「『人生は晴れと雨が半々なんだ』と思えば、いつか必ず雨はやむし、晴れの日がやって来るって感じられると思うんです」と語る柚月裕子さん

悪徳警官を主人公に据えた『孤狼(ころう)の血』で今春、第69回推理作家協会賞を受賞した柚月裕子さん。

待望の最新長編『慈雨』は、かつて自分は真実から「逃げた」と後悔の念を抱く、元警察官の神場智則が主人公だ。

冤罪を巡る骨太な人間ドラマは、これまでの作品以上に重たく暗い。けれど、物語の終着地で現れる光景はこれまで以上に優しく輝いていた。

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―群馬県警を定年退職した神場は、四国八十八カ所巡礼のお遍路の旅に出ています。同行する妻には「自分が関わった事件の被害者の供養のため」とお遍路の理由を説明しますが、本当の目的は任官中に犯したある過ちを悔いてのことでした。重たいスタートです。

柚月 夫婦水入らずの旅行なのにひとりでただウツウツと思い悩んでるおやじなんですけどね、奥さんから見れば(笑)。でも、神場は今回の旅を通して、これから先の人生をどう過ごしていくか真摯(しんし)に考え、悩み続けている。

お遍路で回る八十八カ所のお寺には、それぞれに謂(いわ)れがあるんですよ。例えば、七番札所の「十楽寺」は「人間が持つ八つの苦しみを逃れて、極楽浄土の十の楽しみを得られるように」という意味で名前がつけられています。

そして、それを知った神場は「八つの苦しみ」のほうに思いをはせて、刑事だった自分の過去や当時の葛藤(かっとう)や苦しみと向き合っていく。われながら、いい舞台設定を選んだんじゃないかなと思うんですが、どうでしょう(笑)。

―四国の山の風景がスイッチになり、16年前に群馬の山中で発見した幼女の殺害死体を神場は思い出していきます。当時、犯人を逮捕し刑務所に送りましたが、神場は「冤罪ではなかったのか?」という疑念を拭(ぬぐ)い去れずにいた。一方、かつての古巣で殺害方法が16年前の事件と酷似した新たな幼女殺害事件が発生します。同一犯なのではないか、だとしたら…とストーリーは進んでいきます。

柚月 この小説は16年前に起きた事件といま現在の事件、ふたつの事件を軸に進んでいきます。もちろん、「真犯人は誰か?」というミステリーの部分は大事にしていますが、それ以上に書きたかったのは、神場がかつて犯した過ちとどう向き合い、どうケリをつけて生き直していけるのか?ということでした。

過ちを犯したことのない人間なんて、どこにもいないと思うんですよ。だとしたら、神場が過ちを嘆いて悩んでもがいている姿は、読者の皆さんにとっても何かしらの手がかりになるんじゃないかなと思うんです。

諦めなければ、生き直すチャンスはきっとつかめる

―生き直す、という言葉がとても新鮮に感じました。その言葉を、柚月さんはどんなタイミングでつかんだんでしょうか?

柚月 私は今年で48歳になりましたけれども、その48年のなかで自分自身も「生き直す」ような経験をしていますし、そういう経験をした方も知っています。

例えば、大切な人を突如亡くされた人がいました。そこから一歩どころか、半歩踏み出すまでどれくらい時間がかかるのか、最初はまったくわからなかった。でも、その人がなんとか踏み出し、立ち直っていくまでの姿をそばで見させていただいたときに、「人間ってすごいな」と思ったんです。弱いようでとっても強い。

その姿を見たときに、私は人間が好きだ、と思ったんです。この小説の中で神場は大きな決断をしますが、諦めなければ、生き直すチャンスはきっとつかめる。私自身、そう信じているんです。

―小説ってすごいですよね。神場が「生き直す」姿を間近で目撃させてもらえるんですから。

柚月 そばにいる妻の香代子は大変ですけどねぇ。

―ですよね(笑)。でも、彼女は神場についていく。妻の側の決断を描くシーンは、屈指の名シーンだと思いました。個人的には「結婚っていいな!」と思ったり…。

柚月 けっこう大変ですよ? 結婚と恋愛って、移住と旅行でたとえられると思うんですよ。例えば、アメリカに旅行で遊びに行くとする。食べ物も違うし文化も違うけど、旅行ならその違いを楽しんで帰ってこれる。でも移住となると、その違いを日常として暮らさないといけないわけですから、楽しい、だけのはずがない(笑)。

―なるほど(笑)。

柚月 ただ、命の尊さを小説で書きたいと思ったら、命のはかなさを知らなければ描けないし、恋愛の素晴らしさを小説で書きたかったら、恋愛のつらさも知らなければ描けない。光と影の部分を両方知らないと、物語って描けないと思うんですよね。

そういう意味では、私は結婚の大変さを知っています(笑)。だからこそ、「結婚っていいな」と思えるものを描けているのかもしれませんね。

いいも悪いも、物事に意味づけをするのは自分

―ところで、タイトルにも「雨」の一語が入っていますが、全編で雨の比喩が絶妙に利いていますよね。

柚月 この小説を書くために四国へ取材しに行った日が、たまたま大型台風直撃の日だったんです。私は東北生まれ東北育ちで、もちろん東北にも台風はやって来るんですけど、だいたいは勢力が弱まった状態なんですよね。西のほうの、勢力が強いままの台風って経験したことがなかったから、相当衝撃だったんです。

そのパワーになんとなく惹きつけられて、雨というモチーフを作品に使いたいと思いました。冒頭から雨のシーンで入って、旅の途中でも雨が降り、最後も雨のシーンです。言葉にすると同じ「雨」でも、神場の心理状態によっては厳しい雨だと感じたり、包み込んでくれるような優しい雨だと感じたりする。

いいも悪いも、物事に意味づけをするのは自分なんですよね。雨だって、意味づけ次第で感じ方が違ってくる。例えば農業をやっている方は、晴れが続いた後に降る雨を「恵みの雨」と言いますよね。

―お遍路の途中で、神場たちに「お接待」をしてくれたおばあちゃんの言葉が印象的でした。「ずっと晴れとっても、人生はようないんよ。日照りが続いたら干ばつになるんやし、雨が続いたら洪水になりよるけんね。晴れの日と雨の日が、おんなじくらいがちょうどええんよ」と。

柚月 まさにその言葉に、この小説で書きたかったことが凝縮されていると思います。年を重ねていくと、「これは絶対乗り越えられない」って感じるようなことが出てくるんですね。でも、「人生は晴れと雨が半々なんだ」と思えば、いつか必ず雨はやむし、晴れの日がやって来るって感じられると思うんです。

●柚月裕子(ゆずき・ゆうこ)1968年生まれ、岩手県出身、山形県在住。2007年『待ち人』で山新文学賞入選・天賞受賞。08年『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞受賞。16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。著書に『最後の証人』『検事の死命』『パレートの誤算』『ウツボカズラの甘い息』『あしたの君へ』など。骨太な男たちの描写が光るミステリーの書き手として注目されている

■『慈雨』 集英社 1600円+税警察を定年退職した神場智則は、妻の香代子とお遍路の旅に出た。道中、忘れられない事件の数々が脳裏に浮かび上がる。16年前に起きた幼女殺害事件では、DNA鑑定が決め手となった。だが、古巣の群馬県警管内で新たに起きた幼女殺害事件が、神場を揺さぶる。16年前の事件と酷似しているのだ。犯人は一体!?

(取材・文/吉田大助 撮影/五十嵐和博)