あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
前回、歌手・タレントのマルシアさんからご紹介いただいた第20回ゲストは、元Jリーガー・日本代表のラモス瑠偉さん。
J2のFC岐阜で監督を務め、3シーズン目に突入。現役時代、“闘将”と呼ばれたカリスマだが、開幕したばかりのナーバスな時期に快く迎えていただくと、変わらぬ本音全開のトークで“ラモス節”が絶好調ーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―そんな岐阜生活となったタイミングでビックリしたのが、昨年11月に再婚されていたという。家で穏やかに落ち着ける生活というのも今はいい感じですか?
ラモス そうですね。もうオヤジで、いつクビが飛ぶかわからない人間とよく一緒になったなっていつも言っているけど。彼女も根性あるからね、スゴい、素敵な人だなって。
―さすがに岐阜で暮らされていると六本木で遊ぶにも遠いですし。娘さんを安心させるのにはよかったのでは。
ラモス でも、勝っていたら行っていましたよ。練習をして試合もうまくいけば、オフを利用してね。そこまでバカだよ、まだ(笑)。ラテンの血が流れているからね。リオっ子だし。
―ほんと若々しくて、エネルギッシュな感じが全然衰えてないですけど…年をとった自覚もまるでないですか?
ラモス ない! 今でも六本木を出たら朝の3時4時まで平気だよ。遊び好きでしょうがないです(笑)。仕事も、遊びも、そういうことやっていたの。58歳の時に平気で行っているからね。
ただ、一昨年の最後のほうからは行かなくなった。期待している人に対して、チームの結果が良くないのに遊んでいる場合じゃないからね。それはやっぱり俺はプロだから、それはやらないね。
―切り替えというかリフレッシュも大事ですけど、気持ちが乗らないと楽しくないでしょうし…。
ラモス で、ここ最近ね、たまに昼寝するんです。やっぱりグラウンドに行って練習をして、家に帰ると軽く食事して、うまくいってない時はね、チームのこと考えて、神経を使いすぎちゃって寝ちゃうんですね。外だったら寝ないけど…。それだけかな。娘は「それ歳だよ」っていうんだけど(笑)。
―ちなみに、現役離れて、各チーム、ビーチサッカーまで指導者として経験を積まれて。性格的に変わったなとか、だいぶ丸くなったとかあるんでしょうか。激しいのは変わらない?
ラモス 変わらないんですけど、少しね、選手達のことを考えるようになった気がします。自分では、なんでこんなことができないんだろうって。プロサッカー選手として観ているから、ミスがひどすぎると、厳しく言っていたんだけど。最近、みんな俺に怒られるんじゃないかとビクビクしているな、とかわかるし。言いたいことあっても少し我慢しようかなって。
「地獄だろうが天国だろうが、乗り越えたい」
―自分がプレイしていた時と違って、若い世代とのギャップも当然あるとは思いますが。
ラモス いや~それが本当に違うんですよ。最近、高校生とか中学生を対象にした講演会や、小学生にも月に数回指導をしているんですけど。彼らに言うのは、一生懸命やっているよね、だけど、上を目指したいんでしょ。だったら一生懸命やるのは当たり前だよって。
俺が今、接しているのはもうプロですよ。一生懸命やっているとか子供みたいな言い方しちゃダメ。プロですから一生懸命は当たり前! 「意識を持って集中してやらないとうまくならない、自分の課題、チームの課題は改善していかないよ」って。
あと、できない、やらない理由とか言い訳、逃げ道を探しているのかなっていう、若い選手が目立つね。
―それは確かにどの仕事、職場でも多いのかなと…。
ラモス 間違いない。次、頑張るとか、腹立つよ。いや、次はないよ、あなたのどこに実績あるの?って。まぁ言いたいんだけどね。我慢しなきゃいけない。それは少し丸くなったなと思うけど、いつか言ってあげたいね。
―(笑)。でもほんと、好きなことやれて一生懸命頑張るのは当然で。そこからどう自分の頭で考えて、よりよくしようと努力するか…。
ラモス その通りです。だから不思議でたまらない。すぐに自信をなくす、すぐに弱気になる、チャレンジしなくなるんですよ。ここでトライすればいいのに、チャレンジ、なぜしないの?
―そこで、「○○さんだからできるんですよ」とか。「ラモスさんじゃないからそんな能力ない」みたいな言い訳をまたしがちなのかなと。
ラモス でも、僕、難しいことは要求していないよ。ヴェルディの監督になった時、1年目が結構厳しかったから、逆にうちの奥さんに言われたの。「あんたね、自分の現役の時にやったことを彼らにやらせようとしたら大間違いだよ。できないのに何を考えているの」って。
そこでまた自分で目線を下げて、いろんな目線で見ないといけないなと。これ以上、妥協しなければならないなら、俺もプロでやってきた人間だからもういいよ。誰が監督やってもいいやないかって思ったんですけど。
結局、そういう自分のやろうとしていること、理解してくれる選手を呼んだほうがいいのかなって。2年目の時にフッキ選手、名波(浩)選手とか服部(年宏)選手呼んで。結構固まって、その時はやっぱり昇格できたんですけど。
―その時々のチーム事情であり、人やお金、組織に合わせてマネージメントしていく必要もあるでしょうしね。
ラモス 難しいですよね。特に選手をまとめるのは。選手を観察する、見守るのも好きですよ。監督の立場で見てきた中でね、名波とか、やっぱりスゴかった。ピッチの中での監督も彼がやってくれたしね。岐阜でも彼のような選手が若手にいろいろと伝えてくれていれば、それはいいことだなと。
―でも今は地元の期待を背負って、自分から辞めたり絶対しないと。やるべきことをやり切って、あとは神様のお導き次第でしょうか…。
ラモス そうですね。まぁこの山だけは登りたいな。何が待っているか知らんけど、地獄だろうが天国だろうが知らんけど、登りたいね。乗り越えたい、この山。どうしても。
「贅沢は自分の奥さんのためにやっただけですよ」
―それでやり切ったと思えたなら、次に進めますしね。それこそ、今の奥さんと小さいアパートでイチからやり直すのでもいいと仰ってましたが。
ラモス そう。全然構わない。僕、贅沢しない人間ですよ。お金があれば、たまに六本木のお姉ちゃんのところに行くけど(笑)。奥さんはわかっているけどね。
でも、美味しいもの食べると、必ず仲間も呼ぶし。ただ、それ以上…高い服買ったりするとか、高い車とか、そういう贅沢はないんですよね。だから正直な話、すごい家に住みたいとも思っていないし。今の表参道の家は、たまたま運がよくて、バブルの時にね。
昔、初音ちゃんに出会った時、原宿のキディランドの隣にあるオープンカフェのお店だったんですよ。すごく素敵、真っ白でヨーロッパっぽい…モデルさんばっかり、外国人ばっかりでなかなか普通の人が入りづらい雰囲気があってね。
―思い出の地であり、憧れの場所だったんでしょうかね。
ラモス で、子供大きくなって、ベビーカーでまたみんなで行って、そこでコーヒーを飲んだりして。1回、この辺りに住みたいなって。好きでたまらなかったんですよ。…でも住めるわけがないでしょ? 月30万か35万でお給料の人間が。
そこで何年か経ってから、プロになって、代田に家を買っていたけど、知り合いの社長さんから「日本の、天下のラモスだよ。あそこで住んでちゃいかん」ってさ。「俺、天下とか何もないわ、勘弁してください」、「いや、駄目駄目駄目」って言って、いきなり…。
まぁその時、あと2年くらいで、もしかしたら引退するんじゃないか、アホかと思って。それでも買ったんですよ。普通買えない、あんなローンは組めないって。アホすぎやで。でも初音ちゃんのために、贅沢は自分の奥さんのためにやっただけですよ。そこで彼女を住ませることができたっていうことが、もう嬉しくてたまらない。
―素敵なお話です。それで、また自分もモチベーション上がって頑張れるというのもあったでしょうしね。
ラモス だからそれだけですよ。ここに家建てる、いいなぁ。この値段でツラいけど、「大丈夫だよ。あんた、逆に引退した後、ものすごい仕事が入るぞ。ここでいい家を持て」って言われて。それで目の色が変わったの。その後のこと、正解なんかわからないでしょ。まあいいじゃない!って。
ただ、奥さん亡くなって、3年経って…できれば、娘とおばあちゃんと違うところで一緒に住ませてあげたいなっていうのもあるんですよね。だから、自分は岐阜で成功して、岐阜で暮らしていきたいって気持ちがすごく強くなっているんですよ。関東離れて、セカンドキャリア…岐阜のために何かやりたいなって
―そこで再婚もされて、まさにここからまた心機一転ですもんね。
ラモス たぶん、神様、サッカーだけでここに呼んでいるんじゃない気がしてきているんですよ。だから、この痛い目遭っているのは自分の宿命じゃないかなって思っているんです。逃げちゃあかんなって。去年も辛かったは辛かったけど、最後の最後、J2残ったんですよ。絶対なんかあるな、と。
今年もこんなスタートで、なんかあるね、これ。俺を試しているんだったら神様の負けだな…。わし、絶対やるで~。もうちょっと噛み合ったら、面白いサッカーできるんじゃないかなと思っているんです。
「日本が好きでたまらないんですよね」
―では、帰化もされて、こうして日本を愛し、骨を埋めるっていう思いでしょうけど。最近では三都主(アレサンドロ)選手や闘莉王選手もブラジルに戻ったりと。寂しい気持ちもあります?
ラモス ないない。呂比須(ワグナー)もそうだったじゃん。まあ人のこと何も言えませんけど、もし10年前、20年前に奥さんと別れていても、貧乏なっても、俺は日本で這(は)い上がる自信あるから。そこまで日本が育ててくれたんですよ。すごくこの国が、好きでたまらない。愛しているし。
なんとかまだまだ自分で、スポーツ関わっている子供たちに何かできるんじゃないかなとか、まだまだ日本に恩返しできていないなと思っているから。なんか…いろいろ考えていますよ。
―お母さんがすでに亡くなったっていうのも大きいでしょうけど、ブラジルに対するノスタルジー的なものは自分の中にもうそれほど…。
ラモス もう、ないですよ。お母さん生きていた時もないです。まぁ兄弟いるし、ブラジルも嫌いじゃないんだけど、日本が好きでたまらないんですよね。海外に行くとすぐ日本帰りたくなるんですよ。
東京着いた瞬間によっしゃー、庭だぞー! 成田着いただけじゃダメ。日本は日本だけどね、東京じゃないと思っているから。銀座、六本木、よっしゃー。そういう人間よ(笑)。
―あははは。…というわけで、そろそろお時間が厳しいようですが…。
ラモス 全然大丈夫です。何か聞きたいことあったら全然、まだ俺はいいから。
―では最後にお友達を紹介していただければと。だいぶ交友は幅広いでしょうね。
ラモス たくさんいるんだけど、鈴木雅之さんとか松山千春さんとかね、いろんな人知ってる…女性だと杏里さん、RIKACOも仲いいです。あと、徳永英明さんもね、とても気さくな人で。サッカーの話、めちゃくちゃ熱くなって面白い、詳しいしスゴいなと思って。
何年か前、『壊れかけのRadio』の新しいPVでいろんな友達が歌っているっていうのがあって、それも出させてくれたんですよ。
次回ゲストはカワイい弟分でもある…
―たくさん候補がいすぎて、悩ましいくらいですけど(笑)。サッカー界でいうと、やはり一番はタレントとして活躍されている武田(修宏・のぶひろ)さんとかですか?
ラモス そう。やっぱ弟分で、まぁ面白い奴です。
―読売クラブ時代からのカワイがってきた後輩ですよね。
ラモス たまに口だけじゃなくて、試合観に来てほしいけどね(笑)。坊主頭の高校生で、右も左も何もわからない時から知っているし。やっぱりカワイい奴だなとか、いつも気にはかけているの。うちの奥さんも武田がいつも女性でやられているんじゃないかなって心配して(笑)。相手がちゃんと決まれば、紹介してくれって。
でも、そろそろコーチとか監督になりたいんだったら、サッカーの現場に戻ってこないとダメ。まぁ…どうせ結婚しないんだしさ、本当になりたいこと、そういう風に伝えてあげたほうがいい。ホリプロの堀会長に言えばね、わかってくれるんですよ。
―ある意味、ディープな話ですが(笑)…本人の意思次第ということでしょうか?
ラモス いや、でもあいつはTV出たい人間、注目浴びたい人間ですから。辞めたくないのか、辞められないのか。だけど1回だけ、言ったの。あなたが今独身で、お金に苦労していない。J2で、どこのチームも1千万払うチームないよ。でもそこ行って、1年や2年、ダメだったらホリプロさんに戻ればいいじゃんって。「1回だけやらせてほしい」って言えば、堀会長、めちゃくちゃいい人だもの。
―そこまでラモスさんも親身になれるほど、カワイい弟分なんですね。
ラモス 相変わらず、TVでバカなことやっているのも観ていますよ。自分でモテると思ったら大間違いやねん!って(笑)。まぁでもいいコ、めちゃめちゃ大好きです。いつでも一緒に遊び行きますけど、ただ、いつかコーチの道に入りたいんだったら、もうそろそろじゃないかなって。
とにかく、六本木でひとりふらふらしないで、たまに岐阜に来てね。結構いいお店、カワイいコもいますから(笑)。本当にそろそろ、ひとりの女性にしぼったほうがいいんじゃないかな。無理だとは思っているんだけどね。
―(笑)。わかりました。では、武田さんに繋がせていただきますので。本日はありがとうございました!
●第21回は4月10日(日)配信予定! ゲストは元Jリーガー・日本代表でタレントの武田修宏さんです。
●ラモス瑠偉 1957 年2月9日生まれ、ブラジル出身。1977年に来日し、読売クラブ(現:東京ヴェルディ)入団。78年には得点王・アシスト王の二冠を獲得、絶頂 期の81年にバイク事故を起こし、選手生命の危機に陥る。その時に看病をしてくれた女性と後に結婚、1男1女をもうける。89年に日本国籍を取得し帰化。 90、91年には年間最優秀選手賞に輝き、Jリーグ誕生後も93年、94年とベストイレブンを受賞するなど草創期のスター選手として活躍。日本代表では “ドーハの悲劇”も経験する。98年に現役引退後、05年にビーチサッカー日本代表監督、06年~07年に東京ヴェルディ1969の監督を歴任、現在は FC岐阜の監督を2014年から務めている。
(撮影/塔下智士)