涙あり、笑いありの日本シリーズ・伝説の瞬間をプレイバック!

プロ野球・日本シリーズでこの50年に起きた伝説の瞬間をふり返るシリーズ。

時代は昭和から平成へと移り、世の中の価値観も多様化する。球界でも巨人中心から12球団すべてが主役となり熱狂は全国各地へと広がっていった。【熱狂!平成編1】に続く第2弾!

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【2000 巨人vsダイエー】 ミレニアムイヤーに球界の2大巨星がついに相まみえた 夢の“ON監督対決”は長嶋巨人に軍配

20世記の終わりを告げるミレニアムイヤーに、長嶋茂雄と王貞治という、日本プロ野球を象徴するふたりによる夢の対決が実現した。

1999年に日本一になった王監督のダイエーは、シーズン序盤に扇の要である城島健司を故障で欠いたとはいえ、充実した戦力で翌2000年もパ・リーグを制覇した。

一方の巨人は、長嶋監督がFAで移籍した江藤智(あきら)に背番号「33」を譲り、現役時代の「3」を再び背負ったシーズン。ペナントレースは夏場から独走し、9月24日の中日戦で二岡智宏がサヨナラ本塁打を放って、ド派手に優勝を決めていた。

お互いに満を持してぶつかった「ON対決」。先手を取ったのは、ダイエーだった。東京ドームで開幕した第1戦は、この年FAでダイエーから巨人に移籍した工藤公康が古巣相手に先発。前年まで工藤を師匠と慕った城島や松中信彦が恩返しの一発を放って勝利すると、続く第2戦もダイエーが連勝して優位に立つ。

ところが、いつもと勝手の違う「移動日なし」で行なわれた福岡ドームの第3戦で風向きが変わる。この変則日程は、ダイエー側の手違いで、日本脳神経外科学会の日程とダブルブッキングしたことで生じたものだ。

慌ただしく移動しながら、長嶋監督は打線を組み換え、シーズン中から5番だった清原和博を3番へ。3番の高橋由伸を6番に配した。

すると、巨人は14安打9得点で快勝。2日間の休養日を経て再開した次の3連戦は、第4戦で斎藤雅樹、第5戦で高橋尚成(ひさのり)が好投して王手。迎えた第6戦は、不動の4番・松井秀喜がシリーズ3本目となる2ランを放ち、「ON対決」は長嶋監督に軍配が上がった。

中日・山井、幻のパーフェクトゲーム

【2007 中日vs日本ハム】 オレ流“非情采配”も岩瀬リリーフで中日が53年ぶり日本一 山井、幻のパーフェクトゲーム

ペナントレース2位からクライマックスシリーズを勝ち上がった中日と、リーグ連覇で2年連続日本一を目指す日本ハムとの対戦。

前年と同カードとなった戦いは、第1戦でダルビッシュ有のシリーズ最多タイ13奪三振の好投で日本ハムが先勝した。

しかし、日本ハムはここから打線が沈黙し、まさかの4連敗。前年とはまったく逆のパターンで中日が1954年以来、実に53年ぶりとなる日本一に輝いた。

このシリーズで大きな話題となったのが、中日が王手をかけた第5戦。初戦で完璧な投球を見せたダルビッシュの投球に注目が集まるなか、中日先発の山井大介が一世一代の快投を披露。持ち味のスピンの効いたストレートと大きく曲がるスライダーで日本ハム打線を翻弄し、8回終了までひとりの走者も許さぬパーフェクトピッチングを展開していた。

そして、あと1イニングを抑えれば、日本シリーズ史上初の完全試合達成となる9回――。

ここで、落合監督はどよめくスタンドに目もくれず球審にまさかの交代を告げ、リリーフエースの岩瀬仁紀(ひとき)がマウンドへ。岩瀬はいつもどおり後続を3人で抑え、継投による完全試合を達成して中日は日本一となったが、この継投策が「非情采配」などといわれ、オフになっても議論を呼んだ。

また、このシリーズでは、中村紀洋がMVPを受賞。前年オフに契約がこじれてオリックスを退団し、育成契約から出直してきた男が、日本シリーズで18打数8安打と爆発。「拾ってくれたドラゴンズに恩返しができた」と涙ながらに語った姿も記憶に残った。

ついに起きた史上最大の下克上!

【2010 ロッテvs中日】 CSを勝ち上がったロッテがシーズン3位から日本一に ついに起きた史上最大の下克上!

言い出しっぺは、里崎智也だった。「史上最大の下克上を見せる」――。2010年のシーズンは、背中の故障で戦線を離脱していたが、クライマックスシリーズで復帰すると、勝負どころで得点につなげるヒットを連発して、ぶち上げたアドバルーンである。

この年のロッテは、確かに土壇場の連続だった。シーズン4位からひとつでも負ければBクラスが決まるところで3連勝して3位に滑り込み、西武を破って1位ソフトバンクに挑んだクライマックスシリーズでも、「あとひとつ負けたらおしまい」という状況から3連勝して日本シリーズ出場を決めていた。

一方のセ・リーグは、落合博満監督の中日が、巨人、阪神との混戦を制してシリーズへ。チェン・ウェイン(現・マーリンズ)と吉見一起(かずき)の2本柱に、鉄腕クローザーの岩瀬仁紀が42セーブと健在。そして、セットアッパーとして成長著しいイケメン右腕・浅尾拓也が47ホールドと大車輪の活躍で、中日らしい守備のチームを形成していた。

そんなロッテと中日の激突は、第5戦まで交互に勝利する五分の展開。第1戦で先勝したロッテが3勝2敗で王手をかけて第6戦に臨んだ。

ところが、この試合が2-2のまま動かず、延長15回引き分け。試合時間5時間43分の日本シリーズ史上最長試合となる。

さらに、翌日の第7戦も延長戦へ突入。いつまで続くのか誰も読めないまま進んだ12回表。ロッテがすでに4イニング目に入っていた浅尾を攻略し、小兵・岡田幸文(よしふみ)の三塁打でついに勝ち越す。その裏の最後のゴロをショート・西岡剛がさばいてゲームセット。レギュラーシーズン3位からの「史上最大の下克上」は、ここに完結した。

だが、ひとつ忘れてはならないことが。ロッテは05年に日本一になったときも、2位からプレーオフで勝ち上がっており、1974年以来、42年間ペナントレースで勝率1位になっていない。これはもちろん12球団でワーストだ。正真正銘のリーグ優勝はいつになるか!?

昨日もマー君、今日もマー君

【2013 楽天vs巨人】 シーズンは24勝0敗、シリーズは160球完投から連投リリーフ 昨日もマー君、今日もマー君

東日本大震災から2年。クリネックススタジアム宮城(現・コボスタ宮城)も甚大な被害を受けたなか、地元・東北の希望の光だった楽天が日本一に輝いた。

快進撃を支えたのはシーズンで24勝0敗という神がかり的な投球を見せた「マー君」こと田中将大(現・ヤンキース)である。この田中に対して、前年日本一となった原辰徳監督の指揮する巨人がどう挑むのか? それが大きな焦点となった。

初戦は巨人が4投手のリレーを決めて完封勝利した後、第2戦で楽天は田中が先発。シーズン中から「無敗」のプレッシャーを受けながらも勝ち続け、クライマックスシリーズではリリーフ登板を果たすなど、大車輪の活躍でチームを鼓舞。このシリーズ2戦目でも巨人打線を3安打、1失点に抑える好投で、楽天に流れを引き寄せた。

その後、楽天が3勝2敗として王手をかけて迎えた第6戦で、田中が再び先発マウンドへ。だが、この試合は巨人打線が12安打と意地を見せ、4-2で勝利。このシーズン初となる黒星を田中につけて逆王手をかけた。

そして、いよいよ最終第7戦。楽天は、このシリーズでMVPを受賞する美馬学(みま・まなぶ)の好投もあり、3-0とリードしたまま、試合は最終9回へ。すると、前日160球完投をしていた田中がマウンドに向かう姿が―。

この起用は、海を越えたアメリカでも話題となったが、星野監督は後に本人の志願登板であったことを明かしている。

結果は2安打を許すも、最後は矢野謙次を空振り三振に仕留めてゲームセット。「マー君」は、この連投を置き土産に、翌年、メジャーリーグへ巣立っていった。

さらに、まだまだある、平成の熱狂シーンは……【1998 横浜vs西武】 大魔神、ローズで38年ぶりV大砲不在も鈴木尚典(たかのり)、ロバート・ローズら打ちだすと止まらぬマシンガン打線と、“ハマの大魔神”佐々木主浩(かづひろ)を抑えに擁する横浜が38年ぶりにセ・リーグ制覇。その勢いで2年連続シリーズ出場の西武を破り日本一に。ハマが沸いた!

【2003 ダイエーvs阪神】 全試合、ホームチームが勝利星野仙一監督の「勝ちたいんや」を合言葉に18年ぶり優勝の阪神と、松中信彦、城島健司ら「100打点カルテット」がそろうダイエーが対決。お互い本拠地でのみ勝利するという“内弁慶”シリーズはダイエーに軍配が上がった。

【2006 日本ハムvs中日】 北海道歓喜、シンジラレナーイ!北海道に本拠地移転後、日本ハムが初のシリーズ出場。中日を下して日本一に。“稲葉ジャンプ”が札幌ドームを揺るがし、ヒルマン監督の名言「シンジラレナーイ!」や、千両役者・新庄剛志の引退劇も大きな話題となった。

(文/キビタキビオ 谷上史朗 寺崎江月)