「現在のテロの源流のいくつかは日本にある」と歴史的背景を語る金恵京氏 (撮影/細野晋司)

世界各地で繰り返されるイスラム国(IS)などによるテロ、それに対抗するアメリカやロシアなどによる空爆…武力による報復の連鎖がテロという悲劇が終焉を迎えることはあるのか? 

「週プレ外国人記者クラブ」第22回は、朝日新聞「WEBRONZA」に寄稿する他、様々なメディアで活躍する韓国・ソウル出身の国際法学者、金恵京(キム・ヘギョン)氏に話を聞いた。金氏は先月、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)を上梓し、国際法の整備によるテロ抑止を提唱している。

***

―日本には移民・難民問題もありませんし、キリスト教とイスラム教の対立からも無縁ですから、まだまだ国内でのテロに対する危機感は薄いように思われますが、いかがでしょう?

 日本でテロが少ないと思うのは、現在の中東やアフリカを震源地とするテロを想定しているからだと思います。しかし、国際的に見れば、大規模無差別テロの先鞭をつけたとされる1972年のイスラエルのロッド空港での銃乱射事件をはじめ、1970年代にハイジャック、人質テロ、海上テロなどを引き起こした日本赤軍の存在が頭に浮かびます。

また、爆弾テロでいえば、「東アジア反日武装戦線」によって起こされた1974年の三菱重工業東京本社ビル爆破事件が有名です。つまり、現在のテロの源流のいくつかは日本にあり、現在のテロを他人事として捉(とら)えるのは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という状態かもしれません。

また、アメリカとの同盟関係を受けて、アルカイダやISなどから日本に対してテロ予告がたびたび出されていることや、1987年の大韓航空機爆破事件や日本近海で覚醒剤の密輸をしていた北朝鮮の存在なども、日本におけるテロの懸念要因として想定しておく必要があると思います。

―安倍首相は昨年11月のパリ同時多発テロの後、「テロとの戦い」に向け国際社会と連帯していくと強調しました。安全保障関連法案の成立により、日本でもISなどイスラム過激派によるテロが起こる可能性が高まったと思いますか?

 安保法はテロリストに関与する部分が増えるのですから、テロの危険は増えます。そして、日本で危険だと思うのは、政府や関係者がテロの危機を煽(あお)ろうとしながら、テロのために必要な法整備が行なわれていない点です。これはメディアの世界でも同様で、テロの危険を煽るものの、自由や民主主義といった価値観とどのようにテロ対策や法制を両立させるかという視点が十分ではありません。それが『無差別テロ』を執筆しようと考えた要因でもあります。

私は日本の現状に対して、「テロは危険だ」と声を上げて終わるのではなく、「テロの危険が高まっているからこそ、テロリストが破壊しようとする現代社会の原則を維持しつつ、効果的な対処方法を確立しなければならない」と捉える発想の転換が求められていると思います。

ビンラディン殺害で米は「テロとの戦い」の建て前をも破壊した

―著書の中で「『テロの定義』を早急に確立し、それに基づく様々な法システムを構築する必要がある」と書かれていますが、「テロの定義」とは?

 テロというものは立場が違えば英雄的な行動である場合も少なくありません。植民地独立運動はその国にとってみれば国家確立に尽力した立派な行動になりますし、植民地の宗主国からすれば反乱やテロとなるわけです。イスラエルと中東の対立や、過激なイスラム原理主義を取る人にとってのビンラディンもその系譜に当たるのかもしれません。そのため、テロの解釈を曖昧(あいまい)にすれば、無差別テロを行なった人がある国では法に問えない危険があるのです。

また、テロの定義が曖昧であるゆえに、自分の気に入らない相手や政府・与党に反対する人を「テロリスト」とレッテル張りをするケースも見受けられます。言葉が雑に使われるということは、テロの法的位置づけが雑になるということでもあります。現在、テロが国を跨(また)いで起きることが珍しくないのですから、各国が共通の定義をもって、それに基づいた国内法を整備し、テロリストにとっての“抜け道”がないように環境を整えていく必要があります。

―しかし、「テロとの戦い」=「武力行使による殲滅(せんめつ)」というのが世界的風潮。「法」はテロ抑止に本当に有効なのでしょうか?

 現在の法概念は何百年にもわたる市民の努力で作り上げてきたものです。そこには人権、人道、プライバシー、主権の尊重などの概念が存在しています。しかし、テロに力で対抗しようとする場合、基本的にテロリストは市民の中にいますので、権力はどうしても乱暴な手段(社会の原則を侵害する手段)をとらざるを得ません。

また、国際的にもテロに力で対抗しようとすると、テロリストとの対話や裁判すら否定する傾向があります。主権国家であるパキスタンの国内にアメリカの特殊部隊を侵入させ、ビンラディンを拘束せずに殺害したアメリカの行為はそれまでの「テロとの戦い」の建て前すら破壊するものでした。

ただ、そうした行動に対して、国際社会はあまり疑問を差し挟みませんでした。法に基づかない行動(力による行動)が一般化すれば、テロに対抗する価値として国際社会が掲げてきた人道、民主主義、国際協調などの概念が揺らいでしまいます。力による対応は一見、効果的に見えて、かえって自らの首を絞めてしまう行為でもあるのです。

―日本国内の法でいうと、「特定秘密保護法」があり、「緊急事態条項」の新設(テロや戦争、巨大災害などの緊急時に一時的に政府の権限を強化したり、個人の権利を制限したりすることができる)が論争を呼んでいます。これらの法をどう評価しますか?

 テロや緊急事態に備えた法制を平時に整えておくことは重要です。それは事態が起きた直後だと、世論が急進的な対応を求め、社会の基本的な原則が崩れてしまう傾向があるためです。しかし、今話題に上がっている法律を考えると、政府側が平時にも関わらず拙速かつ過剰な反応を示していると考えざるを得ません。

平時であるのですから落ち着いた議論や広範な合意が必要なのですが、成立過程を見ると、国民的な合意が形成されているようにも思えません。そうした状況からは「なぜ平時に緊急時の法律を整備するべきなのか」という想定と実態が乖離(かいり)しているように見えます。

整備されていない日本の「テロ被害者補償」

―本書でもっとも身近に感じた部分は「被害者の目線から見たテロ」の章でした。補償額を見ても一目瞭然で、テロ被害者への補償制度がアメリカやドイツと比べて日本はいかに整っていないのか…と。

 テロ被害者への補償を考える時、それがなんのために行なわれるのかという姿勢が大事なのだと思います。補償が手厚い国の場合、補償を充実させることには主に3つの目的が考えられます。それは、①国の代わりに犠牲になった人への補償(単なる刑事事件とは異なるという認識)、②国としてテロに対峙(じ)することの意思表明、③遺族の生活が危機にさらされないこと…で、テロの二次被害を防ぐ、などといった効果です。

一方、日本の場合はテロの被害はあくまで通常の刑事事件と同様のものと捉え、被害者への補償や遺族への措置(現地への渡航費の支給や専用機の派遣など)はあくまで世論の動向や政策決定者の一存に拠っています。そのため、被害者やその家族にとっては、テロ発生直後から将来に至るまで精神的・経済的不安を持ち続けなくてはならないのです。

―テロ被害者補償について、韓国の場合はどうなっているのでしょう?

 韓国の場合も、テロの補償は日本同様、進んでいるとは言い難い状況です。韓国の法律の特徴として、従来、日本の法律との類似性がしばしば指摘されてきました。日本語と韓国語の文法の共通性、かつての植民地時代の影響などがその理由です。しかし、最近では韓国の法律の目指すところは日本ではなく、先進国として国際的な要請に合致することへと変わってきています。

例えば、韓国のテロ資金規制に関する法制度は、20世紀までは日本の法体系に類似していましたが、現在では基準を国際的な資金移動を管理する「マネーロンダリングに関する金融活動作業部会」(FATF)の要請に合わせるようになっています。

一方、日本は2014年6月にマネーロンダリング対策およびテロ対策の国際基準を満たしていないとして、FATFから迅速な法整備を求める声明文を公表されてしまいました。FATFからこうした評価を受けたのは加盟国の中で日本だけです。これは21世紀に入ってからの日韓両国の法改正の差異が国際的な評価基準に照らされ、評価を受けたものといえます。韓国や日本が今後、テロの被害者補償についてどのような対応を見せるのか、注視していきたいと思います。

―政治体制や宗教など各国で様々な立場の違いがある中、全世界に共通する「テロの定義」と、それに伴う法整備は将来的に可能なのでしょうか?

 可能であると思います。ただし、そのためには現在の広がりすぎたテロの概念を整理する必要があります。テロ(terrorism)の語源はフランス革命時の恐怖政治時代(Reign of Terror)にあります。つまり、出発点では権力側の行為をテロと考えていたのです。その後、19世紀後半以降、反体制派の市民が権力者に対抗するために重要人物の殺害を企てる行為がテロと呼ばれるようになり、20世紀半ば以降はハイジャック等の市民への示威行為を用いて、国に要望を突き付ける形態がテロの主流となりました。そして、1980年代頃から大規模な無差別テロが頻発するようになっています。

つまり、そうした大きく見ても4つほどに分類できるテロの系譜の中で全てを網羅しようとしては収集がつかなくなります。そこで、私は拙著『無差別テロ』の中で、現在大きな被害をもたらしている無差別テロを法的に抽出し、それを規制する方法論を提示しました。具体的には、暴力行為を政治性の有無を根拠に「刑法犯罪」(政治性なし)と「テロ」(政治性あり)に分類し、テロの中から「(政治家や軍人など)関係者へのテロ」を排除したものを「無差別テロ」と定義したのです。

無差別テロを是認する国は世界的にありませんので、この方法論であれば世界各国が同意できるテロの定義になり得ると考えています。

●金恵京(キム・ヘギョン)国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。著書に『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)などがある

●『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書 2000円+税)