世界有数の地震大国である日本がなぜ54基もの原子力発電所を抱える原発大国となり、多くの日本人が40年以上も「原発の安全神話」を信じ続けてきたのか?
電力会社を中心とした「原子力ムラ」と大手広告代理店が一体となり、巨額の広告費を通じて「安全神話」の刷り込みやメディアの「支配」を続けてきた実態を、広告業界出身の本間龍(ほんま・りゅう)氏が著書『原発プロパガンダ』で明らかにする。
―本間さんは過去にも「原発と広告」に関する著作を出されていますが、今回、あらためてこの本を書かれたのはなぜですか?
本間 最大の動機は去年の夏頃から、原発再稼働の動きに合わせるように、3・11後に姿を消したはずの「原発広告」が再び復活し始めたことです。
そうした動きは一部の原発立地県で話題になりますが、電力の最大の消費地である東京圏など大都市ではほとんど注目を集めません。また、「原発」と「広告」の結びつきが、原発推進のための世論操作にいかに影響を与えてきたのか、その実態をより広い層の人たちに知ってほしいと思い、手軽に手にとれる新書という形でまとめました。
―まず驚かされるのが、電力各社と政府が費やしてきた「原発関連広告費」の巨大さです。
本間 いわゆる電力9社(原発がない沖縄電力を除く)が過去約40年で原発推進のために使った「普及開発関係費」と呼ぶ広告宣伝費の総額は、約2兆4千億円といわれています。これを1年当たりに換算すると約600億円。例えば、トヨタのようなグローバル企業ですら、国内単体の広告費は年間500億円程度といわれていますから、それを上回る額です。
また、これに加えて電力10社が運営する電気事業連合会(電事連)、さらに経産省や環境省などによる原発関連広告があります。これらの総額は、前述した2兆4千億円の数倍になると考えていい。原発広告は広告業界にとって重要なお得意さまなのです。
原発は「儲かる」
―本来、商品の宣伝などいらないはずの電力会社が、なぜ原発のためにこれほど巨額の宣伝広告費を費やすのでしょう?
本間 一般の企業は普通、自社の製品やサービスを消費者に買ってほしくて広告費を投じます。その前提として同業他社の「ライバル」がいるから、お金を使って広告宣伝を打つ必要があるのです。
しかし、電力会社はこれまで地域ごとの独占状態でしたから基本的に競争はありません。それにもかかわらず、これほど多くのお金を原発の必要性や安全性を訴える「意見広告」などにつぎ込んできた理由は非常に単純で、彼らがどうしても原発をやめたくなかったからです。
価格変動の大きい石油などに頼る火力発電と違い、少量のウランで大きなエネルギーを生む原発は「儲(もう)かる」という考え方が電力業界では一般的でした。また、原子力産業は「原子力ムラ」と呼ばれるように、発電所の建設から運用・維持管理まで関連業界の広い裾野があり、国や業界が一体となって、この構造を絶対に維持したかった。
東京電力の広告費が、1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原発事故後に年間50億円を突破し、1986年のチェルノブイリ原発事故後、数年で年間200億の大台を超えるなど、大きな原発事故の直後に必ず原発関連広告が増加しているのは、それらの事故によって「反原発」の世論が高まるのをなんとしても抑え込む必要があったからだと思います。
―それにしても、トヨタのような大企業を上回るほどの広告費というのは驚きです。
本間 それを可能にしたのが、電力会社が広告宣伝費などの「経費」も原価として電力料金を決められる、「総括原価方式」と呼ばれる仕組みです。
一般の企業なら、広告宣伝費に費やしたコストはその企業の商品やサービスの「利益率」や「価格競争力」に影響しますが、事実上の独占企業である電力会社には競争がないので広告宣伝費は遠慮なく電気料金に上乗せできる。そのため広告費が湯水のように使えるのです。
「反原発」メディアの封じ込め
―もうひとつ、この本の中で本間さんが指摘しているのが、電通、博報堂など一部の大手広告代理店による「広告の寡占状態」がもたらす弊害です。
本間 日本の広告業界は国際的に見ても極めて特殊で、電通や博報堂といった大手数社の寡占状態にあるため、代理店がメディアに対して非常に大きな影響力を持っています。
特に「原発広告」に関する電通の存在感は圧倒的で、巨大クライアントである原子力ムラと電通が巨額の「原発関連広告宣伝費」を媒介に結びついた構造が、長年にわたってメディアに多大な影響を与えてきました。
そうした傾向が特に顕著になったのが90年代のいわゆるバブル崩壊以降です。多くの企業が広告費を縮小せざるをえない中で、ふんだんに広告宣伝費が使える「原発広告」の占める位置は相対的に大きくなった。
原発に批判的な記事に対して、直接的な圧力がかかることはなくとも「こんな記事を載せると電力業界からの広告がなくなるかもしれませんよ」と耳元で囁(ささや)かれれば、あるいはそうした影響を想像するだけでも、普段から広告収入の確保に苦心しているメディアの広告営業担当をビビらせるには十分です。
こうして巨額の広告宣伝費は国民や原発立地自治体に「安全神話」を刷り込むだけでなく、「反原発」を訴えるメディアを間接的に封じ込める機能も担ってきたというわけです。
―そんな原発広告が3・11後の今、どんな形で復活しているのでしょうか?
本間 2013年3月、六ヶ所村の核燃料再処理施設を抱える青森県の『東奥(とうおう)日報』という地方紙に、日本原燃と電気事業連合会(電事連)が30段の意見広告を載せたのが最初でした。
その後、2014年に『週刊新潮』が芸能人、文化人を起用した広告連載企画を掲載。特に昨年の夏頃からは原発立地県の地方紙を中心に続々と原発広告が復活し、東電も新潟でのTVCMを再開しています。
こうした動きが「原発再稼働」の流れに沿ったものであることは明らかですし、この先、「電力自由化」を口実に再び巨大な広告マネーがメディアに流し込まれる可能性もある。電力料金を支払う我々は、こうした実態を知っておく必要があると思いますね。
(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/岡倉禎志)
●本間龍(ほんま・りゅう) 1962年生まれ。博報堂で約18年間営業を担当。2006年退職後、在職中に発生した損金補填にまつわる詐欺容疑で逮捕・起訴。服役を通じて刑務所のシステムや司法行政に疑問を持ち、出所後その体験をつづった『「懲役」を知っていますか?』(学習研究社)を上梓。著書に『電通と原発報道』『原発広告』『原発広告と地方紙』(以上、亜紀書房)、『名もなき受刑者たちへ』(宝島社)、『転落の記』(飛鳥新社)など
■『原発プロパガンダ』 岩波新書 820円+税 3・11後にパッタリと影を潜めた「原発広告」が今、復活しつつあるという。それ以前は電力会社と大手広告代理店が手を組み、巨額の宣伝広告費を使ってメディアに多大な影響を与えてきた。「安全神話」はいかにして作られてきたのか? 原発広告はどんな形で復活しているのか? 大手広告代理店で長年、営業を担当した著者がその構造と背景を明らかにする