「人間、食欲はいくらでも我慢できますが、上と下から“出るもの”は抑えられません」と語る峠恵子氏

珍奇な書名である。『冒険歌手』の“冒険”とは、歌い手としてのチャレンジ精神を表しているのか、冒険をテーマにした曲を歌っている人という意味なのか。

実はこの本、音楽の世界で長らく活動しながらも、突然、冒険の旅に出てしまった著者・峠恵子氏の体験を綴ったノンフィクションなのである。しかも、その冒険は誰にでもできるものではなく、ギネス級のチャレンジだというから驚きだ。

なお、著者はドラマ『あすなろ白書』の挿入歌やカーペンターズの楽曲の歌い手としても知られる一方、近年では森永製菓のCMで流れる「♪モ・リ・ナ・ガ」の声も担当している超一流のシンガーだ。それを念頭に置いて読んでいただければ、彼女の行動のとんでもない無謀さと珍奇さを実感していただけると思う。

―そもそも、どうして冒険に出ようと思われたんですか?

 苦労がしたかったからですね。私は末娘で小さい頃から好きなことをやらせてもらい、学生の時にカーペンターズの曲を歌っていてスカウトされ、そのままデビューしてしまいました。しかも、松田聖子さんや酒井法子さんと同じ事務所ですよ。私より歌手になりたい人はたくさんいると思うと後ろめたくて、「いつかバチが当たる」と思っていたんです。だから人並みの苦労を知るために冒険に出ましたが、こんなに大変だとわかっていたら行ってません(苦笑)。そもそも3ヵ月の予定だったのに、ビザが切れたまま密入国までして、結局1年以上も日本を離れていたんですから。

―この冒険の主な目的は、ヨットでニューギニアまで行き、大河マンベラモをヨットとゴムボートで最上流部まで遡上し、オセアニア最高峰であるカルステンツ(5030m)を登攀(とうはん)するというものでした。が、日本を出航した直後からトラブル続き。ゲロとおしっことうんこの記述が果てしなく続く内容に面食らいました。

 それはしょうがないです。あんなボロい船に乗っていると、一番の悩みが船酔いと下痢になっちゃうので(笑)。行く前は、食べるものの心配ばかりしていたんですが、食欲は人間いくらでも我慢できます。でも、“出るもの”は抑えられません。しかも、揺れる船内では手が離せませんから…コックピットはゲロとおしっこまみれでした。

ギネスに載って『徹子の部屋』に出る気満々だった

―その壮絶さは、一緒に乗り込んだ元自衛隊員が血反吐を吐いて2週間でリタイアするほどだったそうですが、峠さんはボロボロになりながらも乗り切り、オセアニア第2の山、トリコラ(4750m)を世界で初めて北壁ルートから登攀(とうはん)されました。これはギネス記録にも申請できる成果ですよね?

峠 はい。私はギネスに載って『徹子の部屋』に出る気満々だったんです。でも、一緒に行った隊長(著名な冒険家の藤原一孝氏)もユースケ(後に『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞を受賞する冒険家・作家の角幡唯介氏)も、「ギネスに載るなんて野暮だ」って言うんですよ。「“世界一長い海苔巻き”みたいな記録と並びたくない」なんて言って、とにかくギネスをバカにしていました。

―冒険家の矜持(きょうじ)というやつでしょうか。カッコいいですね。しかしカルステンツを制覇した後、なぜか一行は「幻の犬」と呼ばれるタスマニアンタイガー探しに奔走…。5ヵ月の期間と200万円もの大金をつぎ込む“大迷走”を繰り広げました。

 ほんとに、ねぇ(笑)。うちの隊長は山師なんですよ。本気で幻の犬を見つけて、一攫千金を狙っていましたから。私も最初は信じていたんですけど、「これは怪しいぞ」とだんだん思い始めてきて。ニューギニア内陸の現地人にも会いましたが、結構、不思議な人が多いんですよ。犬の絵を描いて「あなたが見た犬は確かにおなかに袋がついてたの?」って聞くと、一生懸命に絵を下から覗き込んで、「あった、あった」って言うんです。とても信じられないですよね(苦笑)。

―しかし、峠さんたちはそんな素朴な現地人から何度も詐欺に遭いました。途上国の人々=善良というイメージがあったのでちょっと驚きましたが。

 いやいや、そんなことありませんよ(笑)。罪悪感がないんでしょうね。それに、白人や中国人が奥地まで入って文明の利器や金をばらまいているので、もうみんな贅沢(ぜいたく)を知っちゃっているんです。便利な機械や洗剤を一度使ったら、また欲しくなる気持ちもわかりますけどね。そういうものは現金でしか買えませんから、私たちみたいな冒険家やTVのクルーなんかが行くと、ここぞとばかりに金をたかられるんですよ。

怪しい旦那と電撃結婚、冒険は続く…

―それもTVの旅番組を見ているだけでは得られない知識ですね。峠さんがこの冒険を通して得た最大の収穫とはなんだったんですか?

 “人は自分が思っている以上にやれるんだ”ということですね。もう歩けないと思っても、そこから3日は歩けますから。この旅から帰った後に、当時75歳のうちの親父を御嶽山(おんたけさん)に登らせてみたんですよ、スニーカーで(笑)。親父は死にそうになっちゃって、「これはもうダメ(=死ぬ)かな」と思ったんですが、なんとか登り切り、今では「俺はまだまだやれるんだぞ」ってすごい自信をつけちゃっていますからね。若くても「体力の限界が」って諦める人もいますけど、それはもったいないことだと思います。

それと、若い人にはもっと冒険してほしいですね。今はスマホがあるから、留学してもみんなスマホで日本と連絡をとってばかりじゃないですか。観光名所に行っても、写メを撮りながらスマホ越しにものを見ている。それって本当に新しいものを見たことにならないと思うんです。だからスマホをいったん置いて、新しいものに触れる冒険の旅に出かけてほしいですね。

―非常に説得力があります。ちなみに、峠さんは旅から帰った後、病気の治療のために訪ねた医師と3時間で結婚を決めたそうですが…。

 これぞ最大の冒険ですね(笑)。自分でもビックリしました。しかも、旦那は「波動療法」という治療法を提唱しているんです。患者の髪や体毛や爪があれば、波動エネルギーを送って地球の裏側からでも治せちゃうんですよ。…って、めちゃくちゃ怪しいですよね(笑)。でも、出会った瞬間に運命を感じてしまったので、しばらくはこの冒険を楽しもうと思います。

(取材・文/西中賢治 撮影/藤木裕之)

●峠 恵子(TOUGE KEIKO)1968年4月2日生まれ、埼玉県出身。成城大学法学部卒業。大学在学中にスカウトされ、シンガーソングライターとしてデビュー。現在、人気鉄道番組『鉄道・絶景の旅』(BS朝日)でナレーションと挿入歌を担当している。1月20日(水)19時に八重洲ブックセンター本店8Fギャラリーにてトーク&サイン会を開催

■『冒険歌手』(山と渓谷社 1200円+税)ニューギニアにある「トリコラ山」を世界で初めて北壁ルートから登攀(とうはん)した軌跡を綴ったノンフィクション本。冒険家としての経験が全くない著者が、数々の苦難を時に感動的に、時にコミカルに描き出す。2004年に出版され話題になった『ニューギニア水平垂直航海記』に大幅な加筆修正を行ない、角幡唯介氏との対談や高野秀行氏の解説を加えて再版した