今回の合意に反発する意見は、韓国国内ではごく一部の声だという(撮影/細野晋司)

昨年末、日韓両政府は慰安婦問題の解決に向けて合意した。突然の合意の背景には何があったのか? また、真の解決には何が必要なのか? 

週プレ外国人記者クラブ第18回は、朝日新聞「WEBRONZA」に寄稿する他、様々なメディアで活躍する韓国・ソウル出身の国際法学者、金恵京(キム・ヘギョン)氏に話を聞いた。

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─昨年12月28日、日本と韓国は「最終的かつ不可逆的に」慰安婦問題を解決することで合意しました。元慰安婦の支援を目的とする財団を設立し、そこに日本政府が約10億円を拠出するという形での解決ですが、どのように評価しますか?

 金 私は、研究を兼ねて年末年始に韓国へ帰っていたので、このニュースを聞いて家族全員で心から喜び合いました。日韓両国にとって意義深い、歴史的な一歩だと思います。

─しかし、電撃的と言ってもいい決定だったので、従来から両国にいる「嫌韓」「反日」の層は虚を突かれた反動で激しい反発を見せています。

 金 「歴史的な一歩」と言ったのは、今回の合意が非常に大胆な政治決断だったからでもあります。日韓両政府は「嫌韓」「反日」といった、立場を全く異にする層からの反発を予想し、それを避ける形で一歩を踏み出しました。ただし、省略した要素は合意後に処理すべき課題として残されることとなったのです。

しかし、両国政府とも自国民に対する事前の国内調整をもう少しできなかったのかという疑問は残ります。『柔らかな海峡』という本にも書きましたが、私は以前から慰安婦問題の解決のためには両国政府が「それぞれの“希望”と“限界”を明示すること」、そして「国内の調整をすること」が必要だと考えてきました。特に国内調整に関しては、韓国が元慰安婦女性に事前周知だけでもしておけば、現在の反発は多少抑えられたと思います。

いずれにしても、両政府は今後も国民の理解と納得を得るために説明・対話を続けていかなければなりません。村山富市政権下の1995年に設立された「アジア女性基金」(正式名称:女性のためのアジア平和国民基金)及び当時の日本政府は、メディアの反発に耐えられる共通理解を作れませんでした。

その結果、韓国でメディアへの影響力を持つ「挺対協」(韓国挺身隊問題対策協議会)など圧力的な市民団体の突き上げを受けて、韓国の姿勢は固定化していきました。一方で、アジア女性基金が頓挫(とんざ)した日本では失望が広がり、日韓の議論が交わらなくなったのです。

今回の合意は、「不可逆的」という言葉で意味づけられています。この「不可逆的」という言葉が持つ意味を、両国は尊重しなければなりません。そして、これまでと同じ失敗を繰り返さないためにも両国政府は史実や合意を踏まえて、自らの“希望”と“限界”を国民に正直に伝えるべきです。

過激な市民団体「挺対協」とは?

 ─日本人の多くは「挺対協って何?」という疑問を感じているはずです。なんとなく「在特会」(在日特権を許さない市民の会)とイメージを重ねる人もいるかもしれない。

 確かに、在特会と挺対協には自らの主張を曲げずにここ数年、自国の首脳を強く評価していた点で共通点はありますが、ヘイトスピーチや民族差別を平然と行なう団体と「イメージを重ねて」しまうのは乱暴すぎるのではないかと思います。とはいえ、韓国人の多くにとって挺対協は「過激すぎる市民団体」との印象があります。そしてマスコミによって必要以上にクローズアップされてもいます。

慰安婦関連の情報が欲しい韓国のマスコミが挺対協を取り上げるため、その報道を参考にする日本のマスコミでも同じ情報が伝えられるという構図があります。加えて、韓国の事情をよく知らない日本の多くの人にとっては、挺対協が韓国の多数意見であるように映っています。

そして、韓国のメディアでは今回も世論とのズレが起きています。両国の合意が伝えられたのは12月28日午後ですが、合意当日の夕方のニュース番組では「政府が下した決定なので多少の不満はあるがそれを支持する」とした元慰安婦の声も伝えられていました。

しかし、翌日になると「納得できない」「認めない」といった意見の人たちへと明らかに報道の重心が移ったのです。また、合意に対して否定的な意見を持つ何人かの元慰安婦はニュース番組などで取り上げられる頻度も高いのですが、彼女たちと挺対協は思うところが合致しているため、同じ人たちばかりが表に出やすい傾向もあります。

合意前後の時期を韓国で過ごした私の印象からすると、合意に対して強硬に反発を示すのは韓国社会の一般的反応ではありません。もちろん、外交上の合意なので多少の不満は双方にあるでしょうが、前進と捉える人が多いのが実情です。

では、どうしてメディアが反対の声に重心を置いて取り上げるかというと、やはり穏やかな賛意よりも反対の怒声のほうが目立つからです。そうした中で、日本において「派手であるから正しい、あるいは一般的である」と捉える人が多くなると判断を誤ってしまいます。

また、挺対協に対しては、ニュース映像の中で彼らのデモや集会を見る機会は多いのですが、実際に街で彼らに遭遇したというソウル市民は多くありません。にも関わらず、ごく一部の極端な意見を取り上げる報道によって、日本全体が韓国に対して実像と異なる印象を持つようになれば、国内調整に向けて大きなマイナスとなってしまいます。

そして、今後の課題解決のためにはメディアの姿勢も問われます。政治家の問題発言と謝罪を繰り返してきた日韓の歴史問題における状況を変えたいと望むならば、両国メディアは相手国の本当の姿を伝えていかなければなりません。

 ─今回の合意には、アメリカ側の強い要請や北朝鮮情勢などいくつかの背景が指摘されています。つまり、問題の解決への思いよりも、そちらの比重が大きかったとする見方です。

 確かに今回は突然の決定でしたが、どのような背景があったとしても、私はこのたびの合意が歴史的な一歩になると捉えています。ただし「合意」を「解決」につなげていくためには、両国で国民の理解が高まることが必要です。

1月14日、自民党所属の衆議院議員で元文部科学副大臣の桜田義孝氏が「慰安婦は職業としての娼婦」と発言したことは、とても残念です。桜田議員は批判を受けて発言を撤回したため、安倍首相は特にペナルティは科しませんでしたが、「日韓合意を踏まえて発言してほしい」といった旨の苦言を呈しています。

政府の中枢に近い政治家が合意の精神や、それに至る苦労を理解できていないのなら、現在、国民の理解は十分でないと考えるのが妥当ではないでしょうか。副大臣まで務めた現役議員の発言は日本人の多数派意見ではないとしても、韓国人は“日本を代表する意見のひとつ”として受け止めます。挺対協の言動をもって韓国を代表するものと見なす日本と、同じ状況が韓国で起きる危険があります。

「国民の理解を求めて対話を重ねる」という点で考えると、日本政府には今以上の努力が必要と言えるでしょう。この点に関しては、現時点では日本政府よりも韓国政府の方が評価できます。合意後に朴槿恵(パク・クネ)大統領は国民に向けて、たびたびスピーチや声明を出していますが、それらは合意内容への理解を求める熱意が感じられるものでした。安倍首相も、この歴史的合意をより積極的に国民に向けて語っていくことで「合意」を「解決」に変えていけるはずです。

本当の「愛国心」とは何か?

─問題になっている、ソウルの日本大使館前に建てられている「慰安婦像」の撤去については、どうお考えですか?

 像が韓国政府によって建てられたものなら、すぐに撤去すべきです。しかし、像は市民団体によって建てられたもので、この点を考慮する必要があります。韓国は1970〜80年代の民主化運動を経験し、民意の尊重に関しては成熟した姿を見せていますから無理矢理に政府が像を撤去することは難しいといえます。

国民の理解を得て、慰安婦問題を解決していくという大きな目標を考えれば、今回の合意で「適切に解決されるよう努力する」と韓国の外相が述べているのですから地道な撤去に向けた努力を見守る姿勢も大事なのではないでしょうか。

一方で、私は少女像を大使館前に設置し続けることを望む団体に対して、「愛国心とは何か」ということを考えて欲しいと思います。私は愛国とは右であれ、左であれ、国が良い方向に向かうよう願い、そのために学ぶ姿勢が基本にあると考えています。彼らは少女像が日韓の対立を生み、慰安婦問題の解決を逆に遅らせていることにも目を向けるべきです。また、早期の解決は両政府や両国民はもちろんのこと、彼らが支援する元慰安婦女性が何より望んでいることだと気づいて欲しいと思います。

歴史を振り返れば、1965年の日韓国交正常化は今回の合意以上に難しい決断でした。当時の関係者は、植民地支配の記憶も鮮明な中、隣国である日本と対立することは韓国のためにならないと考えたのです。それにより、両国は半世紀にわたり協力関係を築き、主要な貿易相手国であり続けてきました。

現在も日本と韓国は安全保障上の同盟関係にあり、北朝鮮の脅威や中国の環境汚染など多くの問題を共有しています。そうした中で、GDPの規模で世界の3位と13位を占める隣国同士が対立し続けることは全く国益に適いません。今回の慰安婦問題に関する「不可逆的」な合意が、より豊かな関係へのスタートとなることを私は願っています。

(取材・文/田中茂朗)

●金恵京(キム・ヘギョン)国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。近著に『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)

●『柔らかな海峡―日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル 1500円+税)朝日新聞「WEBRONZA」での好評連載に書き下ろしを加えた全23編の評論、姜尚中氏と日韓関係の未来像を語る対談を収録