ファンの皆さんのおかげで“スペル・エストレージャ”になれたと語るカリスティコ

8月21日、新日本プロレスの『SUPER JCUP』に、あの「カリスティコ」がついに再来日を果たした。

2004年に「ミスティコ」としてメキシコ最大の団体CMLLに登場以来、幾度かリングネームを変えながら世界を股にかけて活躍し、ルチャリブレ界を牽引してきた伝説の男。

来日は2011年1月の第1回『ファンタスティカマニア』(新日本プロレス)以来、実に5年7ヵ月ぶりで「日本は第2の故郷」と公言している割に遅すぎる再来日。

ここまでの単独取材はおそらく日本初?な前回記事(「ルチャリブレ界のスーパースターがCMLLと新日本の未来を語る」)に続き、超貴重なロングインタビューで直撃!

* * *

―新日に来る前にも、実は日本には来ていたそうですね。

カリスティコ うん、ミチノク(みちのくプロレス)でね。東北のモリオカにあって、すごく寒くていつも雪が降ってた! 僕は何も怖くないけど、モリオカだけは怖いね(笑)。

―みちのくプロレスに来た経緯としては、誰かに呼ばれたんですか?

カリスティコ グレート・サスケに呼んでもらったんだ。彼はすごいルチャドールだった。以前はCMLLにもよく来ていたし、いつも見てたんだよ。2011年か2012年ぐらいにも政治活動をしていたよね? しかもマスクのままで(笑)。

―よくご存知ですね!

カリスティコ ミチノクには「こまち」というマスクマンとして呼んでもらったんだ。初代のこまちはボラドール・ジュニアだったんだよ。2代目はマイク・セグーラというナウカルパン(メキシコの地域)のルチャドールで、僕が3代目。パートナーの「はやて」とタッグで活動してたんだけど、その後でもうひとり、メキシコ人がやってきて「やまびこ」になった。全員、新幹線の名前なんだ(笑)。

僕はミチノクの道場に住んでたけど、あそこの生活が本当に好きだったよ。メキシコと違っていて新鮮だったし、いろんな選手がいろんな国から来るから日々学ぶことが多かった。試合をして、時にはホテルに泊まり、時には道場に泊まり…。本当に素敵な経験だったし、僕のキャリアにもすごく役に立ってる。

―その持ち前の好奇心で団体を渡り歩くうちに幾度かマスクとリングネームを変え、そのたびにステップアップして。覆面レスラーというのはそういうもの?

カリスティコ 普通は名前やマスクを変えると人気がなくなったり表舞台から消えてしまう人も多い。でも僕の場合はいつもスペル・エストレージャ(スーパースター)でいられたんだ。僕には「ミスティコ」「シン・カラ」「ミステシス」「カリスティコ」っていう4つの名前があるけど、それぞれに歴史があるし、すべてに違うストーリーがあるんだ。

―「ミスティコ」は、孤児院を運営する“暴風神父”フライ・トルメンタに育てられた“神の子”という話でしたね。

カリスティコ CMLLでの「ミスティコ」はすごく有名なスペル・エストレージャになったよね。その後も、名前とマスクが違うだけで、僕はいつでもビッグなスペル・エストレージャでいられた。だって、その4つの名前は、僕という同じ人間なんだよ。つまり、みんなはその「本人」を求めてるんだ。

ルチャドールとしてと言うより人間性を好きになってくれているんだよ。ファンの人たちは、名前が変わろうが違うルチャドールになろうが、その「人物」を好きでいてくれるってことなんだと思う。だからこそCMLLに戻ってきたんだ。

―日本にもそういうファンは多いですよ!

カリスティコ 嬉しいね(笑)。

いつだってカリスティコが本物のミスティコ

屋外での撮影中「これ何の音? 鳥? 蜂?」と反応したのは蝉の声。メキシコにいないようで、木の幹に止まった蝉を「刺したりしないよね?」と安全な距離から凝視しておられた

―ちなみに、どうして「カリスティコ」という名前に?

カリスティコ 僕はオリジナルの初代ミスティコだけど、CMLLに戻ってきた時、そこには既に2代目のミスティコがいた。だから変えたんだけど、「ミスティコ」と「シン・カラ」のふたつをフュージョン(融合)させて「カリスティコ」にしたんだ。

―なるほど。リングネームの権利が団体にあるのは確かによくある話で、変えざるを得なかったと。では独立した今、これが最後のリングネームと考えていいですか?

カリスティコ そう。だって今は完全に僕の名前だからね。僕のブランドっていうのかな、僕の名前だし、マスクデザインだから。今は全て自分のものなんだ。もう変えないよ(笑)。

―ところで2代目のミスティコについてはどう思いますか?

カリスティコ …(飲んでいたコーラの細いストローを無言で持ち上げる)。

―と言いますと?

カリスティコ フラコ(痩せてるね・笑)。

―(笑)。

カリスティコ でも彼の話はこれ以上できないな。話したら、彼と最初の戦いをしなきゃいけなくなる。そして誰がオリジナルかっていうのを見せてやらなきゃいけなくなるからね(笑)! でもお客さんはみんな、新しいミスティコは僕の“初代ミスティコ”とは大違いだとブーイングも起こしてる。みんな知ってるよ、いつだってカリスティコが本物のミスティコだってことはね。

―あなたの「ミスティコ」としての最後の試合が、実は日本だったんですよね?

カリスティコ そうなんだよ~。ファンタスティカマニアでね。あの試合は本当に良かったよ! ひとつはアベルノとの試合だったこと。あと、タナハシ(棚橋弘至)、プリンス・デヴィットと僕でタッグを組めたしね。そういう試合が「ミスティコ」としての最後の試合になったのは良かった。アメリカに行く直前で慌ただしかったけど、いい最後だったよ。

―その試合以降、日本にも根強いファンがいて、中でも多いのが、あなたの得意とする空中殺法について「飛んでいる時は何を考えているんですか?」というものです。

カリスティコ 何も考えてないよ。考えてる時は良くないんだ…失敗しちゃう。完全に頭の中は空っぽにして、リングの下にいる対戦相手を見て上に飛ぶだけ。そしてブリンコ、ブリンコ、イ、ブエロ(跳ねて、跳ねて、飛ぶ)って。下に落ちてからやっと拍手と歓声が聞こえて、周りの人が見えるって感じかな。ちょっと難しいよ。

―そりゃ難しいでしょう! その最後の試合の後には会場の外に集まったたくさんのファンひとりひとりに丁寧にファンサービスされたとか(※現在は会場外でのサイン等は禁止)。

カリスティコ 僕はね、ファンに感謝の気持ちをいつだって伝えたいし、一緒にいるのも好きなんだよ。有名になったらファンと過ごさなくなったり態度が悪くなる選手もいるけど、僕は違う。時間があろうがなかろうが関係なく、ちゃんと接していたいんだよね。

来年のファンタスティカマニアには参戦を…

サイン会には長蛇の列! ひとりひとりと目を合わせて丁寧に握手を交わす姿が印象的だった

―では最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

カリスティコ えっ、もうお終いなの? もっと喋るよ?

―それは嬉しいですが(苦笑)…もう会場入りの時間を過ぎていますので!

カリスティコ わかった。じゃあ日本のみんなにメッセージを送るね! いつも手助けや協力をありがとう。僕をスターとして扱ってくれてありがとう。リング上の僕に対して叫んでくれて、僕の試合を支えてくれて本当にありがとう! 僕はファンの皆さんのおかげでスペル・エストレージャになれました! さあ、もっと質問ないの?

―5年7ヵ月前に第1回ファンタスティカマニアを観たファンが大勢あなたを待っています。来年も開催されたら、来てくれますか?

カリスティコ もちろん、僕だって今年1月にも来たかったよ! でもなぜか選ばれなかったんだよね…。呼んでくれればいつでも飛んで来るよ。日本はもう僕の故郷のようなものだから、戻って来られるのはいつだって嬉しいんだ。

―お待ちしています! 今日はありがとうございました!

* * *

この後、時間を気にする素振りも見せず、ゆっくりチキンソテーを召し上がってから悠悠と会場入り。試合では必殺技「ラ・ミスティカ」こそ出なかったものの、試合後は東西南北全ての方角の観客に長い時間グラシアスと挨拶し続けた。

さすがに長過ぎ?という雰囲気を意に介さず、ようやく名残惜しそうにリングを去るという、日本への愛が溢(あふ)れまくりだった今回の日本復帰。来年のファンタスティカマニアへの期待も高まる…新日本プロレスさん、よろしくお願いします!

そして、この後、みちのくプロレス『ふく面ワールドリーグ』(9月16~19日、東京、新潟、宮城、岩手で開催)参戦も発表。“スペル・エストレージャ”を目の当たりにするチャンス、超貴重です!

(取材・文・撮影/明知真理子 通訳/鈴木つどい)

●Caristico(カリスティコ)2004年にメキシコ最大の団体CMLLで「ミスティコ」としてデビュー以来、2011年から2013年はアメリカ・WWEで活躍するなどルチャリブレ界を牽引するスーパースターに上り詰める。2016年8月21日に新日本プロレスの『SUPER J CUP』にて5年7ヶ月ぶりの再来日を果たした。