セルビアのベオグラードのカレメグダン公園には日本との友好の印である「日本の泉」がある…って、私が隠しちゃってるけど、「友達の輪」!

こんなトコにも行ってました編も第3弾。お次にやってきたのはボスニア・ヘルツェゴビナという長い名前の国。

この国はボシュニャク人(イスラム)、クロアチア人(カトリック)、セルビア人などの多民族他宗教が共存していましたが、1992~95年に民族紛争が起きてしまいました。

私が訪れたモスタルという小さな街には、壁に無数の銃弾の痕(あと)が残ったままの建物や廃墟がいっぱい。無数の穴ぼこを見ていると、今もどこからか誰かが銃口を向けているのではないかとビクビクしてしまう。

そのせいか街はどことなく静かで寂しいイメージで、旧ユーゴスラビア圏の中でもこの国は一番、戦争の爪痕が残っているように見えた場所でした。

街中の至るところにある廃墟や銃弾の残る建物

そんな中で一番の見どころ、旧市街の石橋「スタリ・モスト」は、山を背景に青緑に輝く川が絵画のように美しい。橋は1993年には紛争で破壊されたけれど、2004年に再建。翌年、世界遺産に登録されたおかげで観光客が増加し、この街も少し明るさを取り戻したのではないかと思う。

しかし川を挟んで東側がイスラム系地区、西側がクロアチア人地区、と住み分けられているところを見ると、未だにわだかまりはあるのだろうか。

スタリ・モスト橋。橋脚を持たないシングル・スパン・アーチとしては現存する世界最古

橋の上。川を挟んで東側と西側に住み分けされる街

私はふと多摩川下流にかかる丸子橋を思い出した。中学生の頃、多摩川沿いに住んでいた私は、神奈川県川崎市と東京都大田区を結ぶ丸子橋の河川敷で、ケンカする不良少年を見たことがあったからだ。

「おまえ、どこ中だよ?」って。

民族紛争と中学生の縄張り争いじゃスケールが違うとはいえ、どうして私たちは同じ人間なのに何かに分けられたグループ同士で争うんだろうか…。

そんなことを思い浮かべていると、川の中に黒いツルっとした物体が!

「まさかアザラシのたまちゃん?(多摩川に現れてニュースになったアザラシ)」

と思ったら、ウェットスーツを着た人間だった。高飛び込みの世界大会も行なわれる高さ20m以上の石橋からは、誰かが時折飛び込むようだ。

橋のたもとに置かれた「Dont’t forget93」の石碑。過去の過ちを繰り返してはいけないという思い。横にはウェットスーツが干してあった

サラエボも民族の住み分けが…

1日で十分周れたモスタルを後にし、バスでサラエボに向かう。1984年には冬季オリンピックで熱気に沸いたサラエボもまた、激しい銃撃戦により破壊された街。

紛争中は世界からジャーナリストが集まり、銃撃戦の最前線であったスナイパー通りからすぐのホテル「ホリデイ・イン」が彼らの宿泊場所だったんだとか。ボスニア紛争中も砲撃を受け続けながらも市内で唯一、営業を続けたタフなホテルとして有名で、その外観を拝みに来る旅人は少なくない。

当時、動くものは全て狙撃兵の標的だったのだから、ジャーナリストも命がけだ。その中にはあの山路徹氏もいたという。一時は不倫騒動で世間を騒がせた山路氏ですが、当時の現場映像を見ると、弾が飛び交う中を走り抜ける彼のジャーナリスト魂は凄まじかったと感じる。

ホリデイ・インに1泊くらいしてみたかったけど、到着したのは夜中だったし、そのまま深夜バス乗り換えて次の国セルビアへ行くことにした。しかし困ったことに「ここからセルビア行きのバスは出てないよ。セルビア人側のバスターミナルに行きな」と言われる。

そう、サラエボもまた民族の住み分けがあり、ボスニア人・クロアチア人が住む「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側とセルビア人が住む「スルプスカ共和国」側に分かれている複雑な街なのだ。

「あ~めんどくせぇ~!」

『池袋ウエストゲートパーク』のまこっちゃん(長瀬智也)ばりに叫びたい気分でしたが、渋々タクシーのおじちゃんと交渉。

セルビア人側へは昼間なら市内バスもあるけれど、もう結構な夜中だし足元見られて少々高くつくのは仕方ない。とは言っても物価は安いので、10ユーロで交渉成立しタクシーに乗ると、車窓からは近代的な高層ビルが見えた。

「意外と都会的なんだな。やっぱり滞在して街を見てみたかったかも」と少し後悔。

セルビア人が住む「スルプスカ共和国」側のバスターミナル

そんなこんなでセルビア人側のバスターミナルに着くと、そこは場末のスナックのような雰囲気の喫茶店が数店。私はそこでバスを待つことにしたが、仕事あがりのセルビアおじちゃんたちにすっかり気に入られてしまう。

「飲め、飲め」と勧められたビールを何度も断ったけれど、最後には店員さんが私の机に「あちらから」と瓶を置いてきたため、新品なのを確認していただくことにした。

セルビアのおっちゃん。距離感近っ! 奥に座っているのも仲間

セルビアのお箸ティーチャー

セルビアの首都・ベオグラードの夜景

そしてついに、コソボからでは入国が難しいとされていたセルビアにやってきた! 深夜バスの途中で越えた国境では、コソボの入国スタンプに無効を押されることもなく、無事に入国。

セルビアといえばコソボ紛争によってNATOに破壊され、一部半壊した建物も残っているものの、街中にはカジノや洋服屋が並び、わりと整然として見えた。

インフラの背景には実は日本も関わっていて、これまでにベオグラード市に公共バスや医療器材を供与、上水道環境の改善などの無償資金協力をしたそう。

カレメグダン公園にあるベオグラード要塞。ドナウ川とサバ川の合流点を見下ろせる

日本の泉。様々な公共インフラ整備に貢献してくれた日本に友好的な謝意を示すために作られたもの

そんなことからか親日家が多いのだろうか。ちょっとオネエっぽい宿のオーナーは手厚いおもてなしをしてくれた。というか、セルビアは評判の良い宿が多く、私が泊まった宿も1泊千円以下で駅近で清潔。

Wi-Fiもサクサクで、世界の宿予約サイトでは初めて見た、なんと10点満点の評価が付いた宿。意外とここで沈没してしまう日本人旅人がいるのもわかる。

「ほら! これ日本人にもらったラーメンよ。あなた、これ作れる~? 一緒に食べましょう」

オーナーにそう言われて、セルビアで食べた喜多方ラーメンは体に染みた。

また、レストランでは肉ガッツリ系の郷土料理も美味しくて、「日本から来た」と言うと、食前酒ラキヤを振る舞われ歓迎された(ラキヤはプラムや桃、アプリコットなどでできた蒸留酒でアルコール度は40~60%)。

地元セルビアの旅人からも「お箸の使い方を教えてくれ、ティーチャー」と慕われた。

お箸ティーチャーと優秀な生徒たち

旧ユーゴスラビア圏の中でも一番居心地が良かったセルビア。やっぱり人懐っこい国民性を感じる国はいいなぁと後ろ髪ひかれながら、最後にもう使わないセルビアマネーを両替。

しかし、毎日通貨が違うので、計算をめんどくさがった私。後日、金額を確認すると…や、やられた!

最後の最後でぼったくりに遭ってしまった。クソ~! 油断したぜ!

とはいえ、イメージが良い国だったので、きっと純粋に計算ミスしたのだろうと思うことにし、この地を後にするマリーシャであった。

セルビア通貨

【This week’s BLUE】トルコランプ。オスマントルコ時代の影響でトルコのお土産がいっぱい。

★次回更新予定は、9月29日(木)です。

●旅人マリーシャ平川真梨子。9月8日生まれ。東京出身。レースクイーンやダンサーなどの経験を経て、SサイズモデルとしてTVやwebなどで活動中。バックパックを背負 う小さな世界旅行者。オフィシャルブログもチェック! http://ameblo.jp/marysha/ Twitter【marysha98】 instagram【marysha9898】