9月に吉原でオープンしたカストリ書房

かつて江戸幕府お墨付きの“吉原遊郭”が存在し、現在も全国有数の風俗一大拠点として知られる吉原エリア。

ここに今、話題となっている小さな書店がある。9月3日にオープンしたカストリ書房だ。

一番の特徴は、戦後、日本で売買春防止法が施行される以前(1958年3月31日まで)の“遊郭”や“赤線”、“歓楽街”にまつわる書籍を専門に扱うという点。「カストリ書房」という屋号も、第二次世界大戦後に多く出版された「カストリ雑誌」に由来する。

カストリ雑誌とは、荒い粗悪な紙に印刷され、大衆風俗や性にまつわる下世話な内容をふんだんに盛り込んだ、大衆的な読み物のこと。…なんとニッチで変わりダネの本屋なのか!

店主は出版社「カストリ出版」の代表を務める渡辺豪(ごう)氏。渡辺氏はひとりで出版社を起こし、本屋を運営している。全国各地の遊郭に関する古書物を手に入れ、諸々の権利案件をクリアし、手にとりやすい値段で復刻・再販しているという。

一体、なぜ遊郭史に興味を持ったのか、渡辺氏に聞いた。

―遊里史が専門の書店というのは、とにかく珍しいですよね。

渡辺 日本で初めてですね。なぜ遊郭や赤線、歓楽街にこだわった専門書店を開くことになったのか?と繰り返し聞かれます。でも残念ながら、わかりやすい回答ってないんです。先祖が遊郭経営をしていたわけでもないし、身内に遊女がいたわけでもない。

―遊郭や赤線について知ったきっかけはなんだったんですか?

渡辺 国内旅行をしている時、観光名所ではなく、なんとなく横道を歩いていたんです。「雰囲気が少し違う、面白い場所があるなあ」と思ったら、それが遊郭跡地だった。ところがそこにどんな歴史があるのかを調べようとしても、ネットには情報が何も載っていない。「知られていないことが多くて面白いな」と思いました。

―そこから全国の遊郭地跡を訪ねて歩くわけですね。

渡辺 はい。大人になって初めて夢中になった趣味でした。それまではIT企業勤めで、完全に無趣味な人間でした。誰にでも差し障(さわ)りなく接して、当たり障りない会話をする、ごくフツーのサラリーマン。それが、休日を使って旅行をして全国各地の遊郭についてじっくり調べるという趣味ができた。僕はこの趣味を「育てたいな」と思ったんです。

当事者不在だった遊郭の歴史

店舗はわずか7畳ほど。物件はかつて遊廓を経営していた人の子孫に借りたという

―「趣味を育てる」という感覚は興味深いです。全国の遊郭跡地を巡る際、どんな風にその土地のことを調べていったのでしょうか?

渡辺 文献調査もするんですが、全国の遊郭に関する情報は、実はほとんど残っていないんです。特に地方のことになると資料が極端に少なく、国会図書館や大学にもない。過去、日本には最大で500くらいの遊郭があった時代があるんですが、そもそもどこの土地にあったのかさえわからないことが圧倒的に多い。歴史に空白が多いんです。

―文字資料に頼れない、となると…?

渡辺 その土地の人に話を聞くのが一番確実です。でも遊郭について語ってもらえる年齢は80歳以上の方なんです。70代では、遊郭のことは子供時代の記憶になり、内容が非常にあいまいになりますから。それに気がついた時、「自分が今聞かなくて、いつ誰が聞くんだ」という思いがありました。

―その歴史・文化を知る人が少なくなってきたわけですね。

渡辺 そうです。ただ、遊郭跡地を歩くのが趣味という人間たちの世界では、実は20年くらい前まで「地元の人に話を聞くのは失礼にあたる」という意見が大半でした。黒歴史じゃないけど、「部外者が聞くのは無礼だ」という感覚が存在していた。でも僕自身はその考え方にすごく抵抗があって…。

―それはどんな点に?

渡辺 地元の人に話を聞かず、自分ひとりだけで見て帰るという態度は、当事者がどこにもいない気がするんですよね。地元の人と距離をとる考え方こそ偏見だと思った。とりあえず話しかけてみて、その結果、怒られたなら真摯(しんし)に受けとめたらいい。僕は今住んでいる人に、とりあえず直接聞いたほうがいいと思ったんです。すると、皆さん普通に教えてくれるんですよ。

―すんなり語ってくれたと。正直、意外ですね。

渡辺 ええ、特になんの抵抗もなく、『うちの爺さんが女衒(ぜげん)をやっていてね…』というように。自宅に呼んでくれ、お茶や漬物まで出してくれたりして。普通に教えてくれる。ただ、遊郭からワンブロック離れると『そういうことを喋りたがる人はいないよ』と言われたことがありました。

―たった1区画の開きで、態度が全然違う…。やはり“外側”の人にとっては、マイナスなものという印象なんですね。

渡辺 はい。土地としてリアルな地続きの場所でも、遊郭と遊郭以外ではそのくらいの感覚の隔(へだ)たりがあることがわかりました。でも語ってくれる人は語ってくれた。だから僕のような外部の人間が入る余地があったんですね。

遊郭文化は性欲と金銭欲がベース

店舗は元々、三和土(たたき)のスペースだったためドアや階段など、その面影が残る

―地道な聞き取りを経て、ついに出版社と小売店を開くまでにはどんな経緯が?

渡辺 調べれば調べるほどわからないことが増えて、とにかく『遊里史』は奥深いジャンルだなと実感した。そうすると『価値があるからこそ、経済的なものに結び付けたい』という気持ちも高まってきた。普通、『歴史的なものや文化的なものは貴(とうと)い』という感覚があるかもしれません。でもそれは僕にとってはすごくしらじらしいんです。

―書籍というカタチで、しっかりビジネスとしても成立させていこうと。

渡辺 はい。『文化はなにか』というと、人・モノ・金が集まるところに勝手に発生するものだと思うんです。そもそも遊郭文化というのは、性欲と金銭欲がベース。そういう意味で、遊郭に関する文化を高尚なものとして捉える感覚は僕にはなかった。今の時代だからこそ、遊郭専門の出版業を起こしてみようと思いましたね。

―サラリーマン時代に培ったノウハウが、起業にも役立った?

渡辺 そうですね。サラリーマン時代はWEBサイトのプラットフォーム運営をするディレクターをしていました。そのため、『情報をお金に換える』ということについては学んでいました。せっかく自分が夢中になったことですし、自分の足で集めた情報価値をマネタイズしたい、という思いが生まれましたね。

―遊里史というと、「不幸な女性の歴史」という見方も根強いと思いますが。

渡辺 女性にとって悲話であった部分も間違いなく大きいと思います。ただ僕がやるべきことは、まだ光が当たっていない情報を探すこと。政治的な思いは特にありません。だからこそ僕は編集という仕事を選んだ。「材料をもっと集めますから、それを見て判断してください」という姿勢ですね。今はとにかく、遊郭に関しては語る材料自体が少ないですから。

―書籍を再販するために、取り組んでいることは。

渡辺 一次情報に当たることですね。良い本が1冊あったら、その本はどんな参考文献を扱っているかひとつずつたどっていく。そして可能であれば著者と直接お話をする。たとえば『静岡県の遊郭跡地を歩く』という再販本。著者は八木富美夫(とみお)さんといって、大正11年生まれなんです。

―94歳ですか!

渡辺 はい。お元気です。八木さんに直接会いに行き、どんな思いで静岡の遊郭跡地について書こうと思ったのか、改めて聞きました。再販する際に編集後記として巻末に書き添えて、新しい情報を加えています。著者の皆さん、会いに行って再販のお願いをすると、本当に喜んでくださいますね。

今後は遊郭文化を体験型コンテンツに

店舗を利用して、今後はトークショーなどのイベントを開きたいと語る渡辺氏。遊郭巡りをする人同士はあまり交流がないそう

―忘れ去られていた書物に、また息を与えるお仕事ですよね。すばらしいと思います。今後、カストリ書房の経営展開として考えていることは?

渡辺 遊郭文化というものをトークイベントやフィールドワークといった体験型のイベントとしてもお届けしたい。書物を飛び越えて、著者さんでしか語れない話もたくさんありますから。そういった“体験型コンテンツ”にして、著者にもまた新たにお金を回していければいいなと。座学に留まらない遊里史をお届けすることを考えています。

―遊郭文化を、より立体的なものとして感じることができますね。

渡辺 文化は保存芸であってはいけないと思っています。保存にこだわるのではなく、僕は新しく価値を作っていくことをやっていきたいです。

―それでこそ、“生きた遊里史”ですよね。ありがとうございました。

★続編⇒『女子高生まで遊郭史にハマるのはなぜ? 話題の吉原「カストリ書房」とは…』

(取材・文/赤谷まりえ)