民党の政治家たちがどうするか…。昨年はデモの後に選挙がなかったけれど、今回はデモが作った雰囲気のままで選挙を迎えることになる可能性もあるわけですからね。

ファクラー だから、憲法改正が本当にうまくいくかどうかわからないです。改憲に反対する人たちは、既に体制がある程度できている。昨年もSEALDsが盛り上がった時、朝日新聞や毎日新聞は彼らを紹介して安倍政権を批判する記事を書いていました。憲法改正に反対する大きな市民運動が出てきたら、また批判的な記事も出てくるでしょう。

―確かに、市民運動などのムーヴメントはメディアにも影響を与えるだろうし、何より選挙を控える政治家にとっては一定のプレッシャーになる可能性があるでしょう。ただし、有権者が自民党に入れたくないと思っても、その代わりとなる受け皿がないという状況は相変わらずです。

ファクラー 新しい政治戦力が生まれないとダメですよね。現在の政局は本当に異常な状態。山(自民党)がひとつだけあり、あとはすべて平野。どこに票を入れるか選択肢がない。ただ、本当に世論が動いていけば、今まで黙っていた自民党内の穏健派から新たな動きが出てくる可能性もあるし、安倍政権が弱く見えたら違う人たちが出てくる。新たな政党を作るのかわからないけど、チャンスではありますね。

憲法改正が焦点になれば、それは野党のためにもなる。民主党にせよ、共産党にせよ、違う意見も持った人たちに「憲法を守る」というひとつの大きな共通点ができますから。そして、今まで以上に普通の有権者が盛り上がる可能性がある。なんといっても、憲法9条は戦後日本のアイデンティティですからね。

■マーティン・ファクラーアメリカ・アイオワ州出身。東京大学大学院で学び、1996年からブルームバーグの東京駐在員。その後、AP通信、「ウォールストリート・ジャーナル」を経て、「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長を務めた。15年7月に同紙を退職。現在は民間シンクタンク「日本再建イニシアティブ」の主任研究員。著書に『崖っぷち国家 日本の決断』(孫崎享と共著 日本文芸社)などがある

(取材・文/川喜田 研)