「女子の貞操観念が全くないのは平安時代も現代も同じ。女って抑圧されてるような顔してるけど、実はそうじゃないかもしれない」と語る橋本氏

元々、日本人には性的タブーがなくて、その代わりにモラルがあったーーと言われても、戸惑ってしまう人がほとんどかもしれない。

だが、西欧から“性的なもの= 猥褻(わいせつ)”という考え方がもたらされたのは明治時代で、それ以前の日本人には「性」のタブーもなければ「変態性欲」といった概念もなかったのだという。

そんな「日本人の性」の世界を古事記や万葉集、源氏物語、歌舞伎に浄瑠璃、浮世絵…と、伝統文化に描かれた「性表現」を縦横無尽に行き来しながら、鮮やかに描き出したのが『性のタブーのない日本』の著者、橋本治

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―それにしても、平安時代は「目が合うこと」と「セックスすること」がほぼ同義だったとか、今でいう不倫やBLが『源氏物語』の中にも普通に描かれていたとか、明治以前の日本人の「性」のイメージってこんなにも違うんだなぁと驚きました。

橋本 まぁ、そもそも古事記に書かれた日本の創世からしてセックスだしねぇ。イザナギがイザナミに「私の(体の)余っているところを、あなたの(体の)ふさがっていないところに入れればちょうどいい」って呼びかけたとこから始まってるわけで。それに、律令制ができるより前に人間界の罪(国津罪)として最初に定められたのが、「近親相姦(そうかん)と獣姦(じゅうかん)はダメよ」っていう国ですからね。

古代の日本人は、穴があったら、ともかくなんでも突っ込んじゃう…みたいな(笑)。

―それが明治期に大きく変化したのは、やはり「性」を一種の「罪」としてとらえる、キリスト教的な倫理観が入ってきたことが理由なんでしょうか?

橋本 ただ、そればっかりでもないんだよね。明治政府をつくった人間って、要するに薩摩とか長州とかの田舎の人じゃん? その典型が芸者遊びばっかりやってた初代の総理大臣、伊藤博文なんだけど。要するに、ああいうオヤジって「やる」のは大好きだけど、それをあんまり大っぴらにされるのはいやだっていう種族だからさぁ。

明治に入って、かつての武士以外にも家長制度が広まると、そういった「俺はやってるけど、キミたちはオープンにしちゃダメ」的な感覚のオヤジが威張る世の中になり、セックスを見えないところに隠したり、男女差別がひどくなった面もあって。

平塚雷鳥とかの女性解放運動が出てくるのが明治だから、それ以前の時代の日本って、ずっと女性を抑圧していたように思われているけど、実は一番、男女差別が激しくなるのって、むしろ明治からなんですよね。

「実は近親相姦でした」っていうオチが…

―そうなんですか。

橋本 みんな「女は女らしく」っていうのが封建道徳だと思っているかもしれないけど、例えば江戸の芸能って、劇中で女が刀を振り回すシーンとか、カッコいい女盗賊の話なんかも、ごく当たり前にあるのね。ああいうのを見てると、少なくとも江戸時代の人には「女はおとなしくしてなきゃいけない」って感覚はないと思う。

ちなみに、幕末のお芝居って、ネタが煮詰まってるからグチャグチャで、若い女形が「蛇(へび)責め」に遭って「ア~レェ~」みたいな場面とかザラですから。

―エロいですねぇ。

橋本 そう、エロいのよ(笑)。お芝居は最終的に「実は近親相姦でした」っていうオチがつかないと成り立たないとこまでいっちゃってたほどで。(河竹)黙阿弥なんかも、そういうのを書いてたんだけど、明治になった途端、スパッとやめちゃった。

―そうやって時代とともに「性」への意識が大きく変わっていく一方で、「女子の貞操観念が全くないのは、平安時代も現代も同じ」というような記述もあったんですが…。

橋本 実を言うとね、この本のキッカケになったのが『小説すばる』という雑誌のセックス特集で、そこで私に日本の近代以前の性について書けって言ったのも女性編集者なんだよね。

彼女から「最近、セックスのこと書くのって女流作家ばっかりなんです」っていう話があって。基本的に若い男はもうセックスに手を出してないってことみたいで。

ほら、去年も「春画展」が話題になったけど、あれを満員にしたのも女とじいさんたちでしょ? だからこの前も他誌のインタビューで言ったの、「『週刊プレイボーイ』は春画の特集なんかやんないよ」って(笑)。

本来ならそういう好奇心が旺盛なはずの若い男が、実は一番セックスに関心を持ってないかもしれないというねじれ方は確かにあってさ、彼らがどんどん老いていく一方で、女は野獣化しているっていうね。

結局、春画が女にウケた理由って、あれを見て、「春画の女の人たち、開けっ広げにやってるじゃん!?」って思った女たちに「じゃあ、アタシたちも奔放にやっていいんだ!」という感覚がどんどん吸収されていったからだと思いますね。

女はあくまで「感じるか感じないか」

―春画展は、野獣化した彼女たちが自らの「性」の肯定を進めるイベントだった。一方で老人化が進む若い男たちは指をくわえて見ているだけ…と。

橋本 というか、老人化してる若い男たちは「ああ、そうですか」って、別になんにも感じてなくて、本物のじいさんたちは「春画は芸術だから」とか言いながら、自分の長いブランクを肯定してたんでしょ(笑)。

あと、男の抑圧ってわかりやすいんですよ。だって勃(た)たなくなったらおしまいでしょ。でも、女はあくまで「感じるか感じないか」の話なわけで。男にやられても感じないけど、自分ひとりでやってる分にはすごく感じるから大丈夫って女もザラにいると思う。そういう意味では女って、ずっと抑圧されてるような顔してるけど、抑圧されてないかもしれないもんね。

―結局、女も男もホントは何も変わってなくて、変わっているのは世の中の「建前」だけだったりもするワケですよね。

橋本 建前が変化するっていうのも、実は裏と表がひっくり返って入れ替わる…みたいな、その程度の変わり方じゃないのかなぁ。人間のバリエーションって、そんなにないんですよ。

それに、今や建前が好きなのって自民党の政治家だけじゃない? なんか、あの人たちの言う「伝統」やら「日本」やらが私は一番嫌いなんですよね。

それは明治以降の近代日本人が「勝手につくった日本」だろうっていうのが頭にあってさ。そういうのがいやだから、こうして近代以前に遡(さかのぼ)りながら「そうじゃない日本」を一生懸命に探しているわけなんですけどね。

(取材・文/川喜田 研 撮影/村上庄吾)

●橋本 治(HASHIMOTO OSAMU)1948年生まれ、東京都出身。東京大学文学部国文学科卒業。77年に小説『桃尻娘』でデビュー。以降、小説、評論、エッセイ、戯曲など、縦横無尽な創作活動を行なう。本作とも関わりの深い『古事記』『源氏物語』『枕草子』『平家物語』などの現代語訳も多く、『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)は古典への苦手意識を克服できる名著。近著に『いつまでも若いと思うなよ』(新潮新書)、『負けない力』(大和書房)などがある

■『性のタブーのない日本』(集英社新書 780円+税)明治以前の日本には、性に関するタブーが存在しなかった―。実は、『古事記』や『万葉集』、優雅な恋物語の世界と思われがちな『源氏物語』にさえ、エロチックで(時々)変態な、当時の人々の姿が描かれているのだ。本書は、歌舞伎や浄瑠璃、春画といった伝統文化も参照しながら、日本人の性に対する意識が独自の「モラル」のもとでどんな変遷を遂げてきたのか、浮かび上がらせていく