週プレNEWS TOP ニュース スポーツ ハマの番長・三浦大輔が語る「『俺は昔、横浜で25年投げてたんだぞ』って自慢できる。そんなチームになってきた」

ニュース

ハマの番長・三浦大輔が語る「『俺は昔、横浜で25年投げてたんだぞ』って自慢できる。そんなチームになってきた」

[2016年10月29日]

人気

ハマの番長・三浦大輔が25年間の現役生活を語った

今はなき横浜大洋ホエールズの最終戦で運命的にデビューした男は、暗黒時代と呼ばれた苦しい時代も、ただ横浜のために堂々と投げ続けた。そして初のCS出場、盛大な引退試合。“ハマの番長”・三浦大輔と横浜の物語。

* * *

「引退を発表してから、横浜の街全体で三浦大輔を送り出していただいて……本当に幸せ者です。成績を見たって、ここまでやってもらえる選手ではないですからね(笑)」

引退試合の数日後、三浦大輔はそう言って24年前の秋の日を思い出していた。

1992年10月7日。

横浜大洋ホエールズ最後の日に、ルーキーの三浦大輔は初登板を果たした。スタンドには大洋、そして引退するエース遠藤一彦の最後を惜しむファンが詰めかけたが、三浦には感傷に浸る暇はなかった。

「高校からドラフト6位で入って、周りにはすごい球を投げる投手がたくさんいる。球も遅い、体力もない自分がプロで生きるにはどうすればいいか。とにかく試合に出るために必死でした」

三浦は7回から打者6人を完璧に抑えてデビューを飾ると、そのまま試合後の遠藤の引退セレモニーを目撃する。スタンドからは万雷の拍手と涙まじりの声援が送られ、遠藤は盟友の齋藤明雄と抱き合い大粒の涙を流す。18歳の三浦の胸には熱いものが込み上げていた。

「このときの遠藤さんのセレモニー、そして翌年の明雄さんの引退セレモニーを見て、『いつかこんな引退試合をしてもらえる選手になろう』と思っていました」

若い頃は生き残ることに必死だった。当時の厳しい練習のなかで小谷正勝(こたに・ただかつ)コーチと共に自身の投球スタイルを築き上げていく一方、1年目のオフには髪型を代名詞のリーゼントにし、そろいのスーツのときでも靴下だけは赤いものをはくなど、人々の印象に残るようにとなんでもやった。

4年目の95年に先発ローテーションに入ると、97年には10勝。翌年には背番号を18に変更して12勝を挙げ、入団以来初の日本一に貢献した。

「ミスして先輩に怒られたり、いろいろなことがありましたけど、優勝した瞬間に選手、コーチ、裏方さん、皆が泣いて喜び合うんです。『優勝するってこんなにいいものか』と思えた年でした。連勝で登板が回ってくるプレッシャーもあるけど、そこで自分が勝って『よっしゃ! 次につないだよ』って。厳しかったけど、楽しい時代でしたね」

史上最強のマシンガン打線を擁するベイスターズには黄金時代が来るはずだった。しかし、現実には2005年の3位を最後に、最下位が指定席のチームに転落していく。


ジャンプ50周年展VRはこちら!

連載コラム

Column

連載コラムを見る

Back Number

  • Jun 4th 2O18 no.23
  • May 28th 2O18 no.22
  • May 21st 2O18 no.21
  • May 14th 2O18  no.19・2O

 

Gravure Gallery

もっと見る

MOVIE Channel

【動画】大原優乃、今年もグラビア界を席巻中!!

もっと見る

新刊のお知らせ

  • 浅田真央『また、この場所で』
  • 『週プレ グラビアスペシャル増刊GW2018』
  • 大原優乃『ゆうのだけ』
  • 小宮有紗『Majestic』
  • 飯豊まりえ『NO GAZPACHO』

 

メルマガ会員&アンケート 2018年No.23

メルマガ会員&アンケート グラビアスペシャル増刊GW2018