「これ、どこまでが本当の話?」とツッコミたくなるような武勇伝の嵐【クリックして拡大】

『週刊プレイボーイ』50周年を記念して、創刊当時の喧騒を振り返る連続「タイムスリップ・ノンフィクション」――。

仕事にも遊びにも精通している男を「プレイボーイ」として位置づけ、当時の若者たちに新時代の教養を伝授しようとしていた『週プレ』は、当時から「男らしさ」の流行を追い続けていた。

海外の政治家に、新進気鋭の日本人レーサー、百戦錬磨の作家に、仁侠映画の大スター……。連載第4話となる今回は、創刊から間もない1960年代の『週プレ』を彩った「男が惚れる男」の系譜を解き明かす。

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初期の『週プレ』には、毎週の「プレイメイト」に負けず劣らず、多様な男性が登場する。共通するのはいずれも20代から30代の青年層に属している点だ。なんらかの形で読者の手本になるような人物が選ばれたと言えるだろう。

創刊3週目には、さっそく変わり種の「男」が登場した。当時南ベトナムの首相だったグエン・カオ・キだ。36歳。

「ベトナム戦争を心から楽しんでいる人間」(『週刊プレイボーイ』1966年3号)といううたい文句で始まる特集記事「戦闘機で銀座へ遊びに来た グエン・カオ・キ首相」は「南ベトナム最高のプレイボーイ」と呼ばれるキ首相のプライベートに焦点をあてている。

今のフィリピン大統領を思わせるような暴言癖があったらしく、「私が尊敬するのは、ヒトラーただひとりだ」「百万の南ベトナム人のために治安破壊者の1万人を殺すことぐらいなんでもない」といったキナ臭い発言が引用されているが、主題はあくまで女性関係と「プレイ」。

妻は美人スチュワーデスで、嫉妬に駆られた前夫人が機関銃を持ち出して彼女を撃ち殺そうとしたというエピソードや、首相就任前には自ら戦闘機を駆って来日し、銀座で飲んだことがあるといった武勇伝を紹介している。

総合評価としては、「本当のプレイボーイの印象からはだいぶ遠いよう」と、なかなか厳しい。が、「もっとも、それも無理はない。戦争とクーデターの連続の中に、プレイボーイ修行の場があるはずはない」としっかりフォローが入る。

M・M・カーンの、別次元のプレイぶり

その後も多様な男性像を紹介する特集記事は精力的につくられ、1967年5号では世界五大富豪のひとり、アリ・カーンの一族であるM・M・カーンの、別次元のプレイぶりが紹介された。

その頃、東京農工大学に留学していたカーンは容姿端麗、頭脳明晰で超のつくほど金持ちという、絵に描いたようなプレイボーイ。「うまくカーンくんのワイフにおさまれば、コパカバーナ・ホステス第1の出世頭、デビ夫人に勝るとも劣らない玉の輿である」(『週刊プレイボーイ』1967年5号)などと、おいおい、読者の大半は男だぜ、と突っ込みたくなる記述が出てくるほどのセレブ青年だ。

彼くらいのスケールになると嫌味ですらなくなる半面、一般の読者には、男を磨く参考にしづらいところがあるかもしれない。

これらの人物特集記事には芸能ゴシップ記事に通じる要素がある。これは当時の『週プレ』に芸能誌『週刊明星』上がりの人間が多くいたことと無関係ではなさそうだ。

新人の島地勝彦を弟分のようにかわいがり、イチから育てたエース記者・大西庸弘は、まさにその『週刊明星』でスクープの速射砲となって活躍した人物である。新雑誌企画室に来る直前には、人気俳優・大川橋蔵の結婚スクープを置き土産にしていた。

大西自身も俳優顔負けの二枚目だったが、この先輩にあらゆる面で尊敬のまなざしを向ける島地は、その端正な横顔に、長年の芸能記者生活が投げかけたかすかな陰を見逃してはいなかった。

「大西さんは、なにがうまいって要するに芸能人と仲良くなるのがうまかったんだ。大川橋蔵とも親友のような間柄になったから、話を簡単に聞き出せる。そして最後には冷酷にスクープするわけだから、大変だよ。やっぱり良心の呵責があったんだろう」とふり返る。

その点、男の魅力を紹介する『週プレ』の記事では相手を裏切ることはない。微妙な「プレイボーイ」を祭り上げる際には、内心で冷笑することはあったかもしれないが。

「理想の青年像」という青い鳥を探す『週プレ』の旅は続く。

そんな創刊当時のタイムスリップ・ノンフィクションは発売中の『週刊プレイボーイ』45号で連載中! 是非ご覧いただきたい。

(取材・文/前川仁之)

■週刊プレイボーイ45号「創刊50周年記念タイムスリップ・ノンフィクション 第4話 プレイボ~イ男の見本市 1966~1969」より