「日本のアラブ圏の事象の捉え方は欧米中心主義に偏っている」と語るエルカシュ・ナジーブ氏

ロシアが支援するアサド政権、アメリカが支援する反体制派、そしてIS(イスラム国)の三つ巴(どもえ)の戦いで激しい空爆に晒(さら)され続けているシリア。何百万人という難民がヨーロッパや周辺諸国に流入し、世界は混迷を極めている。

「週プレ外国人記者クラブ」第54回は、シリア人ジャーナリストのエルカシュ・ナジーブ氏が初登場。長く日本に住み、日本やアジアのニュースをアラブ諸国に発信する「リサーラ・メディア・プロダクション」を運営するナジーブ氏に、日本が果たすべき役割を聞いた――。

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―初登場ということで、まずは簡単な自己紹介と、日本に来た経緯を教えてください。

ナジーブ シリアの首都、ダマスカスで生まれました。叔父が著名な文化人で、私は幼い頃からアラブの詩を暗記・朗読させられたりしていました。言葉や表現することに興味を持ち、メディアの世界に入りました。ロンドンで映画製作を学んだ後、1997年に文部科学省の奨学金を得て来日し、東京大学や名古屋大学で映画理論を学びました。

それ以来、活動のベースはずっと日本です。ロンドンには人文系のアラブ人がたくさんいましたが、日本のアラブ人コミュニティでは少数。何人か架け橋の役割を果たす人はいますが、ほとんどがエンジニアで、私のような文科系は珍しいんです。

―そんなナジーブさんの目に、現在の世界はどう見えているのでしょう? シリア難民をはじめ多くの移民のヨーロッパへの流入は、ゲルマン民族の大移動のような1千年に1度レベルの歴史的大事件にも思えるのですが。

ナジーブ 1千年に1度というのは大袈裟かもしれませんが、100年に1度とは言えるでしょう。シリアを中心としたISや難民の問題を含め、現在、アラブ世界で起きている混乱の発端は、1918年に始まったトルコに対するアラブ革命にさかのぼることができます。

アラブ革命は、それまで表面的に統一のイスラム国家として存在していたオスマン帝国を解体し、ヨーロッパ的な近代化を目指して世俗主義国家・アラブ王国を樹立しました。

しかし、それは失敗だった。結果的にシリアも含めて旧オスマン帝国領だったイスラム圏はイギリスやフランスなどヨーロッパ列強によって分割統治されてしまいました。「統一のイスラム国家樹立」を掲げるISの台頭は、100年前に動いたアラブの非宗教的なナショナリズムの失敗と切り離して考えることはできません。

「ジャスミン革命」が最終的に成功するか重大な局面

―アラブ世界の側から見れば、100年前の状態への揺り戻しとも言えるのでしょうか。歴史や、現在の世界で起きていることはどの視点で捉(とら)えるかによって大きく見え方が変わってきますね。

ナジーブ 日本のアラブ圏の事象の捉え方は、欧米中心主義に偏(かたよ)っていますね。欧米中心主義の世界観でアラブ世界を見れば、日本にとっての関心事は石油の確保に集約されるでしょう。

一方、中国はアラブ・アフリカ諸国に積極的に援助を続けてきて、2015年に発足したAIIB(アジアインフラ投資銀行)は新たな「シルクロード経済圏」構想をも視野に入れたものです。欧米中心主義で世界を眺めていたのでは、シルクロード経済圏という発想は生まれないでしょう。

また、欧米中心主義の考え方では、エジプトがアラブ世界の中心と考えられており、日本もエジプトの大統領が来日した時、5年間で2500人の留学生受け入れを表明するなど重視しています。確かに地理的、人口的には中心ですが、現在のエジプトは格差社会が進み、賄賂が横行し、独裁政治に戻りつつある。現在のアラブ各国にとって、お手本とすべきはエジプトではないのです。

日本を含む国際社会が支援すべきはチュニジアです。今、チュニジアは深刻な経済的困難に苦しみながら、「ジャスミン革命」と呼ばれた民主化改革が最終的に成功するかどうかの重大な局面を迎えています。ジャスミン革命から始まった「アラブの春」が失敗に終われば、世界の混乱はさらに拍車がかかることになるでしょう。今、世界が支援すべきは、民主化の発信源であるチュニジアなのです。

─チュニジアがカギを握るという発想は、日本の視点からはなかなか生まれてきませんね。

ナジーブ 日本では、アラブ世界への理解があまりにも少ないと思います。例えば、多くの日本人はフランス料理ならプロヴァンスやブルターニュの違いを理解しているけれど、アラブ料理の話になると「アラブ料理」としか認識していない。モロッコからアラビア半島まで広大なのに、すべて一緒。アラブといったらベリーダンスだよねとか、あまりにもステレオタイプなイメージで終わってしまう。

石油などエネルギーの面だけでなく、アラブ世界はこれからの日本にとって、もっと重要になってくるはずです。歴史を「ユーラシア」という視点で捉えれば、モンゴル帝国がヨーロッパまで拡大した時も、ヨーロッパが中国に進出した時もその中間にはアラブ人がいたわけです。その中で、日本でアラブに対する理解が少ないのは残念なことです。

シリア難民を受け入れた国では料理のレベルが上がった?

―難民受け入れに対する日本の姿勢はどう見ていますか? 2015年の難民認定率はG7中最下位の、わずか0.4%でした。

ナジーブ 安倍首相が、難民と移民の区別がついていなかったことも話題になりましたが、これは日本の移民や難民に対する考え方を如実に表していると思います。

日系ブラジル人などの移民に対しても、本当は「日本人になってほしくない」、この島国に住む日本人の調和を崩したくないという恐怖感が強いように感じます。たとえ良いものがたくさんあったとしても、悪いものが少しでも含まれていれば避けるのが無難…「無難」や「無事」という言葉は日本語では良いニュアンスで使われますが、事なかれ主義とも言えますよね。

日本は政府もNGOも外国では積極的に人道支援をしていますが、国内に移民を受け入れるのは勘弁してほしい…という本音を感じてしまいます。しかし、シリア人には外国に出てビジネスで成功していくという、フェニキア文明以来の冒険心があります。伝統的にシリア移民は成功していて、今は教育レベルも高いし、腕のいい技術者もたくさんいるんですよ。

日本人が大好きな料理の話を例にすると、シリア人には良い料理人がたくさんいるので、シリア難民を受け入れた国では料理のレベルが上がったという声もあるのです。でも、あくまでも難民は移民と違って、臨時的に滞在する人々ですが。

移民受け入れに関しては、日本の人口減少の問題にも繋がってくると思います。移民を受け入れて人口を維持し経済を回すのか、あるいは受け入れずに5千万人でもいいのか…。

―日本政府はシリア人留学生を2017年から5年間で150人受け入れると表明していますね。

ナジーブ それが発表されたのはG7前のタイミングだったから、国際社会からの批判を避けるためだったのでしょう。今の安倍政権は支持率が高いので1千人くらいは受け入れても問題ないと思うのですが、5年で150人は、数が少ないですよね。しかし、その決定はもちろん歓迎します。

難民についてもうひとつ言っておきたいのは、日本のTVを見ると、外国の情報を紹介する時に、料理や鉄道など日常生活に関する文化を紹介するものが多いですよね。日本を訪ねたアルジャジーラの方から、そのことをバカにしたような発言を聞きましたが、私は素晴らしいことだと思っているんです。

人間は誰でも、おいしい食事や快適な寝床が欲しい。それはもちろん、アラブ人もどの国の方も同じです。文化を大切にしている日本人こそ、「難民は良い日常が欲しいだけだ」ということを理解できると思うんです。

アラブ文学にはノーベル賞を受賞した人もいるし、人生観が変わるような素晴らしい文学もありますが、悲しいほど日本ではほとんど翻訳されていません。しかし、日本人が月を愛(め)でるように、アラブ文化でも月は大きな意味を持ちます。交流すれば、お互いの良いものをたくさん共有できるはずです。私は、文化交流こそ日本とアラブ世界を近づける最善のカギだと信じています。

●ナジーブ・エルカシュ1973年、シリア・ダマスカス生まれ。ベイルート、ロンドン留学を経て、1997年に来日し名古屋大学・東京大学で映画理論を学ぶ。現在、「リサーラ・メディア」そして「アラブ・アジア・ネットワーク」の代表として、日本やアジアの情報をアラブ各国に向けて発信している

(取材・文/田中茂朗)