岩手県宮古市の宿漁港海岸では高さ14 .7mの防潮堤建設が進む。総工費は9億6千万円。現地には「命を守る新しい防潮堤」の看板があったが、浜の近くに民家は見当たらない

東北の太平洋側の海岸線、全長約400kmにわたり、巨大な防潮堤(ぼうちょうてい)の建設が進んでいる。

東日本大震災による津波で大きな被害を受けた人や町を、今後押し寄せるかもしれない津波から守るためだ。

ところが住民からは防潮堤の建設に不満の声が噴き出し、反対運動も起きている。一体、何が問題なのか? 取材を進めると、住民の意思に反して計画を進めようとする行政の姿勢が見えてきた。

■まるで何かの要塞のよう

宮城県石巻市雄勝町(いしのまきしおがつちょう)は東日本大震災で最大21mの津波が押し寄せ、町の沿岸部が流された。県は復興計画の一環で、雄勝町の中心部に高さ9.7mの防潮堤を造る計画を進める。

だが、住民らがそれに待ったをかけた。そのひとり、「持続可能な雄勝をつくる住民の会」の千葉正人さん(64歳)が言う。

「そんなに高い防潮堤を造れば陸から海が見えません。中心地が浜に接する雄勝は、海が身近にあってこその町。それを無機質なコンクリートで囲ってしまったら町づくりが思うようにできず、この先、観光客だって来なくなる。町が死んでしまいます」

千葉さんは震災後に津波が押し寄せた場所に戻り、そば店を再開した。雄勝が明治と昭和の三陸地震、十勝沖地震、チリ地震の4度の津波被害から復興を遂げてきたことを挙げ、防潮堤は震災前の4m程度で十分と話す。5年前の教訓から、住民は津波が来たら高台に逃げることを学んでいるからだ。

だが県は、「9.7mの防潮堤は住民や国土を守るため」と譲らない。今年4月、住民らとの話し合いが平行線をたどった後、県の漁港復興推進室の室長は詰めかけた報道陣に向けて、「話は出尽くした。(9月から)防潮堤工事を着工します」と宣言。住民のさらなる怒りを買った。

現在、東北の防潮堤整備計画は、津波で1万4千人以上が亡くなった5年前の悲劇を繰り返さないために、岩手、宮城、福島3県で建設が進められている。総事業費は約1兆円。そのお金は東日本大震災復興特別会計、つまり国税から拠出されている。

計画はまず、防災の基本計画をまとめる国の組織「中央防災会議」(安倍晋三会長)の専門調査会などで議論。それを踏まえて、2011年7月に農林水産省や国土交通省が、海岸を管理する各自治体に海岸堤防の高さの基準を通知した。

防潮堤が邪魔して津波が来ても陸側から見えない

具体的には、過去の津波の実績とシミュレーションに基づくデータを用いて「数十年から百数十年に一度程度発生する津波の高さ(レベル1)」を想定した上で、通知を受けた自治体が堤防設計を行なった。

雄勝町の9.7mという防潮堤の高さもそこからきている。ちなみに東日本大震災で起こったような最大級の津波には防潮堤では対応せず、住民の避難を軸とした対策を行なうこととしている。

しかし、こうした防潮堤の高さは防災の観点からシミュレーションして導き出したもののため、住民がすべて納得しているとは言い難い。そのため、雄勝町以外でもあちこちから不満の声が出ているのだ

岩手県大船渡市の門の浜漁港近くには東日本大震災で約20mの津波が押し寄せた。28億円をかけた新しい防潮堤の高さは12 .8m。震災前の8.5mから高さが増したが、陸側は住宅の建築制限がかかる区域。いったい誰を守ろうとしているのか?

岩手県大船渡(おおふなと)市の門(かど)の浜(はま)漁港を訪れると、見上げるような12・8mの防潮堤ができていた。目の前に住む87歳の女性はこう口を開いた。

「60年間、家から毎日見てきた海がまったく見えなくなり寂しい気持ちです。これだけ高いと圧迫感もあります。ここは少し高台のため、5年前の大津波でも庭に水が押し寄せた程度。いったい何を守るためにこんなに高い防潮堤を造ったのでしょうか?」

また、同県宮古(みやこ)市の女遊戸(おなつべ)海水浴場では、山の谷間に高さ14・7mの防潮堤建設が進んでいた。まるで何かの要塞のようで、浜から見渡せる範囲に民家はない。付近を散歩していた市内在住の50代の男性に防潮堤の是非を尋ねると、吐き捨てるようにこう言った。

「これじゃ、防潮堤が邪魔して津波が来ても陸側から見えずかえって危険。こんなコンクリートの塊に莫大なお金を注ぐ意味がわかりません。津波対策なら土盛りと植林をした自然の防潮堤で防いだほうがよほどいい」

■「海の砂漠化」が加速する?

その一方で、過去の経験から巨大な防潮堤が漁業に深刻な影響をもたらす可能性もささやかれている。

北海道南西部の日本海に浮かぶ奥尻島。93年の北海道南西沖地震では最大29mの津波が襲い、行方不明者を含む198人の犠牲者を出した。

その後、島の海岸線には全長14kmにわたり、最高で高さ約11mの防潮堤が造られた。だが、こうした場所では陸から海が見えなくなっただけでなく、漁師の生活の糧(かて)である漁場が死んでしまったという。島で漁師を50年続ける林清治(きよじ)さん(67歳)が語る。

「ウニが育たなくなってしまったのです。海底が防潮堤のできた後ぐらいにすっかり変わり果て、ウニの餌となるワカメや昆布などの海藻類が消えてしまったのです。今では誰も防潮堤の近くでウニ漁をしません。こんなことは50年の漁師経験で初めてです」

海藻類が死滅する「磯焼け」

奥尻のウニ漁師は、毎年夏に未成熟のウニを沖から捕ってきて、島の近くの栄養豊かな漁場に放す。すると海藻をエサに成長し、卵巣が成熟する。その場所がダメになってしまったというのだ。

現地に向かうと付近には高さ11mを超える防潮堤がそびえ立ち、海底には白色を帯びた石が見える。海中に海藻類はなかった。この状態は、海藻類が死滅する「磯焼け」だと北海道大学名誉教授の松永勝彦氏は指摘する。

「海底の岩が白く見えるのは石灰藻です。石灰藻は自らの分泌成分によって昆布などの胞子を殺してしまうため、その付近では海藻が育ちません。自然の海には本来なら、森林の土壌でできた栄養豊富な『腐植物質』が陸の地下を流れる表層地下水を伝って流れ込みます。この物質には石灰藻の胞子を死滅させる作用がある。ところが腐植物質が海水中から減ったことで、石灰藻が繁殖してしまったと考えられるのです」

腐植物質が海から減った原因について松永氏は、巨大な防潮堤の地下の基礎が表層地下水の海への流れ込みをさえぎったからとみている。その結果、ウニの生育に適さない漁場になってしまったのだ。

奥尻島でも有数のウニの漁場だった場所が、巨大防潮堤の完成後からウニが育たなくなってしまった。原因は、山からの地下水が海へ流れ込まなくなったから?

奥尻町役場は「防潮堤のない場所でも20年ほど前から磯焼けが起きていることから、関連はないとみている」と言うが、防潮堤が建設された場所で磯焼けがいっそう進んでしまったとも考えられる。

前出の松永氏によると、こうした磯焼けによる「海の砂漠化」は全国で起きている。開発で山の保水力が失われ、腐植物質を含む河川水が海に流れ込まなくなったからだ。今後、東北の防潮堤整備が進めば、至る所で海の砂漠化が加速したり、出現することも考えられるという。

ほかにも懸念はある。コンクリート製の防潮堤は定期的なメンテナンスが必要だ。奥尻島の防潮堤は建設から20年が経過しようとしているが、亀裂やひび割れがあちこちに見られ、補修にまで手が回っていない。東北で400kmにも及ぶ巨大防潮堤が完成すれば、それだけメンテナンスの費用もかかることになる。

前出の林氏は、「防潮堤を造るときには住民の誰も考えなかったことがこうして起きている。東北でもこのまま建設が進むと、10年後に『失敗した』となるのではないか」と心配する。

★後編⇒『東北被災地「巨大防潮堤」はいらない! 生活再建につながる土地利用とは?』

(取材・文・撮影/桐島 瞬)