飯舘村の仮置き場には積み上げられたフレコンバッグがまだ山のように。汚染はひどいが、それでも村は来年3月までの避難指示解除を目指している

避難指示区域の解除が着々と進んでいるが、多くの住民が町へ戻りたくない理由として挙げるのは、被曝(ひばく)への不安だ。国や自治体は福島の放射線量はもはや十分に下がった、健康被害は起きないと主張している。

だが、その実態はどうか? 福島県の水源のひとつ、新田川(にいだがわ)の放射能汚染の現状を伝えた前回記事「水源に浸した布から高濃度セシウムを検出…」に引き続き、今回は福島の“海水と土壌”の汚染状況をリポートする。

法律では、4万Bq/㎡以上に汚染された場所は「放射線管理区域」に指定され、区域内に一般人は入れないようにしている。18歳以下の就労も禁止だ。理由は、それだけの放射線を浴び続ければ人体に悪影響があるから。

しかし、福島の土壌を検査すると、多くの場所でこの基準をいとも簡単に上回ってしまうことがわかっている。

2017年3月から避難指示区域解除を予定する飯舘村で、除染を終えた農地を昨年12月に測定した。それによると、トウモロコシ畑の深さ5㎝までで1㎏当たり7900Bqが検出された。1平方メートルに単純換算すると約51万Bqに達する。しかも空間線量は除染済みなのに毎時1.5μSv(マイクロシーベルト)あった。

農地では、放射能レベルを下げるために汚染されていない土を混ぜることがある。この対策を済ませた土を測ると、深さ5㎝までは413Bq/㎏(約2万6千Bq/㎡)に下がっていたが、5㎝から10㎝までの土は1200Bq/㎏(7万8千Bq/㎡)と高い汚染があることがわかった。これでは村に戻っても、農作物など作れない。

南相馬・特定避難勧奨地点の会の小澤洋一氏(59歳)も県内各地の土の調査をしているが、県内の放射能レベルは極めて高いという。

「一例を挙げると、南相馬市から葛尾(かつらお)村に抜ける県道沿いにある鉄山ダム近辺の土からは、9610万Bq/㎡が検出されました。学校やその周辺の汚染も深刻です。南相馬市の高倉にある通学路の土からは400万Bq/㎡のセシウムが検出され、飯舘村の学校からは1千万Bq/㎡を超えるような土も見つかっているのです」

汚染魚が流通する恐れも…

イチエフの西側1.5㎞地点は事故から5年がたっても予想どおりひどい汚染が続いていた。土の放射能を測定すると5千万Bq/㎡超という、放射線管理区域の1250倍もの高い数値を記録。空間線量は毎時30 μSv近く、地表は振り切れて測定不能だった

福島の放射能汚染のすごさを比較するために、本誌は2月下旬、福島原発事故当時に放射能プルームが飛ぶコースから外れた新潟県を訪れ測定した。見附(みつけ)市にある高校の校庭裏を測定すると、空間線量は毎時0・03μSv、土の汚染は1624Bq/㎡で、小澤氏が測定した福島の学校より6100~2400倍以上低かった。この低い基準が原発事故前の放射能レベルなのだ。

汚染は福島第一原発(イチエフ)のある大熊町や双葉町といった帰還困難区域となると、さらに深刻だ。

2月中旬、イチエフから約1.5㎞地点まで近づき、地表1mの空間線量を測定した。すると測定器の針は上限値の毎時30μSvを振り切り、測定不能となった。1年間ここにいれば、最低でも263mSv(26万3千μSv)も被曝することになる。

現場の土も高いレベルで汚染されていて、測定すると5380万Bq/㎡という途方もないセシウムが検出された。これだけ汚染されていれば、人はこの先10年は戻れないだろう。なのに国は住民からの要望という理由を使い、大金をつぎ込んで除染を始めている。地元では、そんなことをするぐらいなら、故郷を失った人たちへの賠償をもっと手厚くしたほうがいいとの意見も目立つ。

イチエフから沖合1.5㎞地点の海水も測定してみた。これまでイチエフ周辺の海水を測定したが、セシウムは検出されなかった。比重が水より重く、海底に沈むからだ。

だが今回、新田川で行なったリネン法を用いて放射能測定をすると、海水を含んだ布から37Bq/㎏のセシウムが検出された。やはり海水中にセシウムは含まれていたのだ。長崎大学大学院工学研究科の小川進教授によると、

セシウムを含んだプランクトンを回遊魚が食べると、エラの部分に吸収されます。こうして魚類の体内には、海水の100倍以上の濃度で蓄積されるのです

現在、イチエフから20㎞圏内の海域では漁業は自粛されている。当分、自粛は続くだろうが、今の国の強引な住民帰還策を見ると、魚のサンプル調査で汚染が確認されなければ、再開する可能性は十分にあるだろう。

怒号が飛びかった住民説明会

南相馬市小高区の避難指示解除に向けた住民説明会。除染が終わらなくても解除は進めるとの国の説明に、怒りを表す住民も。

2月下旬、4月からの避難指示区域解除が予定されていた南相馬市小高区で住民への説明会が開かれた。住民からは「除染が終わっておらず、まだ放射線量が高い所もあるから解除は早い」とする声が相次いだ。ところが国の担当者は、住民を突き放すようにこんな趣旨で答えた。

空間線量が年間20mSvを下回り、なおかつ生活環境の整備と自治体の同意が得られれば、避難指示は解除できるのです。除染が終わらないと、解除ができないということではありません

こうした話を聞いた参加者の中には、話にならないと怒りだす人もいた。国が住民をどう考えているかを象徴するシーンだった。

これだけ放射能汚染があっても避難指示解除を進める姿勢を崩さないのは、国が住民の健康よりも、町は元通りになったという体裁を取り繕うことしか考えてないからだろう。そもそも年間20mSv以下という基準は、原発作業員の実質的な年間被曝上限と変わらない。それを放射線防護の基礎教育さえ受けていない子供や妊婦にも一律に適用すること自体、異常だとしか言えない。

このように福島の汚染地域の水、食べ物、土壌の放射能汚染は相変わらずだ。となると、住民が戻っても農業はできない。昨年9月に避難指示が解除された楢葉町(ならはまち)には、元からいた人口の6%に相当する440人しか戻っていないことを考えれば、南相馬市小高区も飯舘村も結果は見えている。

だが、それは安全と健康を考えれば、現時点では望ましいことだといえる。いくら国が100mSvまでは被曝しても安全といっても、これはICRP(国際放射線防護委員会)の基準を日本政府が都合のいいように解釈したものにしかすぎないからだ。

だからこそ、住民はそんな根拠のない国の安全宣言など無視して自分の身を守ってほしい…のだが、実は汚染は福島だけにとどまらない。首都圏にもいまだに放射性物質が吹きだまる汚染スポットがあちこちにあるのだ。

この続きは、週刊プレイボーイNo.13「原発事故から5年たっても首都圏で福島より放射能汚染のひどい場所があった!」でお読みいただけます。

(取材・文/桐島瞬)