自身が発達障害であることを公表した栗原類さん

今から4年前に人気バラエティ番組『アウト×デラックス』へ出演したのを契機に“ネガティブすぎるイケメンモデル”としてブレイクしたモデルの栗原類さん(21歳)。

2014年にはパリコレデビューも果たし、近年はドラマや映画などでも活躍の場を広げているが、昨年、NHKの情報番組『あさイチ』に出演した際、自身の発達障害をカミングアウトしたことが大きな反響を呼んだ。

そんな中、今月発売の新著『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』では、自身の発達障害に向き合ったほか、母・泉さんと主治医・高橋猛医師へのインタビュー、親交のあるピース・又吉直樹さんとの対談まで収録されている。 

そこで、ADD(注意欠陥障害)の当事者として、いかにして自身の障害を受容し、輝ける場所をみつけられたのか? 本人を直撃した。

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いまや“ネガティブモデル”のキャッチフレーズでおなじみの栗原類さん

―いきなりですが、発達障害を持つ栗原さんにとって、こういう取材ってぶっちゃけ疲れません?

栗原 正直言って、疲れます(笑)。僕の場合は、外部からの刺激に対して脳が過敏に反応してしまうので、人と会うだけでもかなり消耗するんです。取材では、ひとつひとつの質問に対して正確に答えようとすると、そこで1日分のエネルギーを使い果たしてしまうこともあります。TV番組の収録の際は、あらかじめ台本をいただき、事前に何を話すか準備しておけるのですが、それでも相手の話を聞きながら自分も何か発言するとなると、集中力が持つのはせいぜい2時間が限界です。

―NHK『あさイチ』に出演し、発達障害を公表された際はネット上でも大反響でした。カミングアウトには、ものすごい勇気が要ったのでは?

栗原 確かに番組内でお話しましたが、自分ではそんな一大決心して公表した気はないんです。というのも、以前からブログやTwitterでも何度か触れていたことですから。

でも、自分は結構エゴサーチもするほうなんですが、放映直後に検索したら、実際に僕のような発達障害の子供を持つ親御さんや、当事者の皆さんから大量のコメントが寄せられていて。「発達障害を告白してくれてありがとう!」とまで言われて、それはすごく嬉しかったですね。『あさイチ』のような影響力のある番組で改めて話すと、世間ではこんなに大きな反響があるのかと、すごく意外でしたし驚きました。

―公表後、タレント活動に差し障りが出ることはありませんでしたか?

栗原 周囲の反応がガラリと変わったということはありません。元々、バラエティ番組に出演した際に僕の言動が「面白い」って好意的に受け入れられている感覚があったので、「これなら大丈夫だろう」という感触はありました。もっとも、僕自身はMCに聞かれた質問に正直に答えただけなのに、なぜこんなに面白がってもらえているのか、よくわかりませんでしたが…。

メディアに登場する発達障害者はスティーブ・ジョブズやエジソンなど天才型タイプ

―「発達障害」という言葉は、近年メディアでもよく見かけるようになりました。

栗原 メディアに登場する発達障害者って、スティーブ・ジョブズやエジソンなど天才型のタイプですよね。あたかも発達障害者はみんな素晴らしい才能を持っているかのように美化されて描かれている印象があります。でも、実際には僕のように天才でもなんでもない人が大半だと思うんです。

「発達障害」とひとくくりにされがちですが、人によって障害の内容は全然違いますし、何が得意か不得意かも全く異なります。僕の場合は不注意性が強く、普通の人に比べると集中力が低くて記憶を定着させるのが難しい。さらに手先の不器用さや、物の位置が変わるのが許せないなど独特のこだわりが強い、などの症状があります。

―ご自身は、ADDだと診断されているわけですね。

栗原 はい。僕の昔の話をすると、例えば母に、学校行く直前にゴミ出しを頼まれて、ちゃんと聞いてはいるんですけど、いざ玄関を出る際、目の前にあったゴミ袋に全く目が留まらずに、ゴミを出し忘れて登校してしまった、ということが数えきれないぐらいありました。忘れ物や失くし物も多かったのですが、当時の僕には「自分が困っている」という認識はなかったんです。ただ、母は困っていたかもしれません。よく学校の先生から「この年齢でこういうことができないのは類くんだけです」とダメ出しをされていたようですし。

少年時代はアメリカと日本を行き来していましたが、アメリカでは習熟度が足りないという理由から小学1年生で留年していますし、日本の小中学校では先生から褒められた記憶がないですね。学習ノートもご覧の通り、いくら練習しても字を上手に書けなかったんです。日本だとノートをキレイに取ることが求められるのでキツかったですね。

当時の学習ノート。学習面での困難さ、LD(学習障害)もあったという。

―本書では、発達障害のような“見えない障害”に必要な支援を「眼鏡」に例えて説明しています。

栗原 僕は手先の不器用さもあって、本のページをめくるのもすごく時間がかかるので、アメリカの学校では僕だけ電子辞書を使わせてもらっていました。だけど日本では「みんなと同じやり方をしないと不公平だから、類くんだけ特別扱いはできない」という先生の考え方で電子辞書は使えなかったんです。

でも、今振り返って思えば、それこそ不公平ではないでしょうか? 僕は普通の子供に比べたら、紙の辞書を使うのが不得意だから、電子辞書を使うことで、やっとみんなと同じ土俵に立てるのに、みんなと同じレベルに立つ「機会の平等」を与えられていないわけですから。

―日本の教育現場には “みんなに合わせられないのは、努力が足りないからだ”という風潮が根強いのかもしれませんね。

栗原 でも、視力が弱い子供には、視力を良くする努力はさせませんよね? 眼鏡やコンタクトレンズなどの補う道具を使えばいい、ということになっています。アメリカでは、発達障害で学習が困難な子供はスマートフォンやタブレット端末を使ってもいいんです。日本の教育現場でも、近眼の子供が眼鏡を使うような感覚でデジタル機器を使用することが当たり前になってほしいですね。

『ファインディング・ニモ』を観に行った時、自分の障害を知った

―話は変わりますが、そもそもご自身の発達障害を知ったのはいつですか?

栗原 8歳の時、当時住んでいたNYの教育委員会でADDだと診断されました。その際に母は「今すぐ告知する必要はない。本人が理解できるタイミングになったら伝えるべき」と言われていたそうです。母は母で、いつどのように告知するか、タイミングを見計らっていました。

―それで、どのようなタイミングで?

栗原 診断から1、2年経った頃に、母と一緒に映画『ファインディング・ニモ』を観に行った時のことです。僕が映画に登場する「ドリー」という魚を気に入って「ドリーって面白いね! すぐ忘れちゃうんだね」と喜んでいるのを見て、母は「告知するなら今しかない」と思ったみたいで。「あなたもそうなんだよ、ドリーと同じで長期記憶が苦手なんだよ」とひと言。それで、僕は自分の障害を知ったんです。

―子供心に障害の告知はショックだったのでは?

栗原 いいえ、早すぎるということはなく、僕にとってはベストなタイミングでした。本書では“ショックだった”と書きましたけど、ショックで悲しかった、というわけではないです。もちろん理解するのに時間はかかりましたが、自分自身の障害をマイナスに捉えたことは一度もありません。それは元々、自分に興味がなかったせいもありますけど…。

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「自分に興味がない」――この発言が意味するものは? 明日配信予定の後編では、過去の壮絶なイジメなど栗原さんの半生に迫りつつ、発達障害者が生きづらさを解消するにはどうすべきかについても語ってもらった。

◆後編⇒『“ネガティブモデル”栗原類の告白。地獄のようなイジメに「青春なんてクソ食らえ!」と思っていた』

●栗原類(Louis Kurihara)1994年東京生まれ。イギリス人の父と日本人の母(翻訳家の栗原泉さん)を持つ。8歳当時に住んでいたNYで発達障害の一種「ADD(注意欠陥障害)」と認定。“ネガティブタレント”のキャッチフレーズでおなじみだが、実は自分ではそう発言したことは一度もないという。現在はモデル・タレント・役者として活躍中。オフィシャルブログもチェック http://ameblo.jp/louiskurihara-ege/

※発達障害とは……症状の現れ方には個人差があるが、心や性格の問題ではなく、生まれつきの脳の機能障害。ASD(自閉症スペクトラム障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、ADD(注意欠陥障害)、LD(学習障害)などの総称。

『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(KADOKAWA、1200円+税)自伝の他に、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を持つ母の泉さん、主治医の高橋猛医師のへのインタビュー、芸能界で親交がある、ピース・又吉直樹さんとの対談も収録。ADDという発達障害の当事者である栗原さんが、なぜ輝ける場所をみつけられたのか?に迫った渾身の一冊。(C)KAYO UME

(取材・文/山口幸映  撮影/川村将貴)