あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
第33回のゲストで元プロレスラーの小橋建太さんからご紹介いただいたのは女優・タレントの倉持明日香さん。
元AKB48のメンバーとして、在籍時はチームBのキャプテンを務めるほどの顔に。プロレス好きを公言し、特に激アツな“小橋愛”は自らのキャリアにも大きな影響を与えるきっかけとなった。
また父親が元プロ野球選手ということもありスポーツ番組に数多く出演、現在は女優業にも進出し活躍の場を広げているが、彼女の魅力のベースにあるその“家族愛”とはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―なんと、実はこの「語っていいとも!」連載開始以来、初の20代ゲストということで。もちろん最年少なんですが(笑)。
倉持 最年少って言われたのが久しぶりすぎて…なんか、ムズムズします(笑)。AKB時代から最年長って言われることは慣れてるんですけど、最年少は久しくないので嬉しいですね。それだけでちょっとテンション上がります(笑)。
―親戚の集まりで、おじさんとか年上ばっかりいるところに姪っ子が来て、若いねって言われるみたいな…。
倉持 そんな感じです! 「大きくなったね」みたいな。「何歳?」って聞かれて「27になったよ」って言ったら「あ~若いね」って言われる嬉しさと同じ感じ(笑)。
―AKB時代は同世代から年下の若いコ達ばかりで。でも仕事的には大人というか年上の人と関わるほうが多かったのでは…。結構、オジさまたちにカワイがられるタイプかなと。
倉持 個人的にはそっちのほうが楽…ですよね(笑)。正直、末っ子で生まれて、ずっと周りが年上だらけで。11歳と9歳離れてる兄がふたりいて、その友達と小ちゃい時からいつも遊んでて。学校でも妹分的な扱いをされて、ずっと高校まできたので。気持ちは楽なんですよ。
だから仕事場とかでも話しやすいのは、割と自分より全然年上のオジさまだったり。同世代のほうがちょっと「ん…」って緊張しちゃいます。
それこそ、小橋さんから今回紹介してもらったんですけど、プロレスが好きで野球が好きでとかなってくると、話が合って食いついてくれるのは男性だったり、ちょっと年がいってる方のほうが多いですし。
―そんな感じがすごくします(笑)。ちなみに、いろんなご縁が繋がるこの連載なんですが、僕ね、お父さん(元プロ野球選手・倉持明氏)のことも知ってるんですよ。
倉持 え、そうなんですか! なんでですか?(笑)
―週プレ本誌で野球の特集とか記事もやっていたので、千葉ロッテの取材をしたことがあって。千葉テレビで解説をされていた倉持さんにもコメントをいただいたり…。たぶん、僕の名前を言ったら知ってるはずですよ(笑)。
倉持 えー! 本当ですか?
「来たボールを打つってことしかなかった(笑)」
―以前、親子で週プレに出てもらったことがありますよね?
倉持 はい、私の成人式の時に週プレさんが実家のある地元の横浜まで来て下さって。横浜アリーナで父と一緒に写真を撮っていただいて。あれが親子で出た唯一だったので…。
―その時、お父さんが「貝山さんってまだいるの? よろしく言っといて」って仰ってたというのを聞いて。あ、覚えてもらってたんだ、すごく記憶力いいなと。
倉持 いや~嬉しいです。私、今も実家なんで、父にも伝えておきます!
―ありがとうございます(笑)。まだ実家住まいなんだ。では頻繁(ひんぱん)に顔も合わせてる?
倉持 そうですね、毎日(笑)。毎日喋って、ほぼ毎日のように父の手料理ですね。すっごい料理好きで。私が中学生でちょっと大人になってきた時に母が仕事したいって言って。じゃあ、家族でできることはやろうっていうのが家のルールになって。
私も掃除したりとかしてたんですけど、父が「俺は料理をやる」って言って。それまでキッチンに立ってるのも見たことないのに料理の本をまず買ってきて。それまでは母の作るのって想定内のものなんですね。当たり外れがなく全部オイシイんですけど、予想がつくんです。でも、冒険はしないんですよね、味の。
珍しいっていうのがなくて、数十年レパートリーを繰り返されてるんですけど、父は創作料理が多すぎて当たり外れがあるんですよ(笑)。その日やってる『3分クッキング』とかを録画して、それが夜出てくるんですけど、1回目は大体オイシイんです。でも、2回目にちょっと目分量にするんです。「今日オイシクないや…」みたいな感じになるんですけど(苦笑)。ほぼ毎日、父の手料理ですね。
―凝り性でもあるんだろうね。現役時代は“炎のストッパー”と呼ばれて。80年前後に活躍されて、野球少年だった僕も結構観てますから。
倉持 うわぁそうなんですね。私は全く観てないんで、もう生まれた時にはただの野球好きのお父さんっていう。引退して、解説してるくらいで。動いてるところを見たことがなかったです。モノクロの写真だけ家に飾ってあって、なんか野球やってたんだぐらいな(笑)。
―でも、そういうお父さんの元で育って、最初は女のコなのに野球をやらされたりもしたとか。
倉持 そうなんですよ(笑)。いまだにわからないんですけど、夜ご飯が終わった後に「じゃあ片付けろ」っていう父のひと言で、家族みんながリビングのテーブルを運ぶという作業があって。発砲スチロールのボールがいっぱい入ったケースがあるんですけど、バット渡されて、それでトスバッティングが絶対始まるっていう。
野球が好きか嫌いかなんて人生で聞かれたことないんですよね。なんか、愚問すぎて聞かれたことがないんですよ、倉持家では。
―ナチュラルボーン的な(笑)。一家の前提なんだ。
倉持 前提です。野球っていう土台がある上で、その他の物事があるぐらい。嫌いも好きもなんの感情もなく、来たボールを打つってことしかなかったので(笑)。
「こいつを女子プロゴルファーにするぞって」
―生まれて目が開いた途端、ボールが来てるみたいな(笑)。
倉持 そうです(笑)。「あ、打たなきゃ」っていうのしかなかったので(笑)。父はそれで野球というか、ソフトボールの選手にさせたいっていうのがあったんですけど、母が日焼けしちゃうからっていうので反対して。欲しくて欲しくて、やっと生まれた女のコだったんで。
母の趣味で服は白とピンクと赤とか、靴下から髪飾りまで全部フリフリ付いてるような。お兄ちゃんはふたりとも小ちゃい時から野球やってて、ずっと坊主なんですけど、私は髪の毛も長くて、絶対お母さんが結ぶとか。もう、ザ・女の子として育てられたので。
―まさにお人形さんのように大事に育てられて。
倉持 はい。母は女のコだから可愛らしく育てたいみたいな。だから日焼けしちゃうっていう理由でソフトボールは断念させて。そしたら、次はゴルフを急に…うちの家にあるテレビとか、いろんなものがお父さんがコンペで獲ってきたものなんです。すっごいゴルフが上手で。
―懸賞生活みたいな(笑)。全てに凝り性なんだ。
倉持 本当に。コレもコレもコンペでとか。玄関にゴルフのバックが何コもあるぐらいの感じで。だからパターマットがあるのは当たり前だったんですけど、それで「おまえ、やってみろ」って言われて。「5回連続パターが入ったら500円あげるぞ」とか。それでうちはお小遣い制じゃないし、負けたくないからずっとやって、めちゃくちゃ上手になったんです。
―釣られてやってたら、まんまと…(笑)。
倉持 それで「こいつを女子プロゴルファーにするぞ」っていうので、母の反対を押し切って、今度はドライバーで打ったらゴムでびょんって戻ってくるやつを無理矢理買いに行ったんです。で、「こうやるんだよ」って父がやったら、それ子供用なので、力強すぎて伸びたまま返ってこなくなっちゃって(笑)。
それをきっかけに、やっぱり母が「女子ゴルファーもみんな日焼けしてるじゃない。だから…」って。
―もしそこでお母さんも「よし」って言ってたら、横峯さくらみたいになってたわけだ?
倉持 かもしれないですね、わかんないですけど(笑)。でも可能性はともかく、そのゴルフもなしになりました(笑)。それからは本当に自分が好きでやってたドッジボールを習ってたんですけど。地区で全国大会に行ったりするくらい、すごく強くて。
―ドッジボールでは稼げないけど、やっぱり球技からは逃れられないと(笑)。
倉持 そうなんですよ。そこでも父とはドッジボールのボールで練習やってて。ボール持っちゃうと手加減できなくなっちゃうんですよね、小学生相手なのに。もう何度呼吸が止まったことか。
まず家の廊下で真っ直ぐボールを投げる練習をずっとしてたんです。そんなに広くないから、ちょっとズレると壁に当たってバタバタンってなるじゃないですか。そしたら横の部屋にいる兄が怒るんですね、「うるせーよ」って。その恐怖を感じながら投げろって言われて。
「大日本プロレス、意味がわかんなかったんですよ」
―スポ根漫画の世界じゃないですか(笑)。ほんと子供時代のお父さんとの話だけで終わっちゃいます(苦笑)。
倉持 いくらでも話があるんですけどね。それをネタだと思ってないまま生きてきたので(笑)。うちの家がなんか変なんだなっていうのは、この仕事をして思いました。
―(笑)。で、そろそろプロレスとの出会いときっかけも…。
倉持 私、中学生とかにありがちな、休みが続くと昼夜逆転して眠れなくなって明け方になっちゃうってのが続いて。でも何かしら音だったり光があれば、深夜でも安心できるみたいな。で、とりあえず部屋のTVつけてボーッとしてたらTVK(テレビ神奈川)でちょうど大日本プロレスをやってて。もう意味がわかんなかったんですよ。
―またマイナーなところから入ってますねぇ。
倉持 まず、何が楽しくてやってるのかわからなかったんですね。この人達は蛍光灯で殴り合いして血流して、画鋲(がびょう)をバラまいてその上でやって「めちゃくちゃ背中刺さってんじゃん」って。いくらもらったらこれやれるんだろう?とか子供ながらに思いながら、何か楽しかったんです。
うちはスポーツならなんでも観ますし、ボクシングは父が大好きなのでK-1とか格闘技も観てたんですけど。プロレスは特に家族全員好きってこともなく。なんだろう、この人達!?っていう、疑問しか生まれてこなくて。自分が触れ合ったことがない全く未知の世界で…。
―その頃はもう80年代のようなゴールデンタイムに中継してた時代でもないから。
倉持 そうなんですよね。で、たまたま大日本プロレスを観た時に衝撃が走って。その「何これ?」っていうのから始まったのが、夜遅い時間に他の地上波でもノアの中継やってたり、新日本プロレスを観て「この人達、この間観たのと全然違う」と思って。
当時、棚橋選手とかが出たての時ぐらいで、わりとイケメンのシュッとした感じが、なんかまた自分の中で新しいジャンルで新鮮すぎて面白いなと。で、日テレでもノアの中継があって、このチャンネルでもやってるんだと思って観てたら、ひと目惚れしたんですよ、小橋さんに。
もう、あまりにも背中がカッコよくて。新日本でも見た目がカッコいい人ってたくさんいらっしゃるんですけど、小橋さんを観た時に、なんか引き込まれるカッコよさがあって。
―背中カッコいいよね~。そこでいきなり男を感じてしまいましたか。
倉持 はい。
―若手とも違う、昭和のね。背負ってる感じ。
倉持 小橋さんのプロレスっていうのは、魅せるプロレスって言うんじゃなくて、戦ってたんですよね、プロレスを。真っ直ぐに前しか見てないっていうのが、初めて観た私にも伝わるぐらい。
「『週プロ』買えなくて。立ち読みして帰って(笑)」
―まさに無骨であり愚直なね…。ちなみに、その出会いは何歳ぐらい?
倉持 16歳ぐらいですかね。新日は新闘魂三銃士がちょうど出るぐらいの時だったので。だから、小橋さんが腎臓がんになる前から元々観てて、なった時に絶望したんですけど。
―周りにはプロレス好きを親とかにも言ってなかったの?
倉持 親には言ってました。母はボクシングも格闘技も苦手で大嫌いなんですよ、そういうのが。プロレスなんて、血が出るからもってのほかで。「あんた、よくこんなの観れるね」みたいな。
―うちのおばあちゃんと一緒(笑)。昔の女性はそういうの多いけどね、流血とかギャーギャー喚いて、チャンネル変えなさいとか言いつつ、チラチラ観てたり(苦笑)。
倉持 そう、お母さんもチラチラ観て(笑)。それで、私が中高と女子校で、学校でも隠してたというか、あんまり表には言ってなかったんですね。周りにプロレス好きも一切いなくて。
学生でバイトできなかったし、『週刊プロレス』とかも毎週買えなくて。今考えたら数百円かもしれないですけど当時は大きくて。お気に入りの小橋さんとか表紙だったり、その時だけ買うっていう。それ以外は本当に申し訳ないんですけど、コンビニ行って立ち読みして帰って(笑)。1回じゃ一気に読み切れないんで、通学路の途中で毎日ちょこちょこ繰り返して。
―周りに理解者もいないまま、ひっそり恋い焦がれていたわけだ。
倉持 はい。だからこんな人が実際存在すると思ってなかったですね。架空の存在なんじゃないかなって。出会う機会も全くないですし。
―周りの同世代にいるわけないしね。なのに“絶対王者”の高みに憧れてしまって(笑)。
倉持 そうなんですよ。でも何が高みかすらわからず。ただ、この人はカッコいい、ヤバいって…。もう、無二でしたね。その後に誰か出てくることもなく。やっぱ小橋さんしかいなかったんですよね。
●続編⇒『語っていいとも! 第33回ゲスト・倉持明日香「倉持のアピールポイントは何?ってわからなかったんです」』
●倉持明日香 1989年9月11日生まれ、神奈川県出身。AKB48の元メンバー。父親は元プロ野球選手の倉持明。2007年にAKB48の研究生として合格。翌年、チームメンバーへと昇格する。在籍時はキャプテンを務めるなど信頼も厚かった。プロレス好きを公言し、プロレスファンからも厚い支持を受けるようになると、大ファンである小橋健太の引退試合で花束贈呈を務めるなど交流が生まれた。2015年8月、AKB48を卒業。現在は女優、タレントとして幅広く活躍。
(撮影/塔下智士)