創刊号に中とじで封入された「プレイボーイCLUB」会員証。毎週、本誌上で発表される当選番号と会員番号が一致すれば豪華プレゼントが贈られた

1966年10月28日。『週刊プレイボーイ』は、集英社初の男性週刊誌として産声を上げた。果たして、当時はどういう時代だったのか? 

創刊50周年を記念して本誌でシリーズ連載するノンフィクションから抜粋!

*  *  *

1966年10月、『週刊プレイボーイ』は「国際感覚あふれる週刊誌」を目指して創刊された。

しかし「プレイボーイ」という概念をめぐる葛藤の日々。週プレの“思春期”である1966年にタイムスリップしてみよう……。

『週刊プレイボーイ』が創刊されてしばらくたったある日、出張取材のため新幹線に乗った島地勝彦は座席に腰を沈め、ひとり葛藤を味わっていた。使命感が脚の筋肉を緊張させ、腰を浮かせようとする。立って行かねばならない。しかし、それができない――。

「車内で呼び出しがかかるんだよ。『プレイボーイの島地さん、プレイボーイの島地さん、お電話です』と。俺ね……立てなかったもん(笑)。相手は編集部だってわかってるから、しばらくたってこっちからかけに行ったけど」

わが名に冠されると顔から火が出る思いがしたらしい「プレイボーイ」とは、一体いかなるタイプの人間を指す言葉だったのだろうか。

もともとはアメリカ英語で、「主として快楽の追求のための、軽薄で怠惰な生活を送る、典型的に若くて富裕な男」というのがその頃の英英辞書の定義である。

これが日本に来ると、「さまざまの娘を魅惑する能力をもつ、だて者」と現地化を遂げる。これは1963年版の『現代用語の基礎知識』、見出し語に初めて「プレイボーイ」が載ったときの記述だが、これなら褒め言葉にもなる。

日本の土壌に移植され、「女性を相手にする能力」が強調されたのは、アメリカ男性にとっては当たり前な「レディファースト」の習慣に対する無邪気な憧れゆえだろう。

しかし、この習慣は実は男性を大いに束縛するものなのだ。アメリカ男性は、一度結婚したが最後、浮気も女遊びも御法度。妻に忠誠を誓い、家族サービスが義務となる。「プレイボーイ」とは、「現代アメリカという女性支配の国に生きる哀れな男たちが、束の間の休息のときにそっと夢見る幻なのだ」(丸谷才一「プレイボーイの哲学」より)。

語感は「女たらし」のほうへ強く傾いて…

一方、当時の日本は、レディファーストどころか、丙午(ひのえうま)のような女性蔑視を内在した迷信を後生大事に抱える男性中心の社会だ。ここでまず誤解が生じる。

そして編者として『プレイボーイ入門』を世に問うた野坂昭如が、自ら「元祖プレイボーイ」という虚像を演じ、さかんに誤解をまきちらした結果――「女は人類ではない」発言など――この言葉の語感は「女たらし」のほうへ強く傾いていったものと思われる。同時に、引き続き、華やかな生活を送るアメリカのセレブリティに対しても用いられるのである。

単純には善悪を判定できない。その上空で常に高気圧と低気圧が争い、前線が発生している、そんな言葉だった。

そしてその言葉を誌名にした以上、『週刊プレイボーイ』が「プレイボーイ」という言葉をカッコいいほうに引っ張る努力をするのは当然のことである。

そんな創刊当時のタイムスリップ・ノンフィクションを発売中の『週刊プレイボーイ』43号で掲載中。是非ご覧いただきたい。

(取材・文/前川仁之)

■週刊プレイボーイ43号「創刊50周年記念タイムスリップ・ノンフィクション プレイボ~イの思春期 1966~1967」より