「袴田事件」や「免田事件」の元死刑囚に会い、冤罪事件を取材したこともあるマックニール氏

日弁連は10月、「死刑廃止」を宣言した。しかし、犯罪被害者の家族やその支援団体からの反発は大きく、死刑を容認する世論は8割を超えるとされている。

多くの先進国で死刑制度の廃止が広まっている中、日本はアメリカと並んで制度を維持している数少ない国のひとつで、「死刑の是非」に関する議論もあまり高まっていない。

こうした現状を外国人ジャーナリストはどう見ているのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第53回は、1990年に死刑制度を全廃したアイルランド出身のデイビッド・マックニール氏に話を聞いた――。

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─マックニールさんは日本の死刑制度の現状をどう見ていますか?

マックニール 正直に言って、とても不思議に感じます。先進国の中で死刑制度を維持し、実際に死刑を執行し続けている国はアメリカと日本だけです。EUは「死刑禁止」が加盟の条件ですし、ヨーロッパのほぼすべての国が既に廃止しています。

─ちなみに今、「先進国の中ではアメリカと日本だけ」と言いましたが、中国やロシアは「先進国」に入っていないんですね?

マックニール ロシアはまだ死刑制度を維持していますが、現実には過去10年以上死刑を執行していないので「死刑制度を凍結している」という解釈が正しいと思います。中国はご存知の通り、今や「世界最大の死刑執行国」です。

日本の死刑制度で私が何よりも不思議なのは、近年、「袴田(はかまだ)事件」や「免田(めんだ)事件」などの再審で元死刑囚の冤罪が明らかになったにもかかわらず、死刑制度に関する議論すら高まっていないことです。

私は「袴田事件」で再審が認められた袴田巌(いわお)さん、「免田事件」で再審無罪が確定した免田栄さん、「狭山事件」で再審請求中の石川一雄さんに会って、冤罪事件に関する取材をしたことがあります。

これらの事件における共通点は、警察が自分たちの見立てや思い込みに基づいて容疑者を逮捕し、弁護士も立ち会わない状態で長時間の過酷な、時には拷問に近いような取り調べを行なった上で「自白」を強要していたことです。

そして、その自白を事実上、唯一の根拠としながら死刑を求刑し、容疑者が自白を取り下げたいと申し出ても全く無視される。容疑者の権利に対する配慮の欠如、透明性に欠ける取り調べ方法、あまりにも自白に依存した裁判の進め方が「冤罪事件」を生み出す大きな原因となっています。

その結果、本当は無実かもしれない人たちが死刑判決を受け、自分の刑がいつ執行されるのかもわからないまま、刑務所の中で何十年にもわたって「死の恐怖」に晒(さら)され続けるかもしれない…という可能性について、なぜこれほど無関心でいられるのでしょうか?

実際、袴田さんは30年以上もそうした「精神的拷問」に近い状況に置かれていたことで、精神に異常をきたしていて、私が会った時にも「自分はバッキンガム宮殿で生まれた」とか「あの袴田という人は」と、自分のことを別の誰かのように語っていた姿が印象的でした。なぜ、日本の政治やメディアはこうした問題を大きく取り上げ、国民的な議論をしようとしないのか本当に不思議でならないのです。

死刑制度は、凶悪犯罪の抑止力にはならない

─議論が広がらないどころか、むしろ「死刑制度の存続」を望む人の方が多数派だとも言われています。その理由はなんだと思いますか?

マックニール ひとつには、日本の社会が死刑の問題から目を背けていることがあると思います。これまで国連の人権委員会やEU、アムネスティ・インターナショナルなど、国際社会が様々な形で日本政府に対して死刑制度を廃止するように勧告していますが、日本人の多くはこの国が未だに死刑制度を維持していることが世界的に見ても特殊だということを知らないし、死刑の実態についてもほとんど知らないように思います。

また、法務省も死刑の実態を国民に知らせるのではなく、むしろ「秘密」の中に閉じ込めておこうという姿勢に見えます。民主党政権時代に、当時の法務大臣だった千葉景子さんが東京拘置所の死刑場をマスコミに公開したことがありましたが、ごく一部のメディアに限られていて、私たちのような外国メディアの取材申し入れは受け入れられませんでした。

千葉さん自身は長年、弁護士として死刑制度廃止を訴えてきた人でしたし、当時は彼女が法務大臣になったことで死刑制度を巡る状況は大きく変わるかと期待したのですが、実際には彼女も2件の死刑執行命令に署名し、自らも刑の執行に立ち会ったと言われています。死刑制度廃止を訴えていた人が大臣になっても状況が変わらなかったというのは、法務省が死刑廃止に対して極めて消極的なことを示しているように思います。

─しかし、千葉さん自身は多くの日本人に「死刑の問題について正面から向き合ってほしい」という意図で刑場を公開したのではないでしょうか?

マックニール そうだと思います。そこで問題になるのは日本人がなぜ「死刑制度存続」を支持しているのか? その根拠は本当に合理的なのか?という点です。

存続を支持する人の多くは「死刑があることによって、凶悪犯罪の抑止効果がある」と考えているようですが、既に多くのリサーチによって「死刑を廃止した国で凶悪犯罪が増加した」という事実はないことが明らかになっています。

またアメリカの世論調査によれば、死刑制度による犯罪抑止効果への懐疑的な見方が高まっていて、91年には41%でしたが、最近の調査では62%の人が「抑止にならないと思う」と答えています。

なぜ、ヨーロッパは死刑廃止を実現できたのか?

─ただ、「被害者の権利」や「被害者の家族の心情」を考慮して、死刑は存続すべきという声も多い。日本には昔から「かたき討ち」という考え方がありましたし、「命をもって罪を償う」ことが比較的受け入れられやすい土壌があるかもしれません。こうした文化的な違いもあるのではないでしょうか?

マックニール 問題は「被害者の権利」や「被害者の家族の心情」を大切にすることが、そのまま被告の命を奪うということに繋がるのか? そうやって人を殺すことが果たして法的、社会的に正当化され得るのかという議論になります。果たして死刑は「リベンジ」と同じなのか…。

また、「文化の違いだから仕方ない」というのは間違っていると思います。例えば1960年代に事実上、死刑執行を停止し、80年代に入って死刑制度を全廃したイギリスも、歴史的にはある意味「死刑が好きな国」で「大昔、ここであの人が処刑された」なんていう場所が有名な観光地になっていることも珍しくない。実際、死刑廃止が議論されていた当時も存続を望む国民の声は少なくありませんでした。

―では、なぜヨーロッパ諸国は死刑制度廃止を実現できたのでしょうか?

マックニール 国によって様々な背景がありますが、簡単に言えば、戦後、人権に関する様々な条約が生まれたことが挙げられます。そして死刑は貧困層や人種的マイノリティなどの弱者に偏って執行されてきたこともあった。もちろん、冤罪の問題も含まれます。

数年前には、ヨーロッパで作られた薬剤がアメリカで死刑執行に使われていたことが明らかになり、アメリカに使用停止を求めたこともありました。今、ヨーロッパでは「死刑制度の復活」を望む声はほとんどありませんし、欧州評議会やEUは加盟国に死刑廃止を課しているので、事実上、不可能です。

このように世界的に死刑廃止が進み「死刑制度の存続は文明国の基準として相応(ふさわ)しくない」という一定のコンセンサスが広がる中で、ヨーロッパ諸国は文化的な背景を乗り越え、政治が主体的なリーダーシップをとって国民的な議論を喚起し、廃止を実現してきたのです。

日本でも、まずは国民が「死刑の是非」に正面から向き合い、オープンな議論をすることが重要だと思います。しかし現実は、法務省は情報の開示に閉鎖的で、政治家もメディアもこの問題を大きく取り上げようとはしない。これだけ多くの冤罪事件が起きているのになぜなのか? 私はそのことが不思議でならないのです。

●デイビッド・マックニールアイルランド出身。東京大学大学院に留学した後、2000年に再来日し、英紙「エコノミスト」や「インデペンデント」に寄稿している

(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)