「カープは、私の反権力ポリシーの源泉」と語る郷原信郎氏

あの胴上げから、気がつけばもう四半世紀。ついに広島カープは球団記録のシーズン75勝を軽々と超え、近年まれに見る独走で25年ぶりのリーグ優勝を果たした。

そこで今回、日本一アツいといわれる広島ファンを代表して、弁護士・元検察官の郷原信郎(ごうはら・のぶお)氏に語ってもらった!

* * *

私は島根県生まれですが、小学校3年時に広島に引っ越し、すっかりカープファンになりました。父親に連れられて行った広島市民球場ーーそこは、今の若いカープファンが集まる球場とは別世界です。

当時のカープは万年Bクラス。球場にいるのは球団創成期から応援し続けるオッサンばかり。試合後半には、「どうせ今日も負けじゃ」というファンと、「今日は勝つんじゃ」というファンがケンカを始めることもしばしばでしたが、「いつかは優勝」という夢は誰もが共有していました。

しかし、中学3年で再び島根へ引っ越した後は地獄でした。周りはすべて巨人ファン。やれ王だ、長島だ、と盛り上がる彼らを見て、私の巨人に対する反感は高まるばかり。中国山地の向こう側の広島から弱々しく届く電波を頼りに、ラジオを耳に押し当ててナイター中継を聴く日々でした。

初優勝した1975年は大学進学後で東京にいました。“巨人ファンの巣”ともいうべき不愉快な後楽園球場へ何度も足を運んだのですが、私が見に行くとなぜか勝てない。カープ優勝、ジャイアンツ最下位のシーズンなのに、私は6戦全敗…。それでも歴史的な初優勝で、私の気持ちはいったん満足しました。

巨人は野球における最大の権力。そういうものには絶対に負けたくないーー。権力から最も遠いカープは、私の反権力ポリシーの源泉でもあります。

検察官時代、当初は小さな個々の事件を担当し、正義を実現することに充実感を覚えていましたが、だんだん組織としての仕事が増えてくると、そこはまさに権力そのものなわけです。そのなかで、やっぱり自分はこの組織には合わないな、という思いが高まっていった。結局、私はふり返ってみれば「権力内反権力分子」だったのです。

巨人への憎しみが沸き立つ事件

そんななか、またも巨人に対する憎しみが沸き立つ事件が起きます。96年、私以上に熱烈なカープファンだった母が末期の大腸がんで広島の病院に入院していたのですが、病室で懸命に応援する母の願いもむなしく、カープは最大11・5ゲーム差を巨人に大逆転されてしまったのです。忌(い)まわしい「メークドラマ」の約2ヵ月後、その病室で母は息を引き取りました。

実は、私はいまだに巨人の本拠地でカープの勝利を見たことがありません。思い出したくもないのは今年8月23日、伏兵・脇谷(わきや)亮太のサヨナラ本塁打! 東京ドームでカープのユニフォームを着ていた私は、本塁打がスタンドに着弾した直後、脱兎(だっと)のごとく走りだし、巨人ファンで埋め尽くされた不愉快極まりない球場を後にしました

この記事が出る頃には結果が出ていますが、9月11日、私は東京ドームに行きます。もしカープの優勝がまだ決まっていなければ、そこで胴上げを巨人に見せつけ、すべての悪い記憶を洗い流してほしい。逆に、すでに優勝が決まった後だとしても、CS出場に向けて戦う巨人を叩きのめしてほしい。私のリベンジはまだ済んでいないんです。

●郷原信郎(ごうはら・のぶお)1955年生まれ、島根県出身。東京大学理学部卒業。1983年に検事に任官し、東京地検検事、広島地検特別刑事部長、法務省法務総合研究所研究官、長崎地検次席検事などを歴任。2006年に退官。現在は郷原総合コンプライアンス法律事務所の代表弁護士を務める

『週刊プレイボーイ』39&40合併号『25年分の広島カープ愛を語れ!』ではこの他にも、極楽とんぼ・山本圭壱、スポーツジャーナリスト・二宮清純などアツすぎる独白を掲載!