創刊50周年記念『週刊プレイボーイ』43号でグラビアを飾った二階堂ふみ

創刊50周年記念として『週刊プレイボーイ』43号の表紙&最初で最後の巻頭グラビアに登場した時代の女優、二階堂ふみ

写真集を作るよりも深く、濃い、オール撮り下ろしは必見! そして前回記事に続き、“ど”ストレートインタビューも刺激的!

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―これまでインタビューを進めてきて、失礼ですが、22歳にしては精神的に成熟されすぎているような気が…。

ふみ 全然年相応ですよ(笑)。たまたま早くに仕事を始めているだけで、きっと同世代のコたちも同じく感じていることじゃないかな。

自分が特別じゃないってことは仕事を始めてすぐに実感しました。ビックリしましたよ。初めてオーディションに行ったら黒髪ストレート、サラサラ、ワンレン、色白、身長も高くて、細くて、そんなコたちにすごく憧れました。お人形さんみたいで。私なんかクセっ毛でモワーッとしていて、身長も小さいし、体の線も細くない。いや、むしろ14、5歳の頃なんて食べるのが大好きで、ぽっちゃりしていましたから(笑)。

そもそも芸能人になりたくて仕事を始めたわけではなくて。映画と洋服が好きで、その文化を感じられる場所に行きたくて、だからすごく幸せだったんです。仕事を始めて世界がブワーッと広がって。

当時、俗っぽい言葉では表せられない魅力的な先輩たちを身近で感じられたことが、今の自分につながっていると思います。

―「自分は特別じゃない」とおっしゃいましたが、こうして雑誌で表紙を飾ったり、若くして映画やドラマに出演されたり、評価されていることはご自身でも感じるわけですよね?

ふみ それはありがたいことです。この仕事が大好きですから。現場に行くたびに、好きは大きくなるし。

ただ前は自分がどういう言葉で表現されるのかをどこか気にしていたけど、この1、2年でどんどんラフな考えになれていることが私のプラスポイントかもしれません。だって全部楽しいから。

―その気持ちの強さはどこから?

ふみ 私、根本がポジティブなんですよね、きっと。10代の頃は役柄のイメージもあって自分とかけ離れたイメージに自分を合わせようとしていたし、12歳から大人に交じって仕事をして、子供として見られることがすごくイヤだったところもあってある意味、保守的だったんです。生意気ですよね(笑)。全然子供なのに。

だからその頃は、自分の中のポップな部分やギャルな部分を隠してしまいがちで。でもたぶん、本来のマインドは“ギャル”なのかもしれない。楽しいことがとにかく大好きです。

周りの大人たち私を見守ってくれていた

 

―高校生の頃に発表したフォトブック『進級できるかな。』(2012年)では、二階堂さんの楽しい部分が垣間見られますよね。

ふみ 女子高生はとにかく楽しかった。毎日放課後、友達とプリクラを撮って、スカートをすごく短くして、校則で禁止されていたお気に入りのピンクのカーディガンにわざわざ替えて渋谷に行って…。仲よかった友達も普通に載っていますからね(笑)。

ふり返ると、周りの大人たちがそんな私を見守ってくれていました。事務所としては、沖縄から子ザルみたいな真っ黒い女のコが来て、電車に乗ってつり革にぶら下がって騒いでいるような、うるさい子供でしかなかったと思うんですけどね(笑)。

決してたくさんの人が私のことを好きだと言ってくれたわけじゃなかったけど、当時のマネージャーさんや周りの大人たちが「君、すごくいいよ」って言ってくれた。その経験は自分にとって大きくて、本当によかったことだと思っています。

―最近の仕事を見ると、そのポップな面を徐々に解放できている気がします。

ふみ 10代の頃は、土台をしっかり作りたいという意識がありました。自分の核を固めるというか、自己形成のために絶対的に必要なことだったと思います。もちろん年相応の女子高生役や学園ドラマもすごくやりたかったけど。でも、とにかくたくさんの恵まれた現場で勉強させていただきました。

20歳過ぎてから、今度は今までの土台からもっと広げたいと。『オオカミ少女と黒王子』も、ようやくできるようになったキャラクター、作風なんです。ある意味、すごくいい裏切りができると思いました。自分自身がエンターテイナーになって、見る人がワクワクするような人になりたいと思って。少女漫画が原作の作品ですが、廣木隆一監督はじめ、現場にいる人たちと“映画的な”映画にできたら、それはすごく挑戦的だなって。

―恋愛映画に出るのも、『ぐるナイ』のゴチにレギュラー出演するのも、そして、週プレでグラビアを飾るのも「裏切り」のひとつかもしれませんね。今年、2016年は意識的にこうした裏切りを続けていこうと?

ふみ いろんな面白い映画やカルチャーがあって、まだまだ知られていないものや若い人が見てないものがたくさんある。自分がある程度、影響力のある人になれればいろいろなカルチャーとの接続部分になれるかなぁと。

最終的なゴールが自分ではなくて、自分を通じてもっと面白いものを知ってもらうのが私にとっても幸せだから、もっと知ってもらいたいって気持ちになってきたんです。それまでは、心が満たされる現場であればいいというか、自分の内側に意識が向いていたけど、今はもっと広がっている気がします。

●続編⇒『衝撃のグラビアでバニー姿を晒した二階堂ふみ「好きな人ができたら、すごく不器用でシャイ…」』

◆山手線渋谷駅ホームなど、都内21ヵ所で『週刊プレイボーイ』50周年記念「二階堂バニー」のビルボードを展開中!

(撮影/ND CHOW 取材・文/雑司が谷千一)