パリの共和国広場で行なわれている「ニュイ・ドゥブー」。ここでは環境問題について盛んな議論が繰り広げられている

フランソワ・オランド大統領率いる与党・社会党が打ち出した「労働法改正案」を巡り、フランス全土で大規模なデモやストライキが続発、一部では過激な反対派による暴動が発生するなど混乱が続いている。

その一方で、パリ中心部にある共和国広場では毎晩多くの若者が集まり、労働法の改正をはじめ様々な社会問題について連日、ストリートで議論しあう「ニュイ・ドゥブー(屈しない夜)」と呼ばれる運動が注目を集めているという。

今、フランスで起きている混乱の背景にあるものはなんなのか? そして「ニュイ・ドゥブー」運動とは…。「週プレ外国人記者クラブ」第35回は、フランスへの里帰りから帰国したばかりの「ル・モンド」紙東京特派員、フィリップ・メスメール氏に話を聞いた。

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-NHK・BSの「ワールドニュース」などを見ていると、この数週間、フランスではデモやストによる混乱が続いていて、一部では暴動のようなシーンも流れていました。フランスで今、何が起きているのでしょうか?

メスメール きっかけは今年1月に政府が提出した「労働法改正案」です。フランスではすでにサルコジ政権下で「休日の労働」について、大都市の中心部や観光地などで一部の条件の下、法規制が緩和されていましたが、今回の法改正はより抜本的なものです。

休日労働制限の緩和の他、残業手当の縮小や解雇規制の緩和などが盛り込まれ、さらに個別の労働条件については労働組合を通さずに、各企業の従業員が直接交渉できるようにするなど、これまで手厚く守られてきた労働者の権利を大幅に制限し、「労働力の流動化」を進める改革で、これが各地で大きな反発を招いているのです。

当然、フランスの経団連にあたるMEDEFはこうした改革に賛成していますが、労働者や労組、学生などは強く反対しています。年明けから双方の緊張は徐々に高まりつつあったのですが、5月上旬、法案の成立を急ぐ政府が議会の投票を経ずに法律を施行できる憲法上の権利を行使しようとしたため、反対運動が過熱しフランス全土で様々なストライキが行なわれ、パリでは一部の過激派がパトカーを襲って燃やすなど、各地で大きな混乱を招いています。

労働者は「もう誰も自分たちを守ってくれない」と…

パリ共和国広場のマリアンヌ像には、昨年のテロ事件の被害者を追悼し多くの花が供えられていた

-フランスは左派の社会党と右派の共和党、そして極右の国民戦線が主な政党ですが、基本的には労働者寄りというイメージの強い社会党が、労働者の強い反対を押し切ってまで労働市場の規制緩和を進めようとするのはなぜなのでしょう?

メスメール ひと言でいえば、フランスの社会も新自由主義に基づくグローバル経済の波に抗しきれなくなってきているということだと思います。年々、経済がグローバル化する中で、生産性や価格、人件費などのコストを巡る激しい競争に生き抜くためには、これまでフランス社会が守ってきた「労働者の権利」などの価値観をある程度犠牲にする以外に方法がない…。長年、高い失業率に悩まされ、そうした状況が一向に改善しない中で、左派である社会党ですら「他に選択肢はない」という考え方に傾いている。

もちろん、右派である共和党が同様の規制緩和を進めれば「もっとヒドいことになる」というのが社会党の主張ですが、労働者・有権者の立場から見れば、左派の社会党も右派の共和党も労働規制の緩和という基本的な方向性は同じで、「もう誰も自分たちを守ってくれない」というのが正直なところです。

そうした状況に対する怒りや失望、鬱積(うっせき)した不満が今、デモやストライキという形になってフランス全土で一気に噴き出しているのです。

-自由貿易と経済効率を最優先し、与党も野党も基本的な方向性が同じという意味では、なんだかTPP問題を巡る日本の自民党と民進党の状況にも似ていますね…。

メスメール そうですね。問題は「グローバル経済の流れを受け入れる以外に選択肢はない」と決めつけていることです。これはあくまでも僕の個人的な意見ですが、経済のシステムというのは人間が作ったものなのだから、必ず人間の知恵と努力で変えることができるはずです。

今のようにすべてが経済中心で回るのではなく、もっと人間を社会の核に置いて考える新しい経済の形を模索すべきではないでしょうか。新自由主義やグローバル経済の波の中で、社会の大切な価値観をどう守るのか? これはフランスや日本に限らず、多くの先進国が直面している共通の問題だと思います。

そして「ニュイ・ドゥブー」運動とは何か?

パリの共和国広場の「ニュイ・ドゥブー」。ここでは、労働問題について法律家と市民たちが議論していた

-そんな中、パリでは若者を中心とした面白いムーブメントが起きているそうですね。メスメールさんは今回、フランスに帰国して実際に見てこられたそうですが…。

メスメール パリ中心部の共和国広場に毎晩、多くの人たちが集まって様々な社会問題をストリートで話し合う「ニュイ・ドゥブー」(屈しない夜)という運動が起きています。ニュイ・ドゥブーは当初、前述の労働法改正をきっかけに始まったものですが、今ではそれ以外にも様々な社会問題を議論する場へと変化しています。

私も5月9日に参加してきましたが、広場には労働問題の他、女性問題、教育問題、宗教の問題など、今、フランスが直面している様々なテーマについて話し合ういくつものグループがあって、それぞれが各分野の専門家や国会議員などをゲストに招いて、話を聞いたり議論をしたりしていました。

もちろん、そこでなんらかの結論が出るとは限らないし、時にはケンカのような状況になることもあります。ともかくみんなフランス社会の現状に対して多くの不満や不安を感じていて、自分たちの民主主義がきちんと機能していないと憂慮している。様々な意味で、社会の仕組みが「限界」にきていることへのフラストレーションを募らせているという印象です。

-日本では元々、フランスのように労働者の権利が手厚く守られているとは言い難いが、グローバル経済の波に飲まれ、財界などからさらなる労働規制の緩和を迫られているという基本的な状況は大きく変わらないようにも思えます。

ただ、一般的にはフランス人のように徹底的に議論したり抗議したりという文化はあまりないですよね? 去年の安保法制反対で起きた「国会前デモ」みたいな運動がこの先、日本でも広がりを見せる可能性はあると思いますか?

メスメール グローバル経済がもたらす格差の拡大は日本でも深刻です。あまり知られていませんが、OECDの調査によれば日本の相対的貧困率は人口の16%、OECD加盟34ヵ国中10位で、先進国の中ではアメリカに次いで高い。子供の貧困率についても15.7%と上位につけています。

ところが、日本では普通の人たちが政治について積極的に発言したり行動したりというのはあまり一般的ではありませんし、「デモなどに参加するのは特別な人たち」と考える雰囲気があるように思います。ただ、昨年夏の安保法制反対デモも、3・11の原発事故後に始まった「反原発デモ」の流れから発展したものであると考えれば、この日本でも少しずつではありますが、変化が起き始めているような気がします。

先日、トヨタで働く「ゆとり世代」の若い労働者たちを取材したのですが、そこで感じたのは世間で酷評されることの多い彼らは決して劣っているのではなく、単にそれ以前の世代とは「違う」のだということです。ゆとり世代の特徴は、上司などから言われたことを黙って実行するのではなく、「なぜ?」という素朴な疑問を持ったら、それを口に出してしまうこと。そして、この「なぜ?」という言葉は既得権益者にとって最も危険で、恐るべき武器なのです。

昨年、国会前のデモを動かしたSEALDsの若者たちもまさにゆとり世代なわけですし、将来、そうしたゆとり世代の「なぜ?」という疑問の声がこの国を変えてゆく可能性は決して否定できないと思います。

若者たちの「なぜ?」という疑問の声には社会を変える力があると語るメスメール氏

●フィリップ・メスメール1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している

(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪 「ニュイ・ドゥブー」写真/フィリップ・メスメール)