今は東京・新橋で「肉蔵デーブ」を開店し自ら厨房に入るデーブ大久保前監督

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第22回のゲストでサッカー解説者の松木安太郎さんからご紹介いただいたのは元プロ野球選手で東北楽天ゴールデンイーグルスの前監督・大久保博元さん。

現役時代からデーブ大久保の愛称で人気となり、野球解説者、タレントとして活躍。コーチで現場復帰後、紆余曲折の末、楽天監督に就任するも昨年1年で退任。今は東京・新橋で「肉蔵デーブ」を開店し自ら厨房に入る波瀾万丈な人生とは…。

そのお店に伺うと、ユニフォームから仕込み姿に変わったもののいつもの笑顔で迎えてもらったーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―ちょうど一昨年の楽天監督就任直後、岡山の秋季キャンプでインタビューさせていただいたんですが。

デーブ あー、はいはいはいはい! 今思い出しました、どこだったっけなと思って。

―あの時以来ですが…まさかこういう形でお会いするとは。

デーブ そうですよ、たった1年で。

―その前の解説者をやられていた時代も、私が週プレ本誌で編集者の時から野球特集のコメントをいただいたり、ずっとお世話になっていて。今日は普通に週プレのお友達という感じでお話させていただけたらと(笑)。

デーブ いや、そんな風に言ってもらえたら嬉しいですねー。

―おまけに、ちょうど今日この取材日(4月26日)が連載開始1年目のメモリアルデーなんですよ。

デーブ へー! いいですね(笑)。これ、いい企画じゃないですか。でも松木監督も俺を紹介するくらいで友達いないのかね? はははは! ついこの間、先週土曜日ですか、この店にも来てくれたんだけどね。

―あ、そうでしたか。今度行くんだけども、とはおっしゃってましたが。そんな早速とは!

デーブ 来てくれたんです、はい。監督とはね、俺が(菊池)雄星の件で西武をクビになった後ですね、飲むようになったのは。その前になんかで連絡先交換だけしてて。で、その時にまぁ自分の中で謹慎してたんですけど、「デーブちゃん、出ておいでよ」って言われて。高田馬場まで行って飲んでさ。

―落ち込んでるだろうからっていう、松木さん流の男気というか気配りだったんですかね。

デーブ そうですね。口ばっかじゃない人だから。それで呼んでくれたんだと思うんですけど。僕も外出控えてたのを、まぁそろそろいいかってね。他にもTUBEの前田(亘輝)さんにしても家ならいいだろって誘ってくれたり、千代大海とか連絡くれた人はいましたけど…何人もいないもん。ほんと熱いですよ。

―そういう人情がね。お話ししてみて、昔の江戸っ子気質というか、そのまんまな方なのかなと。

デーブ 江戸っ子ですよね。小伝馬町の実家の鰻屋さんも、ゴルフ行ってその後にそこでガンガン飲んで。僕もたいがい飲むけど、階段降りれないくらいでしたからね。

「野球人としての命は絶ったわけ」

―もう本当に普通に飲み友達じゃないですか(笑)。

デーブ そうです。最高ですよ。で、店来てくれた時も、外テーブルしか空いてなくてさ、いっぱいで。けど、通る人、通る人に「デーブちゃんよろしくね!」みたいに言って、営業してくれて。

―応援してくれて、と。…しかし、デーブさんも監督やめられて、随分お店の立ち上げが早かったですよね。こんなすぐにとは。

デーブ そう、早いですよ。落ち込んでも、割と立ち直りが早いしね。泳いでないと死んじゃう…マグロじゃなくて、ホオジロザメ。監督の時はマグロのようなふりしてましたけど。本当はすぐ噛み付きますから(笑)。

―(笑)でも普通はちょっと休みたいとかあるじゃないですか。

デーブ ないですね、僕には。あのね、僕の自己分析は元気で我がまま。自由な性格だから、今が自分らしいっていうか、戻ってきてるところはありますよね。

―まぁそれだけ1年間の監督経験で自由がきかなかったり、すごいストレスもあったんでしょうけど。星野監督から受け継いでね、命かけてやるしかないと仰ってましたし。

デーブ まぁ結論はね、僕から言わせると所詮は雇われですよ。12球団で12人しかいない、憧れの職業とかいわれるけど、企業とか組織でいえばね。だから、やりたいことやれないのも当たり前で、それは納得してたし。周りはガタガタ大騒ぎになってましたけど、返って三木谷(浩史)会長がかわいそうだなって思ってたもん。

勝てば非難って消えるけど、負ければそっちにいくじゃない? 田代(富雄)さんが辞めた時(昨シーズン途中で一軍打撃コーチを退任)なんて、楽天の株が2500円から1500円まで下がってさ。だから大袈裟な話、本社まで守りたかったっていうのもありますよ。

僕らにとってみれば命がけの職業だけど、それであんなでかい会社までおかしくなるのは絶対に避けなきゃいけないって。言い方悪いけど、たかが野球でさ…だったら、俺が辞めることで全部ね、悪者になればいいし。その舵(かじ)がとれないのも僕の器量のなさで。

―それこそ就任後のインタビューでは「逆に僕が監督引き受けて、ファンにお詫びしたいくらい」って話もされてね。それでも意気に感じて、身を賭す覚悟だったわけですが…。

デーブ だからまぁ…命は助かりましたけど。自分から監督辞めるってことは、野球人としての命は絶ったわけじゃないですか。別に解雇通告されたわけじゃないし、あのまま黙ってやってれば続けられてた空気もあったけど、俺からしたら潔(いさぎよ)くないですよね。

―先日、中畑(清、前DeNA監督)さんの番組で「辞める引き際だけは監督自ら決められる」って話もされてましたけど。野球人として自決するくらいの決意でしたか?

デーブ そうです。野球界と縁を断つとかではないですよ。野球人である以上、何か携(たずさ)わってね、必要とされる人間ではいたいですけど。

「逆に、俺のこと好きなんじゃねぇのって」

―でもほんと、たった1年で志半ばというか…デーブカラーであり、デーブイズムが全面的に発揮されたら、これまでの監督像が革新的に変わるんじゃないかという予感もあったので。本当に惜しいなと…。

デーブ まぁでもそこはさ、結果が最下位ですから。それこそ中畑さんのような野球での実績と人気もなかったら認めてもらえないと思うし。僕が2千本安打打ってたら、その色も出せたはずですよ。現役で100本くらいしかヒット打ってないから説得力なくなるんです。注文も多くなるしさ。

それも含めて、雇われだと思うんですよ。こういう居酒屋やってね、20年も30年も料理やってる人にああしろこうしろって今なら言えるけどさ、僕がオーナーだから。…って言っても、野球で僕らがオーナーになれるっていうのもないですよね、今まで。

―もちろん、その会社の中で監督っていう役割も求めに合わせていく必要があるわけですが。とはいえ、その個性を最大限に活かしてくれる組織であったらという理想もありますよね。

デーブ そこもね、球団から威厳を求められたり、お行儀よくみたいなのはあったけど。やりだしたらもう関係なかったですから。けど、そういういろんなこと経験して、僕も優しくなれてるところはあるんですよ。この店のことでもね、バイトのコが伝票打ち間違ったとか、でかい失敗だけど、結論は俺が悪いって思えるし。

だから、自分の中の浮き沈みみたいなものはそんなないんです。毎日精一杯、今日を人生最後だと思って生きてるだけ。監督やってね、申し訳ないっていう思いも当然ありましたけど、チームを勝たすことによってファンが喜べば、自分の罪の意識も少なくなるしって思って必死にやってきただけですから。なんにも悔いがないですよ。

―あのバッシングの中、チャレンジしただけでも自分の糧(かて)になったともいえますか。

デーブ そう、だからこの店自体もやることが成功なんですよ。もう大成功。ドリームキラーっていっぱいいるけどね、僕は違うと思うんだよね。無理だよって人もいっぱいたし、やったこともないのにとかって言うんだけど、僕はいろんな人に話も聞いて研究もするし、成功した人が何をやったか、失敗した人が何をやったか、勉強してその上でやるんですから。

―野球でも本当に理論的というか、意外っていうと失礼ですけど(笑)、アバウトなイメージかと思いきや、すごく科学的なものや哲学を根拠にいろいろ取り入れられてね。

デーブ 科学って、じゃあ何っていわれると意外とみんな答えられないんですよ。背の小さい人がボールを遠くに飛ばせるってなんだろう…これも科学だし、なんでこの調味料うまいんだろうみたいなのも、全部に当てはまるんですね。それを僕はとことんいきたいんですよ。

―そういう、こだわりがスゴいなと。徹底して、周りに対しても指導者として経営者として熱くなれるんだなと。それで誤解されることもあるんでしょうけど(苦笑)。

デーブ まぁ世間的にあいつはこういう失敗したとかね、叩かれますけど。でも逆に、俺のこと好きなんじゃねぇのって思うのもあるし。嫌いだったら無視すんじゃねぇ?って。悪口書くってことは気になってしょうがないのかな、好きだからチャンネルに入れるんでしょって。

「人生の100%は運だと思ってるから」

―ギャグ漫画でもそういう好き嫌いがあるんですよ。僕がジャンプの編集者時代、人気アンケート見ると、スゴく話題のギャグ漫画って大好きなファンもつくけど、反対に嫌いな漫画でも上位にきて。よくある「好きな芸能人」「嫌いな芸能人」でも、注目だったり興味を惹く人は愛憎半ばしますよね。

デーブ そうですよね、そう思いますけどね。だから、やってみたらまぁ楽天のファンの人たちもよく来てくれたし。

前回、お話伺った時も印象的だったのが、その西武退団でバッシングが大変だった時、行きつけのお寿司屋さんの大将がね、「デーブさん、100人のうち51人が好きって言ったらいい人になるし、逆なら嫌いな人なんだよ」と。

デーブ そうそう、「それくらいで生きざま変えてほしくないね」って言われて。その後、亡くなっちゃったんだけど、ほんとありがたかったね。

―すごく、僕の中でも残ってるんですけど。そういう酸いも甘いも艱難辛苦(かんなんしんく)を経験されて。最初の秋季キャンプでも最後まで若手と一緒にグラウンドに残って、練習につきあわれてる姿を見て、こんな選手に寄り添える監督もいないし、革新的なことを為すのではという期待があったもので。返す返す残念ではあります…。

デーブ あのね、僕が思うのはやっぱり、人を簡単に動かす方法は一番はお金ですよ。まぁそれで事件も起きるわけですけど。…で、後は長~い時間、一緒にいるっていうこと。信頼関係生まれますよね。でも一番簡単なのは、いかに褒(ほ)めてあげるかなんですよ。お金も時間もいらないの。

だからドリームキラーは嫌なんですよ。小ちゃい頃にさ、野球選手になりたいとか、お笑いやりたいもそうですけど、そんなもんで食えるか!って言う人いっぱいいますよね。けど、やらしてみなきゃわかんないだろ、やれやれって言いたいの。僕はずっとそう。お袋がそうだったしね。

で、おまえ、すごいな~ってことを言ってあげれるのでいいと思うしね。…けど、運動っつう字はさ、運が動くって書くでしょ? 俺、人生の100%は運だと思ってるから。最低8割は運ですよ。運引くやつはやっぱり明るいし、ただ笑ってるんじゃなくて、失敗にめげない。そこやっぱり大切だよね。

だから、次行こう次って、なんでも明るくやってみたほうがいいんですよ。人間なんか簡単に死にゃしないわって思ってるしね、何やっても。

―それで、今度は居酒屋なわけですが。ずっとやりたいなという気持ちはあったんですか?

デーブ 現役辞めた時にデーブカンパニーって長嶋(茂雄、巨人軍終身名誉監督)監督に名前付けてもらって、会社作った時に飲食も定款に入れてたんですよ。その時からもうやりたかったですね。自分が中入りたい、仕込みもやりたいって。

―そんな以前から…じゃあゆくゆくはということで、機が熟すのを長年持ち続けていたと。

デーブ そうそう。ただ実際、僕も経営者だから、タレントとか解説やってるとね、それで十分、会社の利益は目標額を超えてるのに、飲食やって仕入れも仕込みも自分でってなると、その仕事が減りますよね。正直、まだできないなぁってのがあって。けど、人にやらせてっていうのはやりたくなかったし。

つけ麺のラーメン屋やってた時もありますけど、1日3時間の営業で4ヵ月やって、最初はもう5人とか6人くらいのお客しかこなくて。最後は100人来るようになったんですけど。でも結局閉めたのは、やっぱり自分が付け場立てないから。金にはなるけどそうじゃねぇだろと。

「野球なんかそもそも失敗だらけでしょ?」

―芸能人でもスポーツ選手でも、リタイア後に飲食店を出す人は多いですけど、やっぱり長く続いてるのは本人が常にいるとか、お客さんとの交流に顔を出すっていうところはありますよね。

デーブ そうなんでしょうね。だから僕は自分でやりたいんですよ。身内から何からみんな大反対でしたけどね。素人ができるわけないって。でも、ダメならやめればいいだけでしょって。やる前に借金してるんだし、今も金なんかないけどね。

ここでいくら稼いでも、結構うちはいいネタ使ってるからさ、肉でもちゃんといろんな食い方して、自分たちでウマいって言えてから出すんで。ダメなら無駄になるし経費も倍になるわけですよ。儲(もう)けなんてないんですけどね。

年金暮らしみたいなおじいさんが来てくれて、ちょこちょこ日本酒2合くらい飲んで、なんか食ってくれて。ぽたぽた帰る姿とか見るとぐーっときますから。ありがたいなって、ほんと涙出てくるよ。そういういろんなことも現場にいるからなんです。ほんと楽しいですよ。

―そのやるならとことんというところで、以前もトラックの大型免許を取得されたり。今回はちゃんと食品衛生管理者の資格まで取ったとか…。

デーブ それはやっぱり、僕の思う飲食の一番大変さっていうのは、いかに事故を起こさないかなんですよ。火事もそうだし、いかに食中毒出さないかっていう、そのために免許も取りにいったの。それがまずプロの第1条だと思うんでね。

監督やってグラウンド入った時だってそうよ。何やるかって、安全確保なんですよ。毎日同じセッティングしてるけど、ネットがずれてたら怪我するんじゃねえかとか注意して。一緒ですよね。

―しかし本当にいろんな運命の巡り合わせで。西武退団後のタイミングでこういう飲食店をやられていたら、楽天の監督なんて流れもなかったでしょうし…。

デーブ やってないですよね。だから本当にね、どこかのチームが必要としてくれた、僕もそこで役に立ちたいって思えた、それでタイミングが合ったんだからやるしかなかったわけよ。失うものなんてもうなんもないんだしさ。

それで結果は残せなかったけど、監督というね、最後にできる大っきな仕事は果たせましたし。いくら監督としては安いっていっても4500万も普通もらえないじゃないですか。この店でそんなお金、絶対残んないですよ(笑)。

まぁ、2年契約で1年で辞めるんじゃケツ割ったような話で情けないけど、最初から1年契約ですもん。それは1年で答え出しなさいってことだと思ってたし。結局、僕の野球人生、失敗のほうが多いんだけど…野球なんかそもそも失敗だらけでしょ? アウトなんないと試合終わらないですもん(笑)。

●この続きは次週、5月22日(日)12時に配信予定!

●大久保博元(デーブ大久保)1967年2月1日生まれ、茨城県出身。水戸商業から84年にドラフト1位で西武入団。92年に巨人移籍後、ケガにより95年にプロ野球から引退。解説者、タレントとして活躍後、08年に打撃コーチとして西武に復帰。12年からは楽天の打撃コーチ、二軍監督となり、14年には星野仙一監督の後任で一軍監督に昇格。昨シーズン終了後、退任し、現在は新橋に居酒屋「肉蔵デーブ」を開業、ほぼ毎日厨房に立っている。自身が代表を務める「デーブ・ベースボールアカデミー」で講師としても活動中。http://www.dba-school.jp/

(撮影/塔下智士)