「ある村人が生で見た初めての日本人が自分かもしれないと思うと、『俺は日本を代表しているんだ』と意識せざるをえないんです」と語る前川氏

4月1日に発売された『韓国「反日街道」をゆく 自転車紀行1500キロ』。いかにも挑発的でストレートなタイトルを見て、思わず不穏な中身を想像した人もいるだろう。

しかし、その予想は間違っている。本書は決して「嫌韓本」なんかではない。これは韓国を自転車で走り抜けた旅行記であり、新種のガイド本だ。エイプリルフールに発売したからといって、怪しげな捏造(ねつぞう)も、大げさな誇張も含まれてはいない。

著者は本誌でもライターとして活躍中の前川仁之(さねゆき)氏。東大理科Ⅰ類を中退後、スペインを自転車で横断した経験を持つノンフィクション作家だ。名刺に書かれた「事実上の“文筆家”兼“音楽家”兼“旅行家”」という肩書を見ればわかるとおり、実に粋(いき)な男である。

日本との間に歴史的問題が山積みされている韓国を、自転車と身ひとつで旅した彼は一体、何を感じたのか? まずはどのような経緯で、韓国一周の旅に出たのかを語ってもらおう。

前川 本の中にも書いてあるのですが、ここ数年、日本国内には韓国を嫌う風潮があると思っていました。それに疑問を感じ、ならばこの目で実際に確かめてみようと思ったのが出発点です。

―なぜ自転車なのでしょう?

前川 子供の頃、自転車が乗れるようになった時って一気に行動範囲が広まったと思うんですけど、私はその感覚をいまだに味わっているのかもしれません。自転車は自分にとって認識の道具。走行中に沿道の事物を程よい距離間で観察することができ、なおかつ音が静かだからいろんなものが聞こえる。自分の考えに集中できるんです。

―現地で出会った人々の印象はどうでしたか?

前川 行って肌で感じたのは、みんな、いい意味でお節介だなということ。隣町までついてきて案内してくれたり、やたら奢(おご)ろうとしてくれたり。自分は韓国語をまともに勉強したことがなく、あまりできない。だからこそ、一生懸命だったってのが伝わったのかもしれません。

―前川さんは旅の際は事前に、現地の言葉を独学で覚えるそうですね。

前川 できるだけそうしたいと思っています。旅先の言語を学ぶ気が少しでもあれば、現地の人々は文字どおり「みな我が師」になる。会話の内容だけじゃなく、会話ができたこと自体が喜びになるし、簡単にはわからないから、わかろうと一生懸命になるでしょう。自転車で旅をするのにも通じることですが、自分に負荷をかけ、自分を小さくすると、対象は大きくなり、魅力も増す、というわけです。

俺はそんなに右翼だったか(笑)

―「僕は勝手に日本を代表した」といった表現が出てきますが、これは旅行者としての率直な気持ちなんですか?

前川 旅先で出会う人々はみんな、私の名前よりもまず「日本人だ」ということから知り始めるわけで…伊東忠太ってご存じですか? 明治後期の建築家で、築地本願寺などを設計した人なんですが。彼はある時、法隆寺の柱の形は古代ギリシャの建築に影響されたんじゃないかって仮説を立てて、それを確かめるためにシルクロードをロバで横断したんです。

そんな彼のことをイギリスの女性考古学者、ガートルード・ベルという人が日記に「日本は(日露)戦争で大変なのに、日本人をここによこす力がある」といったことを書いています。これはすごく面白い話だなと思っていて。好むと好まざるとにかかわらず、当時の文化力を伊東忠太は体現した。「伊東忠太すごい」がそのまま「日本すごい」につながるんです。

私自身はそこまで日本というものを背負っていたわけではないけど、ある村人が生で見た初めての日本人が自分かもしれないと思うと、おのずと日本を意識せざるをえないんです。自分の印象で、その人の日本に対するイメージが変形するかもしれないですから。

―外国に行くと、自分の国が強く意識されるのでしょうか?

前川 そもそも、ひとつの集団と目されているものの中にいると、その集団を意識せずに済むんです。日本にいて「俺は日本人だな」と感じる機会は少ないでしょう。せいぜい埼玉県民とか群馬県民とかを意識する程度で。

今回の韓国旅では、他の国へ行った時よりも、自分が異質であるということを強く感じました。現地の人と話していて、歴史の話や感情的なすれ違いが起こる時なんかは特に。

光州事件については同調できるけど、竹島問題については同調できないとか、結構、繊細なんです。だからこそ、自転車を漕(こ)いでいる時は自問自答しましたよ。俺はそんなに日本が好きか、そんなに右翼だったかって(笑)。

「北緯38度線」沿いを駆け抜ける

―最終章は「休戦線ストーキング紀行」と題され、朝鮮半島を南北に分断する「北緯38度線」沿いを駆け抜けるシーンが印象的でした。

前川 北朝鮮との国境が近づくにつれ、釜山(プサン)から光州にかけてよく見られた独立志士系の石碑を全然見なくなったんです。逆に国境沿いでは朝鮮戦争関係の石碑が多くなり、人通りが減る代わりに軍隊がめちゃくちゃ増えていった。地雷の看板もたくさん目にしました。そうすると、やっぱり“北韓(プッカン・北朝鮮)”を意識しちゃうんですよね。山を見て、どのへんまでが北朝鮮なのかって考えたりして。

―兵役にとられた若者たちの姿をご覧になって、どんな感想を持ちましたか?

前川 例えば肉体労働とか、泊まり込みのバイトとか、災害ボランティアとか、そのどれとも決して重ならないけどどこか似ている、そんな感じでしたね。体験として、想像を絶するものではなさそうな。おそらく新兵であろう若者がバスの窓にほっぺたをくっつけて寝ている光景なんて、すごく見慣れたものでした。徴兵されて悲壮感に満ちあふれている、というようには決して見えませんでしたね。

―日本にいるだけでは、そんなこと知る由(よし)もないですよね。韓国一周を達成した時には、どんなことを感じましたか?

前川 釜山に帰ってきて思ったのは、「別の内陸の道を通ってもう一周したい」ってことでした。早く帰りたいという気分には全くならなかったんです。そう思った理由は、やはり旅先での出会い。人と触れ合わなかったら、1500km走ってもただのスポーツになってしまう。旅を通して韓国のことが好きになっただけじゃなく、自分の国への思いも深まったような気がします。

(取材・文/テク本テク)

●前川仁之(まえかわ・さねゆき)1982年生まれ、大阪府生まれの埼玉県育ち。ノンフィクション作家。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団などを経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。在学中の2010年夏、自転車でスペイン横断。2014年、スペインの音楽家アントニオ=ホセの故郷を訪ねて、その生涯をたどった作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。現在、本誌や『SAPIO』などで執筆

■『韓国「反日街道」をゆく 自転車紀行1500キロ』 小学館 1500円+税嫌韓なるワードにあふれる昨今の日本社会。「国ごと嫌いになるっておかしいだろ」と思い立った著者は、韓国1500km自転車一周の旅に出る。「詩」「光州民主化運動」「天安・独立記念館」「南北38度線」…。行く先々に残る歴史の痕跡、そこに住む人々との出会いを通して、著者は最後に何を感じるのだろうか