「テロにどう向き合うかという認識が共有されていないのが日本の問題」と語る金恵京氏(撮影/細野晋司)

7月1日、バングラデシュの首都・ダッカで日本人7人を含む20人が犠牲になるテロが起きた。これに先立つ6月1日には国会で「国外犯罪被害弔慰金支給法」が成立しており、ダッカの事件は施行前に起きたが、特別措置による支給が決まった。

この法律で定められた支給額は死亡の場合で200万円、障害が残った場合で100万円というものだが、この金額は妥当なのか? 『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』などの著書を持つ国際法学者・金恵京(キム・ヘギョン)氏に聞いた――。

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-死亡で200万円、障害が残った場合で100万円という金額を、金先生はどう評価していますか?

 文字通り「弔慰金」という位置づけなら、妥当と言えるでしょう。しかし、「テロ被害への補償」という観点からは不十分です。

「国外犯罪被害弔慰金支給法」が成立した背景には、2013年にグアムで起きた通り魔殺傷事件があります。日本人3人が犠牲になり、11人が負傷した事件ですが、この被害者や遺族が政府に働きかけを続けて、同法は成立しました。

-グアムの事件の被害者からは、この支給額では手術や入院費用は到底、賄(まかな)えないという声もありますね。

 障害の残る負傷には100万円が支給されますが、「両目の失明」や「両下肢を膝関節以上で失う」など非常にハードルの高い設定になっています。PTSD(心的外傷後ストレス障害)もこれに含まれません。

ダッカでのテロ被害者にもこの法律が特例として適応されたわけですが、そもそもこの法律は「テロ被害への補償」を規定したものではありません。私はそれこそが大きな問題だと考えています。通り魔のような刑事事件とテロは、分けて考えないといけません。ダッカの事件はIS信奉者による外国人を狙った無差別殺人で、明らかなテロです。

そして、テロ被害の補償には「国家の代わりに犠牲になったことへの謝意」「被害を防げなかったことに対する責任の認識」「被害者やその遺族の事後の生活支援」「テロへの対抗姿勢の提示」といった目的があり、その意味ではとても十分とは言えません。

9・11テロで、米政府は30万ドルから300万ドルを支払った

-つまり、問題は「テロ被害を補償する法律が日本にはない」ということですね。海外の場合はどうなのでしょうか?

 アメリカは、2001年の「9・11同時多発テロ」が起きた1ヵ月後に「犠牲者補償基金」を設立し、犠牲者ひとり当たり最低30万ドルから最高300万ドル(平均136万ドル)を支払っています。さらに、この連邦政府からの補償に加えて、州政府からの補償もあります。2006年には「テロ被害者費用補償制度」が設けられ、この制度を活用して医療費、精神保健治療費、財産の損失・修理・交換費用、葬儀・埋葬費などが請求でき、手厚い体制がとられています。

韓国では、今年3月に「テロ防止法」が成立したばかりです。この法律に基づいて補償が行なわれたケースはまだありませんが、補償額などの詳細は大統領令によって決定され、テロの犠牲者やその家族に対しては特別慰労金が支払われるなど、生活の復旧が保障されています。

また、国内外のテロで負傷した際の医療費に関しても、金額の上限を定めておらず、「必要な費用の全部または一部を支援する」と記載されていることを考えると、日本の「国外犯罪被害弔慰金支給法」と比べて、はるかに手厚い補償が行なわれます。

ヨーロッパを見ると、ドイツでは韓国と同様に政府の裁量が大きく、事例ごとに手厚い補償を行なっています。その特徴としては、犯罪被害を未然に防げなかったことへの国家の責務意識が強く、加えて人道を基準に判断が下される傾向が強いことが挙げられます。

また、イギリスは国外での単なる刑事事件は補償していませんが、テロ被害に対しては補償を行なっています。それぞれの対応を見てみると、国内で大規模なテロが起きた場合、直(ただ)ちに被害者を支援する特別法が作られたり、政府主導で基金が設立されるなど、韓国・ドイツ・イギリスでは迅速さが目立ちます。

そしてフランスは、テロ被害に限った補償制度はありません。従って、2015年11月にパリで起きた同時多発テロの被害者に対しても、国内での刑法犯罪被害と同じ補償が行なわれることになります。しかし、フランスは国外の刑事事件やテロの被害に対しても国内と同様に補償を行なうという特徴を有しています。

日本は国としてのテロへの対抗姿勢が見えてこない

─現在、日本においてテロが起きた場合、短期滞在の外国人観光客はテロ被害の補償対象に含まれていませんね。

 2020年には東京で五輪が開催されます。大会期間中は世界中から選手を含め何十万人もの人々が集まることや、それがテロの危険性も高まる大イベントであることを考えれば、日本は大きな課題を抱えていると言えるでしょう。

前述した9・11同時多発テロの際には、ニューヨーク州の州法が短期滞在者にも補償を認めていたために外国人観光客にも補償規定が適用されました。もし、日本政府が2020年の東京五輪におけるテロを想定するならば、短期滞在者の扱いにも向き合う必要があります。

他に目を向けてみると、日本には1981年から施行されている「犯罪被害給付金支給法」という法律もあって、刑事事件や国内のテロ被害に対する補償が行なわれてきました。そこでは在日韓国人をはじめ、国内に住所を有する外国人ならば補償の対象に含まれています。

一方、今回の「国外犯罪被害弔慰金支給法」では「日本国籍を有する者」だけが補償の対象で、在日韓国人は含まれていません。これは国外でのケース、つまり国境というものを考慮した結果だと思います。日本国外で起きたテロ被害の補償対象に在日韓国人も含めてしまうと、他の法律との整合性で種々の問題が生じ、調整が困難だと判断したのでしょう。

─日本人はテロに対する危機意識が希薄だと言われています。また、今回の「国外犯罪被害弔慰金支給法」成立のニュースも注目度は決して高くありませんでした。世界とのズレは感じますか?

 改めて法文を精読して思ったのですが、そこから日本政府の意思は感じられませんでした。私は国際法を研究していますので、各国の法律を読む機会は多いのですが、「ここがポイントなのか」と思わず頷(うなづ)くことがあります。テロ被害の補償に関する法律ですと、こういったケースに対する補償は小さいけれど、別のケースに対しては手厚く…といった国ごとの考え方や思想のようなものが法文から伝わってきます。

しかし、日本の法律を読むと各国の最低限の基準は満たしつつも、「こうした被害は必ず補償しなければならない」という強い意志が見えてきません。ある意味、義務的な対応の様に見えます。

つまり、日本は国家としてテロに対する明確なヴィジョンを提示しているわけでもなく、「仕方がないから」といった具合で決着が図られているのです。法律や目指される解決の帰結が、死亡で200万円、障害が残った場合で100万円なのですから、この金額から日本の国としてのテロへの対抗姿勢を見出すのは困難です。

「テロの定義」を確立することは難しく、各国も頭を悩ませていますが、日本ではそういった議論もほとんど聞こえてきません。テロに対する危機意識が希薄というよりも、そもそも「テロにどう向き合うか」という認識が国としてはもちろんのこと、国民の間にも共有されていないのが日本の問題だと思います。

●金恵京(キム・ヘギョン)国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。著書に『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)など

(取材・文/田中茂朗)