『1974年のサマークリスマス』の著者、柳澤健氏

1970年代、一部の若者たちを熱狂させた深夜ラジオ、林美雄の『パックインミュージック』。「林パック」と呼ばれたその放送の中で、ユーミン、タモリ、野田秀樹、RCサクセションなど多くの才能が発掘された。

TBSアナウンサーから伝説のパーソナリティーとなった林美雄と、周囲の人間たちが紡ぎあげた物語が一冊の本になり、再び脚光を浴びている。その『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』(集英社)の著者、ノンフィクションライター・柳澤健氏が感じとった熱き青春とは。

―「林パック」はどんな番組だったんでしょうか?

柳澤 林パックは、リスナーの思いを受け止めるということよりも、林さんが自分の心に響いた映画や音楽などを紹介する番組だった。「あなたも興味があったらどうぞ」といった感じで、送られてきたハガキをほぼ読まず、まだ無名だった荒井由実時代のユーミン(松任谷由実)や石川セリ、低迷状態にあった日本映画などをバンバン紹介した。特に1970年から74年まで金曜2部で放送していた時はスポンサーもいなかったから、聴取率を気にすることなくやりたい放題できたのも大きいね。

でも、TBSからすれば、「そんなの100人にひとりしかウケないよ」「あんな番組、冗談じゃねぇ」っていうふうになるわけ。70年代前半の深夜ラジオは、多くの若者たちにとって「自分の思いを聞いてもらいたい」というものだった。パーソナリティーがバーチャルな「お兄さん、お姉さん」で、そこで読んでもらえるようなネタを持っていることが自分の存在証明となっていた時代だから。

―それでも若者から熱狂的に支持されたのはなぜ?

柳澤 林さんの「これがいいんだ!」という確信が羨ましかったんじゃないかな。大学生の頃って、自分がどういう人間かってわからないし、将来に不安を抱える人が多いでしょ。「好きなことをすればいい」と言われるけど、好きなこともわからなくて。そこで自分探しをする時に、林さんは確信を持っている大人のように見えた。

その憧れが膨大な熱量を生むわけだね。林パックの打ち切りが決まると、リスナーたちはパ聴連(パック林美雄をやめさせるな! 聴取者連合)を結成して、番組存続を願う署名を集めたんだ。最終回直前の林さんの誕生日、8月25日に行なわれた「サマークリスマス」のイベントでは、代々木公園に400人が集結。台風で中止になるはずが急遽、林さんがTBSのスタジオを確保して、イベントに参加していたユーミンと石川セリがそこで歌う。すごいドラマだよね。

そんな活動の甲斐もあって、林パックは75年に深夜1時からの1部で復活するんだけど、時代はエンターテインメント至上主義に変わっていった。『ビートたけしのオールナイトニッポン』人気に押されるように『パックインミュージック』そのものが打ち切りに追いやられたのはその象徴だね。放送時間が早まったこともあって、林さんも前ほど好き勝手できなくなった。その時に出演したタモリが“4ヵ国語麻雀”で一躍有名になったりしたけど、エンタメ要素が強くなって、昔からのファンは徐々に離れていくことになるんだ。

―柳澤さん自身も林パックの影響を受けた?

柳澤 いや、僕は林パックどころか、他の深夜ラジオも全然聞いたことがなかったんだよね。4年前、『小説すばる』の編集長だった高橋秀明さんから「林美雄で青春ノンフィクションの連載をやってくれ」って話を持ちかけられた時、僕は林美雄のどこが青春なのかさっぱりわからなかった。それでも、僕の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(文藝春秋)を「これが青春ノンフィクションだと思ったから」と言ってくれたので、「じゃあ、やりましょう」と。

そこから70人くらいに取材をしたけど、林さんファンの中では「こんだけ知らないのはすごい」って結構、話題になっていたみたい(笑)。でも、何も知らない僕だからこそ、林美雄という人物をいろんな角度から見られて、全体像を描くことができたと思う。林さんを知る人だと、当時の思い出が美化されていたり、主観が入っていたりするからね。毎日一緒にいる奥さんでさえ、パートナーとしてこれ以上は踏み込んじゃいけないって部分もあっただろうし。

長い時間語ってくれた人もいれば、ほとんど話してくれなかった人もいるけど、そのすべてが本文の林美雄像に反映されている。お陰できちんと「青春ノンフィクション」ができたから、連載が終了していよいよ書籍化するという時に高橋編集長が亡くなられたのは本当に残念だった。

14年経ったからこそ書けたところもある

―この本には、ユーミンさんのコメントも多く載っていますね。

柳澤 ユーミンとは何回も取材で会っていたし、林さんは恩人だからってのが大きかっただろうね。本人にとって嫌なことも書かれているけど、「ここはカットして」とは言われなかった。今ならすべてを伝えてもいいと思ったんじゃないかな。ユーミンは今も第一線でやっているけど、レコードやCDを100万枚、200万枚売っていた時期だったら、イメージを考えてOKしなかったかもしれない。

林パック放送時から約40年、林さんが亡くなってから14年経ったからこそ、詳細まで書けたところもある。パ聴連も協力した林さんプロデュースのイベント『歌う銀幕スター夢の狂宴』の話もそう。イベントポスターで原田芳雄の下に名前を載せられて「冗談じゃねぇ」って怒った宍戸錠が、「日活でまた青春映画を撮るんだ」と涙ながらに鈴木清順をお客さんに紹介する。それに万雷の拍手を送られたかと思えば、「こんなポルノ女優と一緒にやるのか」と言われた日活の女優たちが激怒して「帰る」騒ぎに…。すったもんだあって、最後に菅原文太が長谷川ゴジ(和彦)と飲んで意気投合して、映画『太陽を盗んだ男』につながっていく。これを実名で書けなければ、ここまで感動的には伝えられなかったと思う。

―こんな熱い青春、すごく羨ましいです。

柳澤 羨ましいよねぇ。でも、僕が思ったのは「誰かと会わないと何も始まらないんだな」ということ。この物語も当時の林パックのヘビーリスナー・沼辺信一さんが、有志ファンクラブ会報を作っていた中世正之さんに会いに行かなければ始まらなかった。孤独にラジオを聞いていた彼らがパ聴連で顔を合わせて、大きな動きを起こしていく。誰かに会いに行くことで自分の外側が動き出し、自分の内側も動き出す。今は情報をいくらでも集められる時代だけど、TVやパソコンの前にいるだけでは何も変わらない。

自分の何かを変えるほどの熱い経験がしたいなら、思い切って好きな人に会いにいくといい。引きこもりだった水道橋博士も、『パックインミュージック』を窮地に追いやったビートたけしの『オールナイトニッポン』にショックを受けて、たけしの母校である明治大学に行こうとなった。それがすごい人が持ってる熱量なわけで、実際にたけし軍団に入って、引きこもりだった少年が水道橋博士になったわけだし。

本人に会いに行くのが難しいなら、同じ人を好きなファンに会うだけでも絶対違う。「もう学生じゃないし」って思う人もいるかもしれないけど、年齢は関係ない。もちろん、知らない人に会うのは怖い。自分のバカや無能さを晒(さら)すことになるかもしれないし。でも、どうせなら「楽しいバカ」のほうがいいわけじゃん。

今の若い人たちにこの本の内容がどれだけ響くかはわからない。だけど、行動を起こしたい人の参考にはなると思うよ。上っ面の青春小説とは違う「本物の青春」がこの中にあるから。

(取材/文・和田哲也 撮影/田中亘)

★柳澤健 『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』 (四六判 352ページ 定価1600円+税 集英社刊) http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-781610-5&mode=1

■柳澤健(YANAGISAWA TAKESHI)1960年3月25日東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒。文藝春秋に入社し、『週刊文春』『Sports Graphic Number』編集部などに在籍。03年7月 に退社、フリーとして活動を開始する。07年にデビュー作『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)を上梓。著書に『日本レスリングの物語』(岩波書店)、『1964年のジャイアント馬場』(扶桑社)などがある。