「今はリングに上がって試合するわけにはいかない、でもやっぱり何か伝えなくちゃいけない」と小橋さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、元WBA世界スーパーフェザー級チャンピオンの内山高志さんからご紹介いただいた第32回のゲストは元プロレスラーの小橋建太さん。

「絶対王者」としてプロレス界に君臨するも06年に腎臓がんが発覚し、長期欠場。翌年12月に奇跡の復活を果たすも、2013年に現役引退。その激しすぎる格闘人生を前回は闘病時の思いから語ってもらった

そもそも全日本入団時の経緯から“必要とされていなかった存在”で「前向きな劣等感しかなかった」と振り返るがーー(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―直談判して入門が叶ったと思いきや、話がまるで通ってなかったと。馬場さんらしいといえば…(苦笑)。何気なしにその気にさせて?

小橋 そうなんです。で、翌日に事務所行ったら、すごいカメラマンとか記者が待ってるんです。うわーすごいな、なんだろうと思って。そしたら記者が手招きするんですよ。で、僕にインタビューするわけです、いろんなことを。「どうですか、入門して?」とか。すごいなー、やっぱりプロの世界っていうのは、こんな新人にでもインタビューしたりするんだ、と思ったわけですよ。

そしたら、向こうも質問しながら「ん?」って首を傾(かし)げて。最後に写真撮らせてくれって言われて、ファイティングポーズとったんです。「どうもありがとうございました」って挨拶して、裸になって。

結局ですね、なんのことはない、その時に入門するって噂になってた田上(たうえ)明選手が全日本の事務所に来るんじゃないかってことで、みんな待ち構えていたらしいんですね。僕が大きいから間違えたって。向こうはお相撲さん(当時。十両で廃業)で全然違うじゃないかと思って。間違えるかよって(笑)。

―ははは、今となってはそれもネタというか伝説でしょうけど(苦笑)。そういう原点があって、何くそと負けん気で、絶対王者になっていったわけですね。

小橋 まぁ、怪我もありましたし、しんどかったですけど。過ぎてみれば、ああいうこともこういうこともあったなっていうような人生で。腎臓がんも10年で完治って最初言われて、10年何もなく腎臓のことだけを見て生きるのか、もし1、2年になっても自分のやりたいことを必死にやって、それで悔いなく終わるのがいいのかと。

どっちを選ぶのかと思った時に、やっぱり僕は僕らしく生きたいなと思ったんです。1、2年になるかもしれないけど、もしかして10年以上生きられるかもしれない。腎臓1コなくなってプロスポーツ、アスリートやってる人はいないわけですから。誰もやったことがないんですよね。

―復帰直後にインタビューさせていただいた時もそう仰ってました。

小橋 あぁ、そうですか。ですから、とにかくやってみよう、自分が辞めた後にこういうこともああいうこともあったなと振り返れるような人生でありたいなと。

―そういう1日1日の積み重ねで、先々を考えて守りに入るのでもなく、日々、一生懸命どう生きるかみたいな…。

小橋 そうですね、それが大きいですね。本当にいろんなことがあった40代でした。39歳でがんになって、復帰した時が40歳でしたけど、そこでインタビューされた時に「男は40からだ」と言ってるんですよね。けど、本当にいろんなことがあって、今もう49じゃないですか。編集長と40代最後の同級生ですよね(笑)。

「プロレスをやってるために必要だって…」

―私もあと2ヵ月です(笑)。正直、先ほどお話しした急性肝炎になった時、自分がこの歳まで生きるイメージもなかったですし。それこそ、いつ終わりだって言われてもいいような生き方はしたいなと。

実はその後、1学年上の先輩が26歳で亡くなったりもして。突然死だったんですが、常にいつ何時、そういうこともあるんだなと思い知らされて。それこそ、小橋さんにとっては三沢(光晴)さんもまさかという思い(試合中の事故死)があったはずですが。

小橋 そうですね。あの時は2009年だったんですけど、そういうことが起こるとは思わなかったですね。僕も広島で試合出場してたんですけど、体調があんまり良くなかったんで、終わった後、先にバスに乗って横になってたんですね。で、なかなか試合が終わらない、おかしいなって思ってたら、そのうち付き人が呼びにきて「三沢さんが…」って。本当に言葉にならないですね。

―あらためて、人生の後先で誰にどういう次が待っているか…。

小橋 本当に予測できない、何があるかわからない。だからそのためにも、あの時こうしておけばよかったなっていう人生は送りたくないなって、余計にね。やっぱり三沢さんの件もそうだし。あれだけ天才と言われた…でも、本当に事故なんですよね。だから、ん~…。

―そういう想いも共有しつつ、小橋さんの場合は闘病後の生き様をどう見せるか、伝える役割もあるのではと。それでファンが元気や活力を得られるような。

小橋 あのですね、スポーツをするには特に腎臓が大事らしいんです。で、先生に言われたのが、腎臓1コになっても、子供だったら残った1コで2コ分働くようになる、大きくなるんですよって。でもそれは子供の場合だけです、と。

―成長によって残りが大きくなろう、補おうとするけど、大人の場合はすでに出来上がった体だから…?

小橋 そう言われたんです。でもこの間、レントゲン撮ったら「これ腎臓です」って言われて、ちょっと肥大してるんです。大きくなんないって言ってたのに、なってるんですよ。

―それも奇跡的な…。常識じゃなく人間の体のリカバリー力ってすごいなという。

小橋 プロレスに戻って、その分、腎臓が補わないといけないと思ったのかもしれないし、ただ何もしなくて大きくなったわけじゃないと思うんですよね。やっぱりプロレスをやってるために必要だってなって…。まぁ、わからないんですけど。

―何か活性化された好影響もあるのかと思わせられますね。

小橋 ただ、やっぱり体は自分がベストだと思うところには戻らなかったですね。やれることはやったので、悔いはないですけど。やっぱ戻らなかったなって。

―でも、それこそこの夏のパラリンピックを観ても感嘆しましたが、何かを失って、それを補う機能や工夫でさらに尋常ではない高みに到達することが可能なんだと。そのために精一杯尽くす努力が報われるのではと…。

小橋 そうなんです。まさしくその通りだと思います。

「もし、自分が人生懸けるつもりでいれば…」

―その人間力というか、まさに小橋さんも共感される部分があるんじゃないかと。

小橋 いや~、本当にすごい。オリンピックもすごい感動しましたけど、パランリンピックを観て、人間が持つ力ってすごいなって余計に思いました。

だから僕も、腎臓1コ取ったら、体はもちろん戻せないじゃないですか? (手術後当時は)最初からみんなダメだってことで…。絶対診てもらったほうがいいって言われたんで、主治医とは別の腎臓だけを専門的に診る先生のところに1時間半かけて行ったんですよ。そしたら「復帰なんて考えないほうがいいよ」って。

僕はアミノ酸とかプロテインとか、筋肉をつけるために腎臓に負担をかけない方法はないかってことを相談乗ってほしかったんですけど。そんなことより「1日も早く引退して、やめたほうがいい」って言われたんです。もう、えー!?って。復帰するために寄り添ってくれるかってことを話し合いに行ってるのに…。

そんな経緯もあったとは。現実的によかれと思ってのことでも、何かもっと力添えしてもらえたらというね。

小橋 で、もう、腹立って…。僕、1回だけ復帰をしたかったんです。自分の気持ちにけじめをつけるため、これまで応援してくれたファンみんなの気持ちにけじめをつけるために1回でいいと。それをいつも言っていたんですけど…。

―でも逆にむらむらっと、これで諦めるわけにはいかない、絶対に復帰してやるという反骨に火を付けたのでは? それを覆(くつがえ)して、もう1回という思いを実現させたわけで…。

武道館での復帰発表時は台風で大荒れだったんですよね。帰りの車の中で、なんの長蛇の列かと思ったら、自分の復帰戦のチケットを申し込むファンの行列だったという。

小橋 そうなんですよ。よく覚えてもらってますね(笑)。大雨の中、すごい列が並んでて、日本テレビの人に「なんの列?」って言ったんです。そしたら「あれ、小橋さんの復帰戦の…」って。えー!って。

―すごい奮い立ったというお話をされて。復帰戦後のインタビューで伺った中でも特に印象深いエピソードでした。

小橋 僕もすごいイメージ残ってますね。それもゆるい雨じゃないですからね、すごい強烈な雨の中を傘がズラ~って。いや~、やっぱり身が引き締まるというか、本当に感謝でした。

―そういう熱い思いがまた後押しして。復帰後、もちろん満足のいく以前のパフォーマンスに戻らなかったとはいえ、引退まで5年余りリングに上がり続けました。

小橋 1回だけと思ってたのが、やっぱりもっとやりたいっていう思いが出てきたんですよ。でも、腎臓がんから復帰した人っていないですし、その後どういう状態になるかっていうのもわからないですよね。

復帰した後にいろんな故障も出てきて、古傷がひどくなったり。手術とか何回かしたんですけど、やっぱりふたつあったものが1コになって、体のバランスが悪くなるのかなって。で、最終的には首の故障がきっかけでしたね。僕の場合は元々、膝が悪かったり、体に負担をかけていたとかもあると思うんですけど。

まぁでも、復帰できないことはないんだよって示すことはできたのかなって。やっぱり、諦める気持ちが一番ダメなんだと。もし、自分が人生懸けるつもりでいれば、できないことはない。ただ、そこまで好きだっていうことがまず前提ですよね。そうじゃなかったらやめといたほうがいいと思うんです。

「実際、三沢さんは本望なのかなって…」

―では、最終的に引退を決めた時っていうのは、やり尽くした感なのか、これ以上、求められる自分のパフォーマンスを見せられないからという思いだったのか。あるいは、そろそろ第2の人生を考えたほうがいいんじゃないかとか…。

小橋 今、言われた3つのうち、第2の人生をもうそろそろっていうのは全くなかったですね。プロレスに命を懸けてたので。ただ、その首の手術をして力が入らなくなって、相当ひどい状態だったんです。もしなんかやって、首に衝撃がきた場合、首から下が動かなくなる。それでも僕はやりますって言ったんですけど…。

結局、骨盤のとこから骨を移植したんです。それで退院をして、リハビリを始めた頃ですかね、何かアクシデントでその骨盤にヒビが入って、セラミックが埋め込まれたところから割れちゃって、痛くて歩けなくなった。それが治って、またリハビリ始めたんですけど、なんかやっぱり違う。体が動かないんです。

で、「小橋建太、絶対できるできる、絶対できる!」っていう気持ちと競り合ってるんですけど、その肉体的な部分が戻んないっていうのがあって。ある日、できないっていうほうが強くなったので…。普通なら翌日またできるって思いが強くなるんですけど、できない、できない…これはもうリングに上がっちゃいけないんじゃないかと。

―気持ちが持ち直せなくなって、ファンが求めているものも見せられない、と。

小橋 もしリングで何かあったら、危険だと。何か衝撃があったら動かなくなると言われていたので、そういう状態で何かあれば、本当にプロレスに夢を持てなくなってしまう。ボロボロになって、動かなくなって終わってしまうのであれば、自分も小さい頃に憧れてプロレスに夢を見てきたものを、みんなが持てなくなるんじゃないかっていう。

―リング上で死ぬのが本望とはいえ、それこそ三沢さんの悲劇を繰り返すわけには…。

小橋 そうなんです。命を懸けられる人間は本望っていえば本望なんですけど。実際、三沢さんは本望なのかなって。ファンのみんなであったり、家族であったり…。

で、僕は引退した後に子供が生まれたんですよ。そんなことって、これまでのプロレス界でもないですよね、48でお父さんになるって。そこでやっぱり人生っていうのをまた考えるんですよ。

―それもまた生きてきてこそ、というか。やめてからの生き様、役割もあるでしょうし…。

小橋 そうなんですよ。やっぱり僕の師匠はジャイアント馬場さんなので、ずっと現役でやられて、現役のまま亡くなられたじゃないですか。そういうのを見てるんで、元々、プロレスから引退っていうのは頭になかったんです。

で、兄貴分の三沢さんもリングで亡くなって。自分が引退するっていう、その後の人生が頭に思い浮かばなかったんです。それまで全日本系の選手っていうのは引退試合もしっかりやってないですから。

―別の団体だと同じ人が何回か引退を繰り返したりもありますが(苦笑)。でも確かに全日系は最後、悲運というイメージがありますよね。

小橋 はい。だからこう引退試合をしっかりして、それを後輩に見せるっていうのも自分のやらなくちゃいけない仕事なのかなって思ったんですよね。

次回のお友達は、熱烈な“小橋愛”で知られる女優の…

―そして今は講演でも全国回られたり。自らの人生経験を伝える役割をされています。

小橋 はい。これまではリングでファンみんなと会話っていうんですかね、自分が喋るわけでもなく、試合を通じて肉体で僕の言葉を感じてもらったんですけど。今はリングに上がって試合するわけにはいかない、でもやっぱり何か伝えなくちゃいけないと。喋るのはあんまり得意じゃないんですけど。

―TVのバラエティ出演もそうですし、本来、喋るのは苦手なのに(笑)。

小橋 苦手なんですよ(苦笑)。でも、言葉しかないんですよね、伝えることができるのは。だからバラエティ的なものじゃなくても、講演で真面目な話をしたりとか、そういう練習だったらできるんじゃないかと。話ができる材料があっても、なかなか60分、90分とか話せないですけどね。

―こういう対談とも違いますしね。以前にインタビューさせていただいた時は、復帰直後で1時間の予定だったのが2時間近く喋っていただいて。体調も心配でしたが、何事にも手を抜かないというか。感激しましたもん。

小橋 いやいや、なんか今日もですけど、それはたぶん編集長が話しやすいからですよ(笑)。でも、今まで引退した後に講演活動やってるプロレスラーっていうのもあまり聞かないですよね。

やっぱり人がやらないことをチャレンジしないと、新しいものが拓(ひら)けていかないのかなと。プロレスを引退したら終わりではないので、そこから新しい人生を始めないといけないなと思って。そしたら子供もできて、余計にそういう思いが強くなりましたし。

―では、またこれから子育て論的な講演もできますね。

小橋 いや~、それは難しいです(苦笑)。

―歳を取ってからの子供は尚更かわいいと言われますけど、やっぱり子煩悩な親ばかになりそうですか?(笑)

小橋 そうですね、かわいがりますね。ただ、厳しいところは厳しくしないと、逆にそうやって歳いってからできた子供なんでって言われるのもイヤじゃないですか。やっぱり礼儀はちゃんとできてとか、そういう大人になってほしいですね。

―甘やかすだけではないと(笑)。…また今日も予定の時間をオーバーしていろいろお話させていただきましたが、小橋さんの変わらない人柄をあらためて実感できました。

小橋 いや、ほんと編集長が話すのうまいからですよ。さすがですよねぇ。

いやいや…そう言っていただけると嬉しいですけど(笑)。次のお友達は元AKB48の倉持明日香さんということですが、以前から小橋さんの大ファンで交流があるとか。

小橋 はい。またお会いできる日を楽しみにしていますと伝えておいてください。お互い頑張りましょう! 『いくぞー』!!

―(笑)了解です。本当に長い時間ありがとうございました!

語っていいとも! 第33回ゲスト・倉持明日香「野球が好きか嫌いかなんて、倉持家では愚問すぎて…」

(撮影/塔下智士)

●小橋建太1967年3月27日生まれ、京都府福知山市出身。元プロレスラー。1985年、高校卒業後に就職するも、プロレスラーになるために87年に退職。全日本プロレスへ入団する。その後、東京スポーツ主催のプロレス大賞、日刊スポーツの読者が選ぶMVPなど受賞。2000年のノア創設を機に、本名の健太から「建太」に改名。移籍後も「絶対王者」と呼ばれる活躍を見せたが、06年に腎臓がんが発覚し、長期欠場。翌年、546日ぶりに日本武道館で復活。2013年に現役を退く。引退後は講演会、バラエティ番組出演など多方面で活躍中。