「日本会議」と現在の日本社会の情勢について語る山崎雅弘氏

欧米メディアが「日本最大の右翼組織」と報じ、安倍政権の閣僚の半数以上が「日本会議国会議員懇談会」に所属していることが明らかになるなど、にわかに注目を集め始めている保守系政治団体「日本会議」。

その実態を「肉体」(人脈・組織)と「精神」(戦前戦中を手本とする価値観)、教育や靖国問題を巡る「運動」という3つの側面から検証、日本を戦争に導いた国家神道や国体論を拠(よ)り所とする戦前回帰への動きとして読み解くのが、山崎雅弘氏の『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書刊)だ。

「日本会議」とは一体、どんな組織なのか? 彼らはこの国をどこに連れていこうとしているのか? 戦史・紛争史の研究家である山崎氏の視点から、その答えを探る…。

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―1年ほど前から、週プレを含む一部の雑誌や新聞などで「日本会議」に関する記事が載るようになり、今年に入ってからは関連書が多数発売されるなど、これまで一般にはその名前さえ知られていなかった「日本会議」の存在が、一気に注目を集めるようになりました。山崎さんご自身はいつ頃から日本会議に興味を持たれたのですか?

山崎 2012年の末に自民党が政権復帰し、第二次安倍政権が成立した直後ぐらいからですね。その頃、イギリスの経済誌『エコノミスト』など、海外のメディアが「日本最大の右翼組織」、あるいは「安倍政権を支える国家主義団体」などという形で日本会議の存在に光を当て始めたにも関わらず、日本の大手メディアは積極的に触れようとはしなかった。これは一体、どういうことだろう…?と疑問に感じて、調べ始めたのがきかっけです。

―ただ、既に第一次安倍政権の頃から靖国問題や教科書問題などに関して、「日本会議」の主張に近い動きが見受けられました。また、そうした運動を支えていたのは、今になって思えば日本会議とも密接な繋がりを持つ団体だったわけですが、当時はなぜ注目が集まらなかったのでしょう?

山崎 確かに第一次安倍内閣の時にも戦前回帰的、あるいは復古主義的な動きが一部にあったと思います。ただ、当時は歴代の自民党政権が継承してきた流れというものがまだ残っていて「そういう路線で進めばこの国はダメになる」と、きちんと警鐘を鳴らしてくれる重鎮も自民党内には存在していました。ところがその後、自民党が選挙で敗北して下野し、民主党政権時代を経て第二次安倍政権が発足した時には、そうした党内の抑制が失われてしまい、全くブレーキの効かない状態になってしまった。

その理由について、憲法学者の小林節さんは「自民党が選挙に敗北して下野した時、政策についてきちんと勉強している優秀な議員の多くが落選し、勉強をしていなくても『地盤』と『看板』だけで当選できてしまう2世議員、3世議員ばかりが生き残ったことによって、自民党議員の質が低下してしまった…」と指摘されていましたが、いずれにせよ、安倍政権の復古的な動きを自民党内で誰も止めない、誰も諌(いさ)めないという、非常に危険な状態になっているとい思います。

日本会議の影響は改めて検証しなければわからない部分も多い

―そうして、自民党内にかつては存在した「多様性」や、極端な右傾化に対する「抑止力」が失われた背景には、やはり日本会議の影響があるのでしょうか?

山崎 実際にどれだけの影響があったのかは、この先10年、20年経ってから改めて検証しなければわからない部分も多いと思います。しかし、第二次安倍政権の成立にあたっては、「2012年安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」などの運動があり、本書にも書きましたが2012年の総選挙後に行なわれた日本会議の総会で当時の三好達会長(現・名誉会長)自らが 衆議院選における自民党の圧倒的勝利と第二次安倍氏政権の誕生を「私どもの運動の大きな成果」として挙げています。

また、自民党が下野していた時期には安倍氏が頻繁(ひんぱん)に『正論』や『WiLL』など、保守系の雑誌に登場して日本会議の方向性に沿うような発言を繰り返していました。第二次安倍政権成立後の「集団的自衛権の行使容認」を認める閣議決定や、憲法解釈の変更、安全保障関連法案の成立、そして現在の憲法改正に向けた流れも日本会議の公式ウェブサイトにある「国の安全を高め世界への平和貢献を」という提言と一致しています。

―そういえば、「日本会議の主張」との共通点が数多く指摘されている自民党の「改憲草案」が作られたのも、まさに自民党が下野していた時代ですね。

山崎 そうですね。あの改憲草案については「自民党が下野している時だから攻めた内容になっている」と指摘する方もいますが、私は現行憲法の改正案という形を採っている分、まだ抑制が効いているように思います。

それよりも2013年に産経新聞が発表した「産経新聞80周年<国民の憲法>要綱」のほうが、よりダイレクトな形で日本会議の主張が色濃く反映していると感じましたね。いずれにせよ、そこにはかつての日本を悲惨な戦争に導いた「戦中・戦前」の価値観に近いものが堂々と打ち出されている。それは、日本会議について調べ始めた私にとっても大きな驚きでした。

日本会議の組織の系譜

戦後の価値観に合うような「愛国心」が見当たらない

―前出の三好達氏(元最高裁長官・日本会議・現会長)は88歳と高齢ですが、1945年生まれの椛島有三事務総長など、日本会議の「主要メンバー」と言われている多くは戦前、戦中の教育ではなく、我々と同じ「戦後民主主義教育」を受けていて、特に敗戦直後は戦前、戦中の思想や教育が激しく批判された時代であったはずなのに、なぜ彼らはこれほどまでに「戦前・戦中」の価値観や、彼らの言う「伝統」にこだわるのでしょう。そして、なぜそうした主張に多くの人たちが惹きつけられていくのでしょうか?

山崎 ひとつには、敗戦後にこの国が、いわゆる「戦前的なもの」を否定した時、「それに代わるものをきちんと用意できたのか?」ということがあるかと思います。最近、思想家の内田樹さんがまとめられた『転換期を生きるきみたちへ』(晶文社)という本の中で「『国を愛する』ってなんだろう?」という文章を書いたのですが、敗戦後に「戦前・戦中型の愛国心」を否定したのはよかったけれど、それと同時に「愛国心という考え方自体が危険なものだから、捨ててしまおう!」ということになり、そこに「空白」が生まれてしまった。

日本人が、自分の国に愛着を持ちたい、誇りを持ちたいと思った時、その空白を埋める、何か拠り所となるものが求められていたのに、戦後の価値観に合うような「愛国心」が見当たらない。空白となった「国家観」や「日本人としてのアイデンティティ」を埋めてくれるモノとして、戦前・戦中の価値観や国家観というものに傾斜していく人たちが増えているということなのかもしれません。

本来ならばもう、戦後70年も経っているわけですから、我々はそれをひとつの「歴史」として誇ってもいいはずです。その中で戦前・戦中の価値観に代わる、新しい日本人のアイデンティティを確立し、この国を愛するということの新しいかたちをきちんと創出すべきだったのに、それをしてこなかった結果、そこに戦前的な価値観を延命させてしまった。

―それには、経済成長の鈍化や、震災と原発事故の経験などによって、日本人がかつてのプライドや自信を喪失しかけている…あるいは、そうした現実から目を背けたがっているという側面も?

山崎 それは間違いなくあると思います。日本人全体が自信を失い、目指すべき目標を見失っている今の状況は、日本があの戦争になだれ込んでいった1920年代から30年代にも似ています。そうした自信喪失や経済停滞に対する不安、日本人としてのアイデンティティを求める気持ちが、偽りの優越感の裏返しとしての近隣国への敵意や、戦前・戦中の価値観を過大評価する「復古主義」と結びついてしまった。そうした日本人の心の変化も、ここにきて「日本会議的」なものが予想外の広がりを見せているひとつの要因なのではないでしょうか?

◆後編⇒『「天皇陛下のお言葉」と「生前退位」問題をめぐる「日本会議」の反応を考察する』

『日本会議 戦前回帰への情念』 山崎雅弘

●山崎雅弘(やまざき・まさひろ)1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。雑誌『歴史群像』『歴史人』等に戦史の分析研究記事の寄稿多数。2015年9月に刊行された著書 『戦前回帰 「大日本病」の再発』が各界より高い評価を受ける。膨大な資料をもとに、俯瞰的な視点から現代日本を鋭く分析する論客である。著書に『侵略か、解放か!? 世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』ほか多数。詳しくは「集英社 コミック・書籍 検索サイト BOOKNAVI」から

(取材・構成/川喜田研)