ブログ旅では“人類の愛”と“無償の愛”を感じたと語る、稲垣早希ちゃん

昨年3月、若手芸人らが様々な体当たり企画に挑戦する人気番組『ロケみつ』シリーズが約6年半の歴史に幕を下ろした。

関西ローカルの深夜枠にも関わらず、じわじわ話題となり、全国に放映枠を拡大。その原動力となり、このバラエティでブレイクしたといっても過言ではないのが、ヨシモト女芸人の桜 稲垣早希(さき)ちゃん。

彼女がアニメ『エヴァンゲリオン』のアスカのコスプレで旅をする“ブログ旅”は、番組史上最長の5年半も続いたメイン企画に! ブログのコメント数次第で旅の資金と続行が決まるという過酷なルールの中、日本全国、さらにはヨーロッパへの旅にも挑戦した早希ちゃんの姿に勇気づけられた人も多かった。

終了から1年…。今なお“ロケみつロス”、いや“早希ちゃんロス”で寂しい思いをしているファンに彼女のインタビューをお届け! ブログ旅の裏話から女芸人としての今、気になる恋バナまで語ってもらった!

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―『ロケみつ』終了から1年、今も「終わっちゃって寂しい」というファンは多いのでは?

稲垣 そうですね。大阪でイベントとかやると、おじいちゃん、おばあちゃんのお客さんに「寂しくなったわ~、早希ちゃんに会えなくて」ってよく言われます。孫が家に来なくなったみたいな感じで(笑)。

―ははは、でも視聴者層って、深夜だしそんな高齢じゃないイメージでしたけど。

稲垣 観てくれてたのは30~40代が多かったらしいんですけど、単独イベントしたら最前列はおじいちゃんってことが多いんですよ。大阪で道を歩いてても、おばちゃんに「あー、早希ちゃん、久しぶり~!」とか声かけられることがあって。「いや、知らん知らん、会ったことないから!」みたいな(笑)。

―大阪のおばちゃんっぽい! 早希ちゃんが親戚のコとか孫みたいに愛されてるんですね~。自分自身の“ロケみつロス”はどうなの?

稲垣 今ぐらいにやっときましたね。ブログ旅のヨーロッパ編の収録が2年半くらいかかったんですけど、その間ずっと1週間ごとに向こう行って、こっち戻っての繰り返しだったので、とにかく飛行機移動がしんどすぎて…。終わった時は寂しい気持ちもあるけど、ホッとしたのも大きかったんです。

―ホッとした気持ちというのは?

稲垣 ブログ旅を“ゴール”っていうキレイな形で終われたっていう安心感ですかね。私がヨーロッパを旅してる間に他の芸人さんのコーナーがどんどん終わっていって。番組自体の打ち切りの話もあったらしいんですよ。私の旅もゴールできないんじゃないか?みたいな。

でも、ゴールできない理由が打ち切りっていうのが一番悲しいので、それだけは避けたいって言って、ディレクターとかプロデューサーさんが頑張ってくれたみたいで。自分的にも旅が終わった時にやりきった感があったし。それで、ずっと日本にいれるようになって、お肌も結構ボロボロやったのが、プリプリになって…(笑)。

今思えば、人生のだいぶ濃い時間を過ごせたな…

―それほど苛酷な…だいぶ酷使してたんですね。

稲垣 そうなんですよ。もう、目のクマが全然取れなくって。ヨーロッパと行き来して、もうCAの女性とも顔見知りになってたんですけど、半笑いで「また行くんですか?」って感じで。「マイル貯(た)まりますね~」みたいな。

―CAに同情されるほどだった、と(苦笑)。

稲垣 飛行機移動は体にモロにきてたんで(苦笑)。でも、今ぐらいになって仕事の現場で「ロケみつ、観てましたよ」とか言われたりすると、「あー、なんか寂しいな」って…(目を少し潤ませて)。やってた時は大変だったんですけど、今思えば、人生のだいぶ濃い時間を過ごせたなという。

―今となってノスタルジックな気持ちに…。でも、ぶっちゃけ視聴率ってどんな感じだったんですかね?

稲垣 ヨーロッパ編からOLさんの視聴者がすごく増えたとは聞いてたんですけど、具体的な数字は聞かされてなくて。「何も気にせず旅だけしといて!」って(笑)。でもいつからか、ちょっと風邪引いたなって時にプロデューサーが「今倒れられたら困るから!」って、のど飴を差し入れてくれたり、なんか嫌に優しくて。それがプレッシャーになってたりもしましたけど(苦笑)。

―『ロケみつ』の継続は、まさにブログ旅に懸かっていたと。ヨーロッパ編では、のっけからオーストラリアに行く予定が、スタッフのミスで?オーストリアに着いちゃったというハプニングがありました。あれって、本当に何も知らなかったの?

稲垣 知らなかったです! オーストリアに着いてからも全然気付かなかったですから。今考えたらほんまにアホすぎるんですけど、飛行場で雪が降ってて、すごく寒かったんですね。ディレクターさんに「オーストラリアって暖かいイメージなのに、なんでこんなに寒いんですかねぇ?」って聞いたら、「早希ちゃん、今、地球は温暖化で気候がおかしくなっててね…」って言われて。「へー、大変ですね!」って納得して(笑)。

―ありました、そのやりとり! じゃあ、ほんと全部作りナシの素の早希ちゃんが出てたんだ。

稲垣 そうです! 観てた人には、オーバーリアクションとかテンション高いとか言われるんですけど、あんな波瀾万丈やったら自然とテンション上がりますよ! 私、元々は結構落ち着いてるほうで、他の現場では「テンション低いね」とか言われるし。

―旅が過酷すぎて、ちょっとおかしくなってた?

稲垣 そうですね。時差ボケが戻らないうちに、また海外に行かなきゃいけない感じだったんで。飛行機も当然エコノミーで、飛行機が揺れるたびに「あぁ、死ぬんかな」とか思ってたし。スタッフ含め、どんどん精神を病んでって…(笑)。

あの時、恋人ができてもうまくいかなかっただろうな

―観てる側が想像する以上に裏側は大変だったんですね。

稲垣 いや、でも観てもらってるのが全てというか…全てであってほしいっていう気持ちはあるんですけど。

―では、旅を振り返って、一番の忘れられない思い出とかは?

稲垣 5年半も旅をしてたんで、1位を付けづらいんですけど…ヨーロッパ編は言葉が通じない分、その中で優しくしてくれた人からは“人類の愛”を感じたというか、「言葉っていらんねや」みたいな、温かさを感じましたね。

でもやっぱり、今でも印象深いのは旅の初日かなー。最初は和歌山からスタートだったんですけど、初日なんて本当に私も知名度ゼロで、しかもコスプレしてる状態で田舎に放り出されて。撮影するカメラもホームビデオみたいな小ちゃいカメラだったから、本当に怪しい集団だったと思うんですよ。

それなのに何人も優しくしてくれる人がいて、なんかもう、今までの自分の悪行を悔いたというか、私も「人に優しくしなあかんなぁ」って。“無償の愛”を感じました。

―人類の愛に無償の愛って…(笑)。でも、長い旅の間に「他の仕事したい」「もっとプライベートの時間がほしい!」とは思わなかった?

稲垣 仕事のほうは「旅に集中したい!」っていうのが一番だったので、別になかったですけど、プライベートがホントに…。24歳から旅してたんで、同世代がバンバン結婚していって、そこの置いてけぼり感はありましたね。

―20代半ばからの5年間って、ある意味、一番女性が輝く時じゃないですか。それを全部ブログ旅に捧げちゃった…。

稲垣 そう! ホントもうMBS(毎日放送)に持ってかれて! でもあの時、もし恋人ができても、ほんまに日本にいなかったから、たぶんうまくいかなかっただろうなって。それよりも、もう必死やったし、合間に他の仕事するのも正直、結構しんどくて…。いっぱいいっぱいやったんで。

●この続き、インタビュー後編は明日配信予定!

■桜 稲垣早希1983年12月27日 兵庫県出身。2008年から2014年まで5年半、続いたTV番組『ロケみつ』の「ブログ旅」コーナーで一気にお茶の間の人気者に。持ちネタの『エヴァンゲリオン』のアスカのモノマネから“エヴァ芸人”と呼ばれることも。2014年には、R藤本とのお笑いコンビ「ドラゴゲリオンZ」を結成し、ニコニコ生放送などで活動。現在は、女優、声優としても活躍中!桜 稲垣早希のブログナイフもチェック! http://blogs.yahoo.co.jp/sakura_inagaki_saki_blog

(インタビュー/週プレNEWS編集長・貝山弘一 構成/岡本温子[short cut] 撮影/五十嵐和博)