10月5日、電撃提携でバイクファンを驚かせたホンダの青山真二取締役(左)とヤマハの渡部克明取締役。提携話は、ヤマハがホンダに持ちかけたことで実現した。もはや“お荷物”の50ccをホンダが供給してくれることで、トクをしたのはヤマハでは?の声も

ホンダとヤマハが50ccスクーターや電動2輪車などの原付1種(原1)で提携することを発表した。かつてはHY戦争と呼ばれる熾烈な販売合戦を繰り広げた両社の協業には驚きの声が上がる。

だが、その裏には50ccから撤退したいメーカーの思惑があるという。“気軽な足”として親しまれてきた原チャリが消えてしまうのか?

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■業界でささやかれる50cc撤退論

50ccクラスで業務提携する柱は3つ。まず、ホンダのスクーター「タクト」「ジョルノ」をベースとしたモデルをヤマハに提供(OEM供給)し、2018年中に「ジョグ」「ビーノ」として販売する。

次に、両社のビジネススクーターの次期モデルを共同開発する。さらには、電動2輪車分野でも協業を検討するという。両社は来年3月をメドに正式契約を結ぶ予定だ。

ヤマハに供給するのは、タクトとジョルノの2機種。それぞれジョグ、ビーノのブランドで販売する予定。製造はホンダの熊本製作所で行なう HONDA TACT

HONDA Giorno

ホンダとヤマハといえば、今から30年以上前に勃発した「HY戦争」が有名だ。

「それまで原付といえばスーパーカブぐらいしかなかったところに、ホンダが6万円で買えるファミリーバイク『ロードパル(ラッタッタ)』を出してヒットを飛ばしました。するとヤマハは足をそろえて乗れるスクーター『パッソル』を発売してこちらも主婦層に大ヒット。トップの座を走っていたホンダの背中が見えるところまで追い上げました」(当時を知る業界関係者A氏)

これで気を良くしたヤマハは一大攻勢に出る。

「ヤマハの小池久雄社長は今がチャンスとばかりに打倒ホンダを宣言。ホンダもそれを受けて立ち一騎打ちに。お互いヒトとカネをつぎ込んで続々とニューモデルを登場させ、定価の半額以下で売るなど激しい安売り合戦が行なわれたのです。ホンダ車を買うと50ccがオマケでついてきた、なんて話もありました」(A氏)

泥沼化した販売競争は3年以上続いたが、アメリカ市場の冷え込みが影響して2社とも大量在庫を抱えることに。1983年、倒産の危機に陥ったヤマハはホンダに敗北宣言をし、手打ちとなった。こうした両社の因縁を知る人にとって、今回の提携は時代の移り変わりを感じさせるのだ。 だが、これは単なる50ccの提携話ではないとバイクジャーナリストのモリヒサシ氏は言う。

「国内の2輪車市場は落ち込みが止まらず、ピークだった82年の328万台から昨年は40万台を割り込んでいる。なかでも50ccは各種規制の影響もあって市場が先細りし、苦境に立たされています。当面の狙いはOEM供給による生産コストと共同開発による開発コストの低減ですが、本音としてはどこかで50ccに見切りをつけたいと考えている。今回の提携はそのきっかけになるかもしれません」

YAMAHA JOG

YAMAHA Vino

造れば造るほど赤字になるのでやめたいのが本音

若者はもちろん、そば屋の出前まで幅広く使われる50ccバイクがなくなるとは信じ難い話。10月5日のホンダとヤマハの会見でも、ホンダの青山真二取締役は「原付1種はバイクへのエントリーとして重要なカテゴリー」という趣旨の発言をしていた。

だが取材を進めると、どうやら2輪業界には確かに50cc撤退論があり、青山氏のコメントは「表向き」にすぎないらしい。大手2輪メーカーの幹部B氏が語る。

「2輪メーカーはどこも原1に限界を感じています。それはこのカテゴリーがガラパゴス化していて、開発、生産を続けるメリットがないからです」

どういうことなのか?

「原1は欧州にわずかに市場がありますが、基本的に国内でしか売れない。海外は基本的に国内で原付2種(原2)と呼ばれる125ccがエントリーモデルで、50ccのカテゴリーがないからです。モノはたくさん造れば造るほど生産コストが下がりますが、50ccはそれが成立しません」(B氏)

今回の提携は必然だったわけだ。

「少子化に加え、バイクの“3ない運動”(高校生に『免許を取らせない』『買わせない』『運転させない』という運動)の広がりなどで若者の2輪離れが進むなか、排ガス規制は厳しくなる一方なため開発コストはかさみ、50ccの価格を押し上げています。

原1は本来、庶民の安価で手軽な移動手段。それが以前と比べて魅力のない乗り物になってしまった。メーカーとしても、造れば造るほど赤字になるのでやめたいのが本音だが、社会的責任もあってそこまで踏み込めない」(B氏)

確かに、今や50ccスクーターの価格は最安モデルでも15万円台から。高いモデルだと25万円ぐらいする。パッソル時代の6万円台からすると3倍以上だ。それに排ガス規制の強化はエンジンの出力低下に直結する。そこに従来からの法規制もネックになっている。うっかり時速30キロをオーバーしたり、交差点で面倒な2段階右折を忘れたりしたら、安くない反則金を払わなければならないのだ。

当然、販売台数も大きく落ち込んでいる。98年には74万台を超えていたが、昨年は19万台に。51cc以上のバイクと比べ、その落ち込み率はデカい。

理想は免許制度を改正すること

■125cc免許取得簡素化の動き

なるほど、メーカーが苦しいのはわかった。だが現役の50cc利用者はすごく困るのでは? 前出のB氏が続ける。

「そこでメーカーとしては、50ccの代わりに125ccのスクーターへシフトさせたいのです。125ccは、50ccのような道交法上の規制も少なく、交通の流れにスムーズに乗れる機動性を備えています。ふたり乗りもできるし、都市部での通勤・通学や地方での移動にも使い勝手のいいモビリティです。さらに税金や諸費用、実燃費も原1と大きな差はありません」

だが、125ccは原2免許(小型限定免許)がないと乗れない。AT限定免許でも、教習所での取得期間は実質1週間から3週間かかる。費用はすでに普通免許を持っている人で8万円ほど。なければ倍近くかかる。それと比べて原1の免許は取るのも簡単だし、何より普通免許で乗れてしまう手軽さが利点だ。

「そこで業界は、原2免許の取得を簡素化する要望を関係機関に出しているのです。理想は、普通免許で125ccまで乗れるように免許制度を改正すること。そうすれば利用者、2輪メーカーともに大きなメリットがあります」(B氏)

つまりメーカーとしては、50ccスクーターのユーザーが、そのまま125ccへ移行できる環境をつくりたいということだ。現に、日本自動車工業会(自工会)は2010年から、原2免許取得の負担軽減を広く世間にPR。その2年後には、警察庁に免許取得の負担軽減の要望を出している。

「2014年に自工会や2輪関連団体などで製作した『2輪車産業政策ロードマップ』の中でも、原2種免許の取得簡便化を取り上げています。具体的には取得時間を短縮するために教習所で使うシミュレーターを簡易タイプにすることを警察庁に提案したり、自民党2輪車問題対策プロジェクトチームで議論をしてもらっています」(自工会広報室)

免許取得日数の短期化を目指す

これに呼応する動きも起きている。メーカーを所管する経済産業省自動車課の課長は、今年9月に神戸市で開かれた「第4回BIKE LOVEFORUM」でこう述べた。

「排気量125ccの免許取得を今までより簡単にする取り組みにチャレンジしたい」

発言の狙いを経産省の担当者に確認すると、免許取得日数の短期化を目指すもので、普通免許で原付2種が乗れる話ではないという。だが、海外同様に国内でも125ccをエントリーモデルとしたい2輪業界の要望は承知しているとして、「産業振興のために経産省として警察庁に相談できるものはしていく」と、2輪メーカーを援護する姿勢だ。

考えてみれば、原1と同様、日本独自の規格を持つ軽自動車は、76年に排気量が360ccから550ccに、90年には660ccまで引き上げられたことで普及し、燃費も安全性も向上した。一方で原付は44年間、制度の見直しが行なわれていない。それで規制ばかりが強化されたら、魅力が失われてしまうのは当然だ。

2017年8月末には国内第3次、そして2021年にはさらに厳しい第4次排ガス規制(欧州ユーロ5に相当)が導入され、「原1の開発コストはますます高くなり、今の価格を維持するのも難しくなる」(B氏)という。50ccがバイク市場から消える日はそう遠くないのかもしれない。

今回の提携発表は「もう50ccは限界だ!」という2輪メーカーの叫びにも聞こえる。日本に快適なバイク環境をつくっていくためにも、行政と警察による規制の見直しは、もう、待ったなしの段階にきていると思うのだが……。

実際に125ccと50ccを乗り比べ!

■125ccと50ccを乗り比べてみた!!

ホンダのPCX125(左)とスズキのアドレスV50 で浅草から渋谷まで往復

ストレスと危険! 50ccで都心を走行

実際のところ、50ccと125ccではどの程度走りが違うのか。ホンダのPCX125とスズキのアドレスV50で試してみた。

日曜の午後3時過ぎ、東京・浅草をヨーイドンでスタートし、どちらが渋谷駅まで早く着くか競走する。距離は約13km。すり抜けはせず、50ccは30キロの制限速度を守る条件だ。

アドレスにまたがる記者が、車の流れに乗って走るPCXの友人の背中を見られたのはスタートから少しの間。すぐに離された。時速30キロでは車にあおられて怖いため、左車線の左端をおとなしく走るしかない。

昭和通りに出れば信号知らずのアンダーパスもあるし、少しは差を縮められるかと思いきや、50ccは進入禁止。ここでもさらに差をつけられてしまった。

そのまま銀座8丁目まで行くと、新橋方面に向かうために5車線ある道の左端から右側2車線に移動しなければならない。だが、ビュンビュンと車が走るなか、30キロで車線変更を繰り返すのは無謀にさえ思えてくる。せめて制限速度が40キロならなんとかなるのだが……。

外堀通りを経由して六本木通りに入ってしばらく走ると、信号をかわせる高架が見えてくる。だが、ここでも左端から進入するのは至難の業。そもそも50ccが通行できるかどうかの標識が見えたのは入り口直前。確認したときにはすでに遅く、トロトロと側道を走る羽目になった。

渋谷駅まであと少し。だが、駅前に出る直前、国道246と明治通りの大きな交差点では2段階右折が待っていた。ウインカーを右に出しながら直進して向かいの交差点で止まる。しばらく信号が変わるのを待って明治通りに入る。これも時間のロスだ。

駅前に着くと友人がPCXの横で「遅いよ!」という顔をして待っていた。聞くと15分前に着いたという。帰りはバイクを交換して浅草まで戻る。125ccは交通の流れに乗るには十分すぎるパワーがあり、なんのストレスもなくスイスイと進む。アドレスより20分早く着いた。

結論。50ccで制限速度を守りながら都心を走るのはかなりのストレスと危険を感じる。その一方、125ccは車と同じ感覚で安心して走れるので断然、快適だ!

(取材・文・撮影/桐島 瞬 撮影/村上宗一郎)