ヤクルト時代の五十嵐の苦悩を、江夏氏は敏感に感じていたという

ヤクルト時代は“日本最速投手”と呼ばれ、ひたすら真っすぐで押す投球でファンをドキドキハラハラさせたイケメン剛腕、五十嵐亮太

メジャー挑戦を経て3年前に日本球界へ復帰し、最強ソフトバンクのセットアッパーとして不動の地位を築いた。

150キロを超える速球は健在だが、それに加えてナックルカーブなどの変化球、そして打者のタイミングを外すスーパークイック投法。円熟期を迎えたリリーバーの進化の秘密に週刊プレイボーイ本誌の連載「アウトロー野球論」でお馴染み、江夏豊氏が迫る!

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江夏 久しぶりだね。年はいくつになった?

五十嵐 今年で37歳です。

江夏 高校から入って、もう19年目か。思い出すよ、まだ若い頃のあなたのピッチングを。宮崎・西都(さいと)のヤクルトのキャンプで当時、投手コーチだった小谷正勝(ただかつ)さん(現・ロッテ二軍投手コーチ)と一緒に3人でよく野球談議をしたよな。

五十嵐 懐かしいです。小谷さんにかわいがっていただいて、江夏さんともいろいろお話しさせていただいて。

江夏 それがこんな立派なピッチャーになってな。このキャンプ、現時点での仕上がりはどう?

五十嵐 とても順調です。昨年のキャンプでは、ふくらはぎを痛めてしまったんですが、今年はオフの間に体を絞ったので、すごく動きやすくなっていますね。

江夏 顔もスマートになったよな。でも、年を重ねれば誰だって足腰が弱ってくる。まして、あなたは18年間で(日米通算)800試合近く投げた。もっとあちこちに故障が出たっておかしくないのに、むしろ若返っていくような感じがある。なぜだろう?

五十嵐 自分なりにオフの生活やシーズン中の過ごし方を考えているんですが、その中で決まった練習メニューをこなせているので、そこまで極端に体力が落ちたっていう感覚はないですね。心の中では20代後半ぐらいのつもりでやっていますし。

江夏 表情を見ていると、今、人生に、野球に自信を持っているという印象があるんだよ。反対にヤクルト時代のあなたは、常に何か悩みがあって野球に取り組んでいる、というイメージがすごくあったわけ。野球に対して素直にバーッとぶつかっていけない“何か”を持っている、という表情だったから。

五十嵐 ああ…そこまで見ていただいていたというのが嬉しいです。本当にその通りでした。

江夏 当時はキャンプのブルペンでマウンドに上がっても、一生懸命にいい球を投げたいという気持ちは出ているんだけれど、それがなかなかボールに伝わらないという。投げるたびに苦痛があるような、そういう姿を何回か見させてもらったから。

バカだなあ、アメリカなんかに行って…

今年のキャンプでは新球種の習得や、体に負担のかからない投球動作の微調整などに取り組む五十嵐

五十嵐 自分の中で定まっているものがなかったんです。ピッチングにおいても、野球選手としても軸の強さ、芯がなかったような気がしますね。それが表情や雰囲気に出ているのを感じられたんだと思います。

江夏 やっぱり、それは敏感に感じたよ。

五十嵐 今はある程度揺るがないもの…それが自信につながるかどうかはわからないですけど、自分のやるべきことをやって、それをマウンド上で表現するっていう。そういう、ものすごくシンプルなところだけに集中できていると思います。

江夏 そのシンプルさが難しいんだよな。そこに自分が入り込むまでが難しい。あなたがそうやって生まれ変わったのは、やっぱり3年間、アメリカに行って、体で覚えてきたことが生きているのか。それとも、あくまでも18年間の積み重ねが大きいのか。どうだろう?

五十嵐 もちろん、アメリカでの3年間は大きかったですね。それがあるから、ヤクルト時代の自分を客観的に見たり、「今の自分」と比べることができたと思います。

江夏 なるほどな。

五十嵐 僕はヤクルトにすごくお世話になったし、かわいがっていただいたんですけど、自分が選手としてある程度のところまで行ってから、そんなに前に進めていなかった。でも、それなりに成績は残るという状態でやっていて、「ちょっとまずいな」って思ったんですよ。その頃にタイミングよくアメリカに渡れる機会が巡ってきたので、自分を一回、厳しい環境に置いちゃおうと。

江夏 それには相当な決断力が必要だったと思うよ。

五十嵐 そうですね。でも、僕は強くないから、「ここならこれぐらいでいいか」と環境に流されちゃうので。たぶん、ヤクルトにいたら…。

江夏 そのままで終わっていたのかな。

五十嵐 そんな感じ、しなかったですか?

江夏 いやいや。むしろ正直に言わせてもらうとね、俺は、あなたがメジャーに挑戦すると知った時、「バカだなあ、アメリカなんかに行って苦労するなんて…」と思ったよ。言い方は悪いけど、“ヤクルトの五十嵐”でいたほうがずっと楽なのにな、と。

五十嵐 そうですね。楽だったと思います。

これが本当にあの亮太かいな?

江夏氏はヤクルト時代の五十嵐の苦悩を知っているだけに「今のあなたの勇姿を見て嬉しい」と絶賛

江夏 というのも、自分も現役の最後に海の向こうに行って、いろんな意味で勉強してきた人間だから、「亮太はあんな余分な苦労はしなくていいのにな」と。やれるんかいな、大丈夫かいな、という心配をしていてね。

五十嵐 なんていうか、“親心”ですね。ありがたいです。

江夏 いやいや(笑)。

五十嵐 自分としては、厳しい環境に身を置いたほうが新しいことを吸収できるだろうなと思っていたんです。ちょっと甘えちゃってるのかな、というのもあって。

江夏 あなたが自分で決断して向こうに行って、自分に厳しくして、プラスになったのならよかったと思う。

五十嵐 本当に行ってよかったと思っています。

江夏 しかし、今のあなたの勇姿を見て嬉しいよ。「これが本当にあの亮太かいな?」と思うぐらい。

五十嵐 嬉しいです、そう言っていただけるのは。

江夏 去年の活躍で、かなり年俸も上がったしな(笑)。まあ、そうはいっても今年はまたゼロからのスタートになるけれど、目標は?

五十嵐 常に思っているのは、向上し続ける、ということです。今年は絶対、去年よりもいい成績を残したい。そのためには、新しい変化球も覚えないと、と思っています。

江夏 何かチャレンジしているボールがある?

五十嵐 今はフォークを練習しています。確実に投げられる球にしたいなと。

◆この続き、後編記事は明日配信予定!

●五十嵐亮太(いがらし・りょうた)1979年生まれ、北海道出身、千葉県育ち。97年、敬愛学園高校からドラフト2位でヤクルト入団。2年目の99年から中継ぎとして台頭し、04年には当時の日本人最高球速タイ(158キロ)をマーク。09年オフにFA宣言し、メジャーリーグのNYメッツへ移籍。パイレーツ(メジャー登板なし)、ブルージェイズ、ヤンキースと渡り歩いた12年オフ、ソフトバンクと契約し日本球界復帰。一軍では一度も先発がなく、デビューから675試合連続リリーフ登板中(日本記録)。オールスター出場6回

●江夏 豊(えなつ・ゆたか)1948年生まれ。阪神、南海、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などの記録を持つ伝説の大投手。日本球界におけるリリーフ投手のパイオニアでもある。通算成績は206勝158敗193セーブ

(構成/高橋安幸 撮影/五十嵐和博)