初優勝からV6まで。広島カープに訪れた歓喜の瞬間をプレイバック!

あの胴上げから、気がつけばもう四半世紀。ついに広島カープは球団記録のシーズン75勝を軽々と超え、近年まれに見る独走で25年ぶりのリーグ優勝を果たした。

それを記念して、過去にカープが優勝した瞬間をプレイバック! 

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【1975年】後楽園球場で歓喜の胴上げにファンも乱入!

球団創設26年目、ついに歓喜が訪れた。シーズン途中に就任した古葉竹識監督の采配、山本浩二、衣笠祥雄という若きスターの台頭で勢いづいたカープは“赤ヘル旋風”を巻き起こし、中日の猛追を振り切ったのだ。

東京・後楽園球場の優勝決定試合に駆けつけたファンはグラウンドになだれ込み、ナインと喜びを分かち合った。しかし、日本シリーズでは阪急にひとつも勝てず。日本一の夢は持ち越された。

【1979年】球史に残る伝説!「江夏の21球」で初の日本一に

優勝候補といわれながらシーズン序盤は苦しんだチームを勢いづけたのは、若きリードオフマン・高橋慶彦。盗塁王のタイトルに加え、夏場には33試合連続安打の日本記録を樹立するなど打線を引っ張った。

そして投手陣では、カープ移籍2年目の江夏豊が抑えの切り札として仁王立ち。セーブ王、シーズンMVPもさることながら、球団創設30年目で初の日本一に輝いた日本シリーズ最終戦での「江夏の21球」は球史に残る名シーンだ。

【1980年】ミスター赤ヘルの打棒爆発で貫禄の連覇達成!

投打ともに戦力が充実し、前年の日本一の勢いをそのままシーズンに持ち込んだカープ。スタートダッシュに成功すると、そのまま優勝まで突っ走る横綱相撲を見せた。

特に、この年34歳になった主砲・山本浩二は打率3割3分6厘、44本塁打、112打点と圧巻の活躍でMVPに輝く大活躍。日本シリーズでも前年のリベンジに燃える近鉄を逆転で下し、連覇を達成。まさに黄金期真っただ中という強さを示した年だった。

「津田のために」。ナインがひとつになったV6

【1984年】小早川、山崎、大野、川口……若手が光ったV4

37歳にしてキャリアハイの数字を叩き出したベテラン衣笠と、俊足スイッチヒッターの山崎隆造やルーキーの長距離砲・小早川毅彦といった若手が噛み合ったシーズン。

投手陣でもエースの山根和夫、北別府学を筆頭に、若きサウスポーの大野豊、川口和久も先発として活躍した。日本シリーズは阪急との対戦となったが、3本塁打10打点と大爆発した長嶋清幸の活躍もあり、またも4勝3敗で勝利! 3度目の日本一に輝いた。

【1986年】主力野手の衰えを投手王国がカバーしたV5

4度の優勝を誇る古葉監督が前年限りで退団し、阿南準郎新監督の下で迎えたシーズンは、投手力の勝利だった。北別府、川口、金石昭人、長冨浩志と4人がふた桁勝利を挙げ、“炎のストッパー”津田恒美も大活躍。巨人に競り勝って5度目のリーグ優勝を果たした。

しかし、西武との日本シリーズでは3勝1分けからまさかの4連敗。オフには山本浩二が引退するなど、黄金期の終わりを感じさせた年でもあった。

【1991年】「津田のために」。ナインがひとつになったV6

前年から原因不明の頭痛に悩まされていたリリーフの津田が、悪性脳腫瘍で離脱するという衝撃のシーズン(当初は病名は伏せられていた)。ナインは「津田のために」を合言葉にまとまり、佐々岡真司、川口、北別府、大野でタイトルを総ナメにした投手陣を中心とした野球で逆転優勝を成し遂げた。

ただ、日本シリーズでは3勝2敗と王手をかけてから、自慢の投手陣が打ち込まれて連敗。またも黄金時代の西武の前に屈した。

『週刊プレイボーイ』39&40合併号『25年分の広島カープ愛を語れ!』より

(取材・文/村瀬秀信 石塚 隆)