「北方領土問題に関して、ロシアでは強硬派が圧倒的主流」と語るゴロヴニン氏

ウクライナの停戦問題やシリアへの空爆でロシアが国際社会から孤立しつつある中、安倍首相は訪ロを画策するなどロシアとの接近に意欲的だ。

政権の重要課題である北方領土交渉が前進する可能性はあるのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第23回は、ロシア「イタル‐タス通信」のワシリー・ゴロヴニン東京支局長に話を聞いた。

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─昨年来の懸案となっている安倍首相のロシア訪問が、今年のGW中の実現に向けて再び注目を集めています。安倍首相としては、夏には参院選を控え、外交面でポイントを稼ごうという狙いがあるのでしょうが、ロシア側の反応は?

ゴロヴニン 個人的には本当に実現するのかどうか、疑問視しています。同時に、実現に向けた駆け引きも含めて、安倍首相のロシア訪問はアメリカ、EUも含めた国際社会での非常にスリリングな“外交ゲーム”になると考えています。

実現を疑問視する第一の理由は、すでに日本国内でも報道されている通り、2月9日に安倍首相との電話会談でアメリカのオバマ大統領が「時期を考えてほしい」と懸念を伝えているからです。オバマ大統領の考えていることはロシア側にもよく理解できます。ウクライナの停戦問題、シリアへの空爆など現在、ロシアはアメリカおよびEUとの間に大きな問題を抱えています。

第二の理由は、日本の首相がロシアを訪問するとなれば当然、日本のメディアは北方領土に関する交渉に注目するでしょうが、この点に関して安倍首相がなんらかの成果を挙げることは現時点で非常に困難だからです。わざわざアメリカの反対を押し切ってまでロシアを訪問したのに、プーチン大統領から日本の国民を喜ばせるような言葉を引き出せなければ、外交面でポイントを稼ぐどころか、参院選に向けてマイナスの要素にもなりかねません。

─原油価格の下落で、産油国でもあるロシアが経済的に苦しい今こそ、経済協力というカードを使って北方領土交渉を有利に進められるという見方もできると思うのですが。

ゴロヴニン それは非常に表面的な考えだと言えるでしょう。原油価格の下落は、現在のグローバル経済では単に産油国だけの問題ではなく、日本にとっても株安や円高といった形で大きな問題。苦しいのはロシアだけではありません。

また、北方領土問題に関しては、ロシア政府の対応や世論にも周期のようなものがあり、柔軟に対話の姿勢を示すこともありますが、現在は強硬論が圧倒的な主流となっています。事実、2015年5月にはラブロフ外相が「北方領土は第2次世界大戦の結果としてロシアの領土となった。敗戦国である日本に返還を求める権利はない」という非常に強硬な姿勢を示しています。

―ロシア側が譲歩するのは考えがたい…と。

ゴロヴニン 北方領土はロシアにとっても日本にとっても、現政権に対する国民からの信認という点で単なる領有権の問題を超えてシンボル化しています。どちらの政権にとっても簡単には譲れない問題。特にロシアにとって、オホーツク海は原子力潜水艦の拠点であり、安全保障上の非常に重要なエリアです。ロシア人はオホーツク海を「自分たちの湖」と考えていますが、北方領土の領有権を日本に譲れば単なる公海になってしまいます。

つまり、もし安倍首相のロシア訪問の目的が北方領土交渉に関してなんらかの進展・成果を示し、参院選に向けて支持率を高めることにあるとすれば、それは残念な結果に終わる可能性が高いということです。

ただ、前述した安倍首相とオバマ大統領の電話会談の内容がリークされ、メディアを通じて表面化したことは非常に興味深い。アメリカだけでなく、日本の政権内部にも「安倍首相のロシア訪問を阻止したい」と考える勢力が存在するということを意味するでしょう。“スリリングな外交ゲーム”は、すでに始まっています。

ロシアのサミット復帰をアメリカが許すことはない

─5月26~27日には伊勢志摩サミットが開催されます。もし、GW中に安倍首相のロシア訪問が実現すれば、その直前というタイミングになります。ロシアは1998年から正式にサミットのメンバーになりましたが、2014年のウクライナ危機でアメリカとの関係が悪化して以降、現在は資格停止中です。安倍首相がロシアとアメリカの仲介をして、伊勢志摩サミットでロシアを復帰させるという狙いも考えられます。

ゴロヴニン 確かに、これまでの安倍首相の外交姿勢を観察すると、従来の対米追従から、よりニュートラルな立場で日本独自の存在感を国際社会で示したいという意欲が感じられます。ただ、これは日本に限らずアメリカの同盟国すべてに共通する傾向でもあります。アメリカの国力の相対的低下によって、同名各国は外交上のオプションを持つ必要に迫られているのです。韓国と中国の接近もこの一例でしょう。

しかし、ロシアのサミット復帰は北方領土問題以上に難度の高い外交交渉です。アメリカを中心としたサミット参加国がロシアの復帰を認めるための条件はハッキリしています。それは、2015年2月の停戦合意後もウクライナで続く、東部の親ロシア派と西部の民族主義勢力の武力衝突を合意通りに停戦することです。しかし、たとえロシアが介入したとしても、これを実現することはほとんど不可能と言っていい。

もうひとつの問題、シリアの内戦に関しても今年2月22日にロシアとアメリカが共同声明を発表して停戦を呼びかけましたが、この実現もウクライナと同様に困難と考えるべきでしょう。始まってしまった内戦はそれぞれの勢力の背後にいる大国が動いたところで容易には停められないものです。つまり、安倍首相がロシアを訪問したところでロシアのサミット復帰をアメリカが許すことはないでしょう。

──もし、ロシアのサミット復帰に向けた仲介役が日本ではなくイギリスだったらどうでしょうか? ロシアが旧ソ連の時代にオブザーバーとして初めてサミットに出席したのは1991年のロンドン・サミット。正式の参加国となったのも1998年のバーミンガム・サミットからです。

ゴロヴニン 1991年のロンドン・サミットは旧ソ連が崩壊する直前、ミハイル・ゴルバチョフがソ連の初代大統領という肩書きだった時代のことです。当時の西側諸国におけるゴルバチョフ人気、いわゆる「ゴルビー・ブーム」は大変なものでした。そして、その背景にあったのが、ゴルバチョフが掲げたペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)によって冷戦構造がデタント(緊張緩和)に向けて動いていた世界情勢です。

しかし、現在の国際社会は当時とは180度逆の状況にあります。四半世紀前のゴルバチョフの時代が対立から融和へ、世界がひとつにまとまろうと動いていたのに対し、現在は再び分裂の兆しが表れています。イギリスにおけるEU離脱議論も、そのひとつでしょう。ロンドン・サミットで西側諸国がゴルバチョフを歓迎したような状況は想像することすら難しいのが現状です。

──ならば、アメリカの反対を押し切ってでもロシア訪問の実現を目論む安倍首相の真意はどこにあるのでしょう?

ゴロヴニン ここまで述べてきたように安倍首相がロシアを訪問しても外交上の成果を挙げることは難しいと考えますが、それでも訪問を実現しようというのなら、なんらかのメリットを彼は想定しているのでしょう。それが何かは私にはわかりません。

日本が北方領土問題に関してロシア側の譲歩を引き出すための重要なカードと言われている経済協力についても、もし日本の企業がロシアへの投資にメリットがあると考えれば、安倍首相の思惑や北方領土交渉とは関係なしに投資は加速するはずです。またロシア側としても、安倍首相との交渉で自分たちにとってのメリットが見出せれば、彼の目論見に同調する動きを示すこともあり得ないことではありません。

つまり問題は、相手国にメリットを提示できるかどうか、また自国にとってのメリットをどこに見出すか。しかし、経済のグローバル化が進み、多国籍企業が多大な利益を上げる現在、国家の思惑で左右できる経済的メリットは決して大きなものとは言えないはずです。

●ワシリー・ゴロヴニンイタル‐タス通信東京支局長。着任は旧ソ連時代末期の1991年。以来、約四半世紀にわたって日本の政治・経済・文化をウォッチし続けている

(取材・文/田中茂朗)